7 辞めたがりの騎士
魔法騎士団の騎士達の居室は、基本的に六人部屋。
階級が上がるにつれて、四人部屋、二人部屋と順に昇格し、隊長クラスになるとようやく個室が与えられるようになる。
「ロウェル団長」
「んぐんぐんぐ……んっ?」
「なぜ当然のように俺の部屋で食事しているんですか」
ここ、第一連隊長ジュード・エルファルドの居室も当然ながら個人部屋なのだが、今晩に限ってはとんだ闖入者にソファを占拠されていた。
「まあまあ、ソファの一つくらい貸してくれたっていいじゃないか。上官だぞ? 偉いんだぞ?」
「職権乱用です」
「だから、そう固いことを言うなってのに……全く」
仮にも直属の上司に対し、ジュードは不愉快極まりないといった視線を遠慮なくぶつける。ロウェルは呆れ顔で頭を抱えると、スープをぐいっと一気に飲み干してから「ちょっとそこに座れ」と石頭な部下を手招きした。
ジュードは心底不服そうに眉を顰めながらも、言われた通りロウェルの向かい側に腰掛けた。まるで『これも仕事の一貫だ』と訴えるように背筋をビシッと伸ばし、固く握った拳を膝の上に置いている。対する騎士団長ロウェル・グレイは、どっかりと胡坐をかいたうえに頬杖までついて、完全にリラックスムードだ。
「で、今日の大暴れは一体何が引き金だ?」
「!」
ロウェルはまるで天気の話でもするように平然と尋ねる。ジュードは思わず気抜けし、わずかに目を丸くした。
しかし、次の瞬間には。
「……大したことではないのです。本当に」
みるみる眉間に影が差し、精悍な顔立ちの端々に深い皺が浮き出ていた。
「食堂に行ったら……他の隊の連中が、新入りに俺のことを話しているのが聞こえました」
「ほう。陰口でも言われたか?」
「いいえ。『先の大戦で活躍した英雄だ』『男爵位を賜るにふさわしい』と」
「ほう……?」
ロウェルは首を捻り、ふくろうが鳴くような声で相槌を打つ。口をすぼめてきょとんとしてしまっている上官に、ジュードは険しい表情のまま続けた。
「確かに俺は誰よりも多くの敵兵を殲滅しました。戦意を喪失し捕虜となることを望む兵士すらも、魔力暴走によって見境なく殺したのです。きっと、数えきれないほど多くの人々が、彼らの帰りを祈り待ちわびていたことでしょう」
ジュードの握り拳はいつしか小刻みに震えていた。とてつもない握力のせいか、手の甲の血管がみみず腫れのように膨れ上がっている。
言葉に詰まり俯く彼を、ロウェルは急かすでも促すでもなく静かに見守る。
しばらくして、ジュードは大きく肩を上下させて一呼吸つくと、ようやく重い口を開いた。
「俺はただの暴れ回るバケモノです。団長が鎮めてくれなければ、仲間もろとも皆殺しにしていた。そんな奴が英雄だなんて……そう思いながらトマトスープをよそっていたら、急に幻覚が」
「幻覚?」
「寸胴鍋でなみなみと揺れる赤い汁が、全部人の生き血に見えてしまって。気づいた時には理性を失っていたのです」
突然すっと立ち上がったジュードは「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言って、ロウェルに深々と頭を下げる。模範的な角度で腰を折り謝罪をする彼に、胡坐をかいた格好のロウェルはあっけらかんとした顔で「ふ~ん」と腕を組む。
「そうか、そうか、幻覚か」
「……はい。今までは、誘因となりそうな〝激しい感情の昂ぶり〟を避けることで暴走を防いできました。ですが、幻覚が見えるとなると、もういつどこで暴れ出すか俺自身にも予想がつきません。自分で自分の制御が利かない状態なのです。――ですから団長。今日こそはこれを受け取ってください」
美しい最敬礼の姿勢から元に戻ったジュードは、懐に入れて常に持ち歩いている白い封筒を取り出し、真剣な面持ちでロウェルに差し出した。しかしその封筒を一目見たロウェルは、何とも退屈そうに大あくびをしながらピンと人差し指を突き立て。
「〝風よ巻け〟」
風魔法の呪文を唱えながら、指先をくるくると回し始める。ふざけているようにも見える仕草だが、きちんと魔法は発動しており。
「……なッ!」
ジュードの手元に、手のひらサイズの竜巻が現れた。
竜巻はたちまち封筒をジュードの手から掻っ攫い、あっという間にくしゃくしゃに丸めてしまう。ロウェルが指を回すのをやめると、竜巻が消え、捻り潰された封筒がポトリと床に落ちた。
「懲りない奴だなぁ。何度持ってこられようと、私は辞表なんか受け取らないぞ」
