プロローグ 追放の朝に
王都アルカディアの朝は、いつも鐘の音で始まる。
聖堂の鐘が六回鳴ると、門番が城門を開き、商人たちが荷車を引いて石畳の大通りを行き交い始める。パン屋からは焼きたての匂いが漏れ、水路には洗濯物を運ぶ女たちの笑い声が響く。
世界に魔王が現れてから三年。それでも王都の朝は穏やかだった。魔王軍の侵攻は東の大陸が中心で、ここ中央大陸の王都にまで直接の被害は及んでいない。少なくとも、今のところは。
「だから、さ」
冒険者ギルド『黄金の夜明け』亭。二階の個室。窓から差し込む朝日の中で、勇者レオン・ヴァルハルトは腕を組んでいた。
金髪碧眼。鍛え上げられた肉体。腰には聖剣エクスカリオン。王国が認定した唯一の【勇者】であり、現在最も魔王討伐に近いとされるパーティーのリーダー。
その勇者が、テーブルの向かいに座る男に向かって、気まずそうに言葉を続けた。
「ソウマ。お前にはパーティーを抜けてもらいたい」
指名された男――ソウマ・キサラギは、二十七歳。黒髪を後ろに流した、どこか学者然とした風貌の青年だ。
職業は【戦略魔導士】。
この世界において、職業とは生まれつき魂に刻まれるものだ。【剣士】は剣を、【魔法使い】は魔法を、【僧侶】は神聖術を扱う。それぞれの職業には固有のスキルツリーがあり、レベルアップとともに上位スキルが解放されていく。
だが【戦略魔導士】は、正規の職業図鑑にすら載っていない。
ギルドの受付で初めて登録したとき、職員に「え、なんですかそれ」と言われたのは、今でも覚えている。
「理由を聞いてもいいか?」
ソウマは淡々と訊いた。怒りも悲しみもなく、純粋に情報を求める声だった。
レオンは少し目を逸らしてから言った。
「お前の戦い方は……合わないんだ。俺たちのスタイルに」
「具体的には?」
「攻撃力がない」
隣に座る【聖騎士】のガルド・フォン・シュタインが補足した。この男は元貴族で、レオンの幼馴染。パーティーの副リーダー的なポジションにいる。
「いや、正確に言えば、お前は戦闘中にほとんど攻撃魔法を撃たないだろう。戦闘中にぶつぶつ分析をして、指示を出して。それ自体が悪いとは言わないが……」
「はっきり言うわ」
反対側に座る【精霊弓手】のセレスティアが、長い銀色の髪をかき上げながら割って入った。
「あなたのやってること、戦闘が終わった後に『ああすればよかった』って言ってるのと変わらないのよ。リアルタイムで指示を出してるつもりでしょうけど、私たちはそれぞれ自分の判断で動いてるの。あなたの分析が届く頃には、もう戦況は変わってる」
「そうか」
ソウマは静かにコーヒーを一口飲んだ。
言いたいことはあった。たくさんあった。
例えば――先月の氷竜討伐。セレスティアが「自分の判断」で放った矢は、氷竜の鱗の隙間からわずか三センチずれていた。ソウマの分析通りに仰角を二度上げていれば、一射で急所を貫けていたこと。
例えば――二ヶ月前の魔族将軍との遭遇戦。ソウマが「左翼から回り込め」と指示したのを無視してガルドが正面から突撃したせいで、全員が範囲魔法を喰らって壊滅しかけたこと。ソウマの立てた作戦通りに動いていれば、被害はゼロだった。
例えば――三ヶ月前の迷宮探索。ソウマが事前に構造を分析して最短ルートを提示したのに、レオンが「冒険は道なき道を行くもんだ」と言って三日間迷子になったこと。
全部、データが残っている。ソウマの頭の中には、この三年間の全戦闘ログが記録されていた。
だが、言わなかった。
データは、聞く意思のある人間にしか意味がない。
「それで、後任は?」
ソウマが訊くと、レオンの表情がわずかに明るくなった。
「ああ。昨日、王都に到着した凄い奴がいてな。【炎帝魔導士】のフレイア・バルドットだ」
ドアが開いた。
赤い髪。燃えるような紅い瞳。肩から腰にかけてのラインが、鎧の上からでもわかるほど豊かな曲線を描いている。
「初めまして。フレイアです。よろしくお願いしますね♪」
にっこりと笑う。明るく、華やかで、誰からも好かれるタイプだ。
「あたしの【紅蓮天墜】、一発でSランクモンスターを蒸発させたことあるんですよ。すごくないですか?」
すごい。確かにすごい。単体火力だけなら、現役冒険者の中でもトップクラスだろう。
だがソウマの頭の中では、すでに分析が走っていた。
『【炎帝魔導士】フレイア・バルドット。推定レベル58。主要スキル:紅蓮天墜(消費MP:全体の72%)、炎壁防陣(消費MP:18%)、火炎付与(消費MP:3%/分)。問題点:①MP効率が極端に悪い。大技を一発撃てば残りMPで戦闘継続困難。②全スキルが火属性単一。炎耐性を持つ敵に対して無力。③範囲攻撃が主体のため味方誤射リスクが高い。総合評価:単体決戦には有効だが、長期戦・属性相性・パーティ連携の全てにおいてリスクを抱える典型的な「一発屋」型。現パーティーの弱点をカバーするどころか、拡大させる可能性大』
分析結果は一瞬で出た。そして、ソウマはそれを飲み込んだ。
「わかった。引き継ぎは何かあるか?」
「引き継ぎ?」レオンが不思議そうな顔をした。「別に何もないだろ。お前は分析してただけなんだから」
分析してただけ。
ソウマは立ち上がった。テーブルの上に、一冊のノートを置いた。
「今後のダンジョン攻略に関する分析資料だ。向こう三ヶ月分の攻略対象について、敵の属性分布、推奨装備、陣形パターン、撤退ラインを全てまとめてある。……まあ、読まないだろうけど」
最後の一言は、独り言だった。
「じゃあな、ソウマ。三年間、まあ……ありがとうな」
レオンが手を差し出した。ソウマはそれを握り返した。
「ああ。武運を」
ドアを閉めた瞬間、背後からフレイアの明るい声が聞こえた。
「さあ、次のダンジョンの話しましょ! 炎山ダンジョンって聞いたんですけど、あたし火属性だから得意分野ですよ!」
炎山ダンジョン。フロアモンスターの87%が炎耐性持ち。ボスのイフリート・ロードに至っては炎属性完全吸収。
……まあ、ノートに書いてあるんだが。
ソウマは肩をすくめ、階段を降りた。




