40 すまない、ありがとう
気まぐれに生まれた雲の切れ間から、白い光が降り注ぐ。
「魔喰いの異能者、セレナ・エルファルド――」
天界へ続く梯子の如き陽光は、跪くセレナの背中を温かく照らす。白い長髪がきらきらと輝き、溶けかけの雪原のように眩しい。
あれほど冷え切っていた足枷の金属も、いつしか人肌の温度にまで温められていた。
「――王家反逆の罪にて、汝の死刑を執行する!」
処刑台の頂上で、死刑執行人が高らかに宣言する。群衆はワァッと色めき立つ。
(どうしようっ……何か、何か手立てはないの……?)
この期に及んでも、セレナは諦めていなかった。
王宮の目と鼻の先、大勢の人が集まるこの状況で、もしも魔力暴走を起こしてしまったら……。周囲を破壊してきた過去に苛まれ続ける彼の心は、今度こそ粉々に壊れてしまうかもしれない。
(絶対、絶対、生きてジュード様の元へ帰るのよ……!)
「……ぬ……んうぅぅ~っ!」
セレナは、膝の関節が抜けそうになるほど右足を強く引っ張る。しかし、足枷に繋がれた鉄球はびくともせず、ただ足首の皮が剥けてじわりと濡れた感触がしただけだった。
「おい、おとなしくしろ!」
「きゃっ!」
暴れるセレナの白髪を、執行人が乱暴に掴み上げる。振り上げられた長剣が、日の光をギラリと反射した。
「何か、言い残したことはあるか?」
「っ……」
そんなもの、山ほどあるに決まっている。
セレナは悔しさに震え、唇を噛みながら視線を背後へ動かす。貴族家当主達のために用意された貴賓席、そこにいるはずのジュードの姿を懸命に探した。
(……あれっ?)
ところが、ふんぞり返って口髭を弄る実父ヴェルディア伯爵や、酷い顔色の騎士団長ロウェルは見えたものの、肝心の彼が見当たらない。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
そのとき、どこからか地鳴りのような音が聞こえてきた。
群衆が飛ばす野次のせいで、広場はひどく騒がしい。どうやら、セレナ以外の誰一人その音に気がついていないようだ。
しかし、次の瞬間。
「……――ゥアアァアアアアアァァァッ‼」
雷鳴の如き咆哮が、その場にいた全員の鼓膜を強烈に震わせた。
――ドォォォン‼
息つく暇もなく次の轟音が鳴り響く。地面が激しく振動し、三階建てと同等の高さがある処刑台の上を、立っていられないほどの揺れが襲った。
セレナの髪を掴んでいた執行人は、バランスを崩して尻餅をつく。セレナは跪いた格好のまま音のした方を振り向き、灰青色の瞳をこれでもかと見開いた。
そこには――森の一部を引き剥がしたかのような、巨大なゴーレムが聳え立っていたのだ。
「バケモノだ!」
どこからか叫び声が上がる。
それを皮切りに、広場は忽ち阿鼻叫喚の大混乱に陥った。群衆は蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑い、貴賓席に腰掛けていた当主達も、皆慌てた様子で席を立つ。
「ヒィィッ……! た、助けてくれっ!」
ヴェルディア伯爵が真っ先に駆け出した。
ところが、浮いた石畳に蹴躓き「アアッ!」と球が転がるように腹を地面に打ち付ける。その間にも、雲を突き抜けんばかりのゴーレムは、ドォン、ドォン、と重たい足音を響かせてゆっくりとこちらに向かってきている。
「イタタタ……――ッ⁉ こ、こいつだ! こいつがあのバケモノの術者だぞ‼」
顔を上げた伯爵が、処刑台の真下を指さして大声を上げた。
(――ジュード様⁉)
セレナはがむしゃらに身をよじり、処刑台の上に這いつくばって地上を見下ろす。そこには、地面に手をついてしゃがみこむ騎士の姿があった。
顔こそ見えないが……あの漆黒の髪と角ばった背中、見間違えるはずがない。
「そうだっ、魔喰いを使え! 早くこの男の魔力を吸い取らせるんだ!」
ヴェルディア伯爵が処刑台を見上げて唾を撒き散らす。すると、他の当主達の中にも似たような主張をする者が出てきた。広場はますます混沌としていく。
「ジュード様! 落ち着いてくださいジュード様‼」
セレナは処刑台から半身を乗り出して叫ぶ。奇しくも、足枷に繋がれた錘が命綱となっていた。
セレナの声を聞いた執行人が、職務を思い出したように「何をしている!」と怒鳴る。そして、再びセレナの髪を掴もうと鎧に覆われた手を伸ばしてきた。
――パキッ。
「えっ」
微かに、だが確かに、氷が割れるような音がセレナの耳に届いた。
と同時に、引き伸ばされていた右足の緊張がフッと緩む。
「ぅ、ぁ、あ……っ!」
ぐらり、とセレナの上体が傾く。
瞬く間につむじが真下を向き、天地がひっくり返った。咄嗟に右足首を見ると、どういうわけか足枷が外れていて。
「きゃああぁぁ~~~~!」
風に巻き上げられた白髪を見ながら、セレナは真っ逆さまに転落した。
◆◇
「待て!」
騎士団長ロウェル・グレイの叫びは、その実、上官命令ではなかった。
ただただ、手に負えないほど危なっかしい息子をどうにか守りたいという、父親かぶれの願望でしかなかった。
目の前に置かれた白い封筒を、ロウェルはそっと持ち上げる。何遍もはぐらかしてきたが……今度こそ、そうはいかないだろう。
「……ん?」
足早に処刑台の真下へ向かったジュードを呆然と眺めていたロウェルは、突然しゃがみこんだジュードの姿に首を傾げる。
頑固な性格を物語る真四角の背中が大きく上下したと思った、次の瞬間。
「……――ゥアアァアアアアアァァァッ‼」
凄まじい雄叫びが響き渡った。
鬼気迫るジュードの咆哮は、ロウェルを内臓ごと揺さぶる。しかし、呆気に取られる暇もなく、今度は巨大なゴーレムが姿を現した。
あの方角。おそらく、貴族の狩猟場に使われている森を利用して造り出したのだろう。
(造り出す……?)
