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飴色に染まる ─白き異能の令嬢は最強騎士の魔力を喰らい幸せをみつける─  作者: 綿谷ユーリ


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4 魔力暴走

 人か獣か。

 それとも怪物か。

 どれともつかない姿で咆えるジュードの咆哮に、その場にいた誰もが身を竦めた。


「はぁ……。仕方がない」


 ただ一人――魔法騎士団長ロウェル・グレイを除いては。


「〝風よ吹け〟」


 ロウェルは右手のひらをジュードに向けると、静かに風魔法の基本呪文を詠唱した。その途端びゅうびゅうと空が鳴り、四方八方の空気が渦を巻きながら食堂中心部へと吹き付けてきた。セレナがしゃがみこんでいる扉の前は、広場から食堂内へと向かう風の最大の通り道となり。


「きゃあっ」


 瞬く間に、セレナが被っていた真っ黒なベールは、突風で吹き飛ばされてしまった。

 十歳から一度も切っていない長い髪が、白い滝のように流れ落ちぶわりと風に舞う。光に当たらない生活で透き通るほど白くなった頬に、冬空を思わせる灰青色の瞳。首から上が全て露になってしまったセレナは、遮るものなく射し込んでくる光の眩しさにうっと細目になる。それから慌ててベールの行方を目で追った。


(……あそこだわ!)


 セレナの肌を隠す特大のベールは、風に乗って食堂の中央まで吹き飛ばされていた。床一面にこぼれていたトマトスープをじわじわと吸い込み、黒い布がさらに黒く濡れそぼっている。しかも落ちている場所は、ジュードの目と鼻の先だ。

 セレナの鼓動はみるみる速くなる。こんなに大勢の人が集まる場所で肌を晒してしまっている状況がどれだけ危険か。そう思うと、理性を失って暴れている婚約者よりも自分の方がよっぽど質の悪い怪物のように思えてきた。


(私、最低だわ。あの方のこと何も知らないのに怖がるだけ怖がって……。自分だってまともじゃないくせに)


 セレナはちくちくと痛みだす胸に拳を当て――薄布越しではなく素裸の目で――もう一度ジュードの姿を見た。


「アァァ……グゥゥッ!」


 ジュードは、目に見えない何かがのしかかっているかのように四つん這いで地べたに伏せていた。おそらくロウェルが風魔法で押さえつけているのだろう。

 苦しそうにフゥーと奥歯を噛み締めたまま息を吐き、赤く光る瞳からつぅっと一筋の雫が頬を伝い落ちる。


「!」


 その涙を見た瞬間。まるで稲妻に貫かれたように、根拠のない確信がセレナの心に突き刺さった。

 彼は獣でも、怪物でもない。

 無論、ただの人でもないだろう。

 だけど誰よりも〝ただの人〟でありたいと願い、諦めず、苦しみ、もがいている――とてもとても強い心の持ち主に違いないと。


「〝風よ吹け〟」

「ッ……! ――ガァルルァアアア!」


 セレナは身を持って知っている。

 もがくことをやめた時、果てしない孤独の隣に座っているのは――絶望だ。


「ァ、ァ……ァ……」

「これほどの気圧をかけなければ鎮まらないか……。いよいよ厳しくなってきたな」


 ジュードに右手のひらを向けたままのロウェルは、もう一方の手でハンカチを取り出すと、少しくたびれた様子で額の汗を拭った。


「――セレナ嬢、聞こえていますか? いきなりお見苦しいところを見せてしまい申し訳ない! ですが、これが貴女を騎士団にお連れした理由なのです」


 ロウェルはこちらに背を向けて風魔法を維持したまま、扉の前にいるセレナに向かって呼びかける。


「信じられないかもしれませんが、本来のジュードは、非常に優秀で生真面目な魔法騎士なのです。しかし、あまりに桁外れの魔力を持つせいで、こうしてふとしたきっかけで魔力暴走を起こしてしまうことがあり……最近では団長の私でも手を焼くほどでして。まもなく男爵位を賜るというのに、これでは危険すぎて騎士団本部の敷地から出すことも出来ません。そこでセレナ嬢、貴女の魔喰いの力で、ジュードの魔力を定期的に吸い取ってほしいのです」


 ついに唸り声を上げなくなったジュードは、床に伸びたまま荒い息をしていた。煌々と光っていた赤い瞳も、ちかちかと明滅しながら暗く黒ずんでいく。

 セレナはその瞳から目が離せなくなり――。


「結婚という形を取れば、常に側にいても怪しまれません。どのみち爵位を得たら、いつまでも独身というわけにはいかない。今後のことを考えると、それが最善策なのです。もちろん、貴女に危険が及ばぬよう、暴走時には我々が全力で彼を鎮静化するので――――ん?」


 何かに導かれるように、歩きだしていた。


「セレナ嬢⁉ まだ危険ですから下がって!」


 ぎょっと目を剥くロウェルの声は、セレナの鼓膜を揺らすことなく風に呑まれる。その風は、埃まみれでもなお美しい彼女の白髪を生きもののようにたなびかせた。

 周囲に座り込んでいた騎士達は、どこか神秘的なセレナの姿に、戸惑いながらもぼうっと目で追ってしまっている。

 セレナはぴちゃん、ぴちゃんとこぼれたスープの上を歩き進め、ベールが落ちている場所も通り過ぎ、うつ伏せに倒れているジュードの目の前で立ち止まった。未だロウェルの魔法に抗おうとしているのか、彼の手は床板に爪を立てて強ばっている。

 節くれの目立つ、ごつごつとした大きな手――。


「――っ」


 気がつくと、セレナは手袋を脱ぎ、ジュードの手にそっと触れていた。

 その途端、セレナの髪が毛先から飴色に染まり始める。力み過ぎて震えていたジュードの手はフッと魂が抜けたように緩み、赤と黒を行き来していた瞳は髪の色と同じ漆黒で落ち着いた。


(飴色……土魔法の色だわ。吸い過ぎないように気をつけないと)


 燃えるように熱いジュードの手の温もりが、指を伝い、腕を伝い、セレナの胸の真ん中に流れ込む。あまりにも懐かしい人肌の温度に後ろ髪を引かれながらも、セレナはほんの数秒で彼から手を離した。


「……あのジュードを一瞬で……これが、魔喰いの異能……」

「! ぁ、私、すみません、勝手なことを」

「――素晴らしいっっっ‼」


 てっきり怪物扱いされると思っていたセレナは、手を打ち鳴らして大絶賛し始めたロウェルを見て目をぱちくりする。飴色に染まっていた毛先は、すでに元の白色に戻り始めていた。


「屈強な騎士達が束になっても敵わない暴走中のジュードを、ほんのひと撫でで! いやぁ、ますます彼の結婚相手は貴女しか考えられなくなりました! 少々お待ちください、今すぐ叩き起こしてご挨拶させますので」

「えっ、あの」

「おいジュード! 起きろ! 起ーきーろ―ッ‼」


 気を失って倒れているジュードを、ロウェルはぐわんぐわんと雑に揺すぶる。それでも起きないので、耳たぶを引っ張って声を張り上げ始めた。

 そんな無理やり起こさなくとも、とセレナはおろおろしながらロウェルを止める言葉を探す。しかし、如何せん八年間もまともに人と会話をしてこなかったので、単語一つ思い浮かばない。教育の機会を奪われたセレナは、語彙力を含め、あらゆる対人スキルが十歳の時からまるで成長していないのだ。


(ど、ど、どうしましょう……これから旦那様になる殿方にご挨拶をするには、一体どんな言葉が相応しいの? 全然わからないわ)


「……ん……」


 そうこうしているうちに、ジュードがむくりと首をもたげだした。セレナはドキッとその場で姿勢を正す。


「……ロウェル団長?」


 目を覚ましたジュードは、焦点を合わせるように何度か瞬きをしながらのっそりと上体を起こす。耳をつんざく雄叫びをあげていたとは思えない、低く落ち着いた声。凛とした切れ長の瞳。先ほどは気づかなかったが、すっと鼻筋の通った精悍な顔立ちはまるで彫刻のように美しい。

 別人かと思うほどの変貌ぶりに呆気に取られるセレナだが、見慣れた様子のロウェルは何ら動じることなく言う。


「やっと正気になったかジュード! お前の結婚相手になるセレナ・ヴェルディア嬢をお連れしたぞ」

「ケッコン……」

「そうだ、結婚だ! あ~違う、血痕じゃない」


 立膝をついたまま自身の騎士服に飛び散ったトマトスープの染みをじっと眺めるジュードに、ロウェルは呆れ顔でわかりやすい表現を模索している。

 セレナは、早く自分もご挨拶しなくては……と必死に言葉を探す。そしてロウェルの顔を見た途端、自分で言ったあの台詞が疾風のごとく頭をかすめた。


「ふ、不束者ですが、よろしくお願い致します……!」


 セレナは小さな唇から懸命に声を出し、頭を下げる。


(ロウェル様が『ジュードに直接言ってあげてください』とおっしゃっていたし、これならば間違いないはずだわ――)


 少しだけ肩の荷が下りた気分で、セレナはゆっくりと顔を上げる。

 ――ところが。


「……どういうことですか?」


 地を這うような低い声で呟いたジュードの眉間には、凄まじい怒りと明白な拒絶が漂っていた。

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