「……なぜです? こんな危険人物、どう考えても王都にいるべきではないでしょう。隊長職も男爵位もどうだっていい。俺の願いは、今すぐにでも騎士団をやめて、どこか人里離れたところで一人で」
「――『一人で』どうするって? 誰にも止めてもらえずに、身体がぶっ壊れるまで暴れ続けるのか?」
噛みつくように喋り出したジュードの言葉を、ロウェルが容赦なく遮る。その顔に、普段の朗らかさは一切ない。
「そんなこと、私は絶対に許さない。絶対にだ」
ジュードは、常時茶化したような言い方をする上官の口調があまり好きではない。しかし、ひとたび彼の声から茶目っ気が失われてみると、いかにそれがありがたかったかと思い知る。それぐらい、ロウェルの真顔には有無を言わせぬ威厳があった。
親しみやすい笑顔の裏に、大所帯を取りまとめるに相応しい貫禄をきちんと隠し持っていて、ここぞという時に表へ出してくる。そうやって、こちらの意表を突いてくるのだ。
「……チ……」
「あ~っ! お前、今舌打ちしたな?」
「してません」
「嘘つけ!」
拗ねた子どものようにしかめっ面でそっぽを向くジュードに、茶目っ気を取り戻したロウェルが言う。
「とにかく、退団は認めないしする必要もない。そのためにセレナ嬢をお連れしたんじゃないか。いつどこで暴走するかわからないのなら、いつどこででも暴走しないよう、日頃から彼女に魔力を吸い取ってもらえばいい。今だって、少し楽になっているんだろう?」
「それは……」
ジュードは自分の手のひらに視線を落とす。ロウェルの言う通り、食堂で目を覚ましてから嘘のように体が軽かった。普段なら、異常な魔力量のせいか、絶えず体内で溶岩が煮え滾っているような感覚があるのだが、今はせいぜい焚火程度の熱量しか感じない。暴走を起こした直後で、魔力を消耗しているせいもあるだろうが。
「ほら見ろ。お前はセレナ嬢と共にいるべきなんだよ」
「ッ……確かに一理あるかもしれません。ですが、あんな弱々しい幼子を無理やり連れてきて、見知らぬ男と結婚させるなんて。鬼畜の所業じゃないですか」
「おいおいおい心外だな!」
まるで犯罪者でも見るような軽蔑の眼差しを向けるジュードに、ロウェルは慌てて言い返す。
「セレナ嬢にはきちんと同意を得てからお越しいただいている。それに彼女は十八歳だ」
「十八……! 俺はてっきり十二、三かと」
「魔喰いの異能のため、ヴェルディア伯爵家ではかなり酷い扱いを受けていたらしい。頭から布を被せられ、狭い部屋に幽閉され、ろくに食べ物も与えられていなかったようだ。心も体も栄養が足りていないのだろうよ」
「幽閉って、血を分けた家族にどうしてそんな……」
ロウェルの話を聞いたジュードは、ただでも鋭い眼光を余計に鋭くする。みしみしと地割れの如く顔面におっかない皺を増やしていく部下を見て、ロウェルはやれやれと鼻からため息を吐いて立ち上がった。
「だー、かー、らー」
「痛いです」
石像のように怖い顔のままソファに座るジュードの肩を、ロウェルは声に合わせてバンバンバンと力強く叩く。ジュードは迷惑そうな声で冷静に文句を言うが、ロウェルは構わずに彼の肩を捕まえて言う。
「ジュード。これからはお前が、セレナ嬢の心と体にしっかりと栄養を与えてやるんだぞ」
「ッ⁉」
「何て顔してるんだよ。魔力暴走を防ぐための便宜上とはいえ、お前の妻だろ? 惜しみなく愛を注いであげなさい」
ぎょっと目を瞠ったジュードだったが、両手を白鳥のようにガバァッと広げて言うロウェルを見ると、一転して淡々と冷めた口ぶりで言う。
「無理です。彼女、生贄にされる子兎みたいな目で俺を見ていましたし」
「それは、ひとえにお前の顔が怖いからだろうよ」
「そもそも俺は、誰に対しても妙に情をかけたくないんです。いつ壊してしまうかわからないですから。――ところで、そろそろ自分の部屋に帰っていただけませんか?」
冷却しきった眼差しで見上げられたロウェルは、何度か瞬きをしてから「わかったよ」と肩を竦めてジュードの部屋を後にする。拗ねた顔で扉を閉め、夜霧の満ちた回廊を歩き出し――しばらくすると、笑い皺が刻まれた目尻にふと苦い微笑を浮かべた。
「情をかけたくないって……。名も知らぬ敵兵の、そのまた家族のことまで気に病んでる奴が言う台詞かねぇ……」
不躾なまでに澄んだ月光が、気苦労の多い中年男性の猫背を明るく照らしていた。