ロウェルは己の思考に違和感を抱く。
ジュードの魔力暴走を幾度となく見てきたが、ゴーレムが造り出されたことなど一度もない。そもそも、そんな理性などない状態が魔力暴走なのだ。
「こ、こいつだ! こいつがあのバケモノの術者だぞ‼」
ヴェルディア伯爵が、ジュードを指さして喚き立てる。
「そうだっ、魔喰いを使え! 早くこいつの魔力を吸い取らせるんだ!」
伯爵が叫ぶと、追い詰められた他の当主達も「それしかない!」と同調し始める。ジュードの横顔から目を逸らさずにいたロウェルは、彼の口元に薄っすらと笑みが浮かぶのを見て、一挙に理解した。
そして、フッと鼻からため息を吐く。
「……そういうことか。はっはっは、強硬手段もいいところだなぁ!」
しかしまあ、思い返してみれば『心配なら意地でも側にいてやれ』と助言をしたのは、ロウェル自身である。
と、そのとき。
「きゃああぁぁ~~~~!」
「⁉ か、〝風よ吹け〟!」
処刑台の上から転落するセレナにいち早く気づいたロウェルは、ぎょっと目を瞠りながら呪文を唱える。
それから、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「――ジュード、上だぁぁっっっ‼」
ジュードは理性を失っていない。
この声はまだ届く。
ロウェルには、わけもなく笑みが零れてしまうほどに、そんな確信があった。
◇◆
ふわっ。
白い長髪をなびかせて落下していたセレナの体は、突如、綿毛のように浮遊した。
いや、正確には落ちる速度が急激に遅くなったのだ。びゅうびゅうと下から吹き上げる風が、重力に抗ってセレナの体を持ち上げている。
(ロウェル様ね……!)
セレナはほっと息をつき、首を振って真下を向く。
このまま降りていけば、きっとジュードに手が届く。
彼が何も壊す前に、魔力暴走を止められる――。
「ジュード様~~っ!」
セレナは吹き付ける強風に顔を顰めながら、必死に声を張り上げる。
「……――セレナ‼」
セレナは「えっ」と腑抜けた声を上げる。暴走状態のジュードから返事が返ってくるなんて、思ってもみなかったのだ。
天に向かって両腕を伸ばす彼と、真正面で視線がぶつかる。その瞳は狂乱の赤ではなく――澄んだ飴色に輝いていた。
「ッ!」
ジュードは、舞い降りてきたセレナをためらいなく胸の内に抱き止める。夢にまで見た温もりが、セレナの体中に甘く染み込んでいく。
「すまない、ありがとう…………無事で良かった……!」
耳元で囁かれたジュードの声は、酷く震えていた。
彼らしくない支離滅裂な言葉と、胸板越しに伝わる確かな鼓動。セレナは一気に気が抜けてしまって、灰青色の瞳からぽろぽろと涙を零す。
「ぅ……私こそ、ごめんなさい……! ジュード様も、ご無事で本当に……っ」
「君が謝ることは何もない」
白い頬を何度も伝い落ちる涙を、節の目立つ彼の指が優しく掬いとる。
「……ずっとこうしていたいが、あまり時間がないんだ」
ジュードはそう言って、潤んだ目のセレナを真っ直ぐに見下ろす。
彼はセレナの両手首に嵌められた手枷に向かい「〝土よ造れ〟」と唱える。すると鉄製の腕輪や鎖は忽ち砂と化し、彼が作る砂時計の中の砂鉄ように、サラサラと足元へ流れ落ちていった。
「走れるか?」
自由を奪うものが何一つなくなったセレナに、ジュードが問う。
「――はい!」
セレナは力強く頷く。
もう戻れない場所を背に――白き異能の元令嬢と最強騎士は、手を取り合って走り出した。




