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飴色に染まる ─白き異能の令嬢は最強騎士の魔力を喰らい幸せをみつける─  作者: 綿谷ユーリ


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39 処刑台

 カチャリ、牢の鍵が開く。


「いただきます」


 収監されてから、二十八度目の食事が運ばれてきた。

 セレナはきっちりと手を合わせ、薄い麦粥を口に運ぶ。両手首には鉄製の太い手枷が嵌められ、左右を短い鎖が繋いでいる。そんな状態のためとにかく食べづらいのだが、セレナは根気よく食べ進めた。


(もう、十日は経ったわよね……)


 頭巾は外してもらえたものの、光の届かない地下牢で日付感覚を保つことは難しい。だが、朝昼晩と運ばれる食事の数を数えていたおかげで、おおよその日数を推測することはできた。


「ごちそうさまでした」


 セレナは静かに匙を置く。

 真っ青に染まっていた髪は既に完全なる白に戻り、薄汚れて絡まっている。ミラが美しく着付けてくれたドレスも、今や泥まみれで見る影もない。

 その姿は、一見すると生家で幽閉されていた頃に逆戻りしているようだが――セレナの心は、決して絶望してはいなかった。


(今は何も出来なくても、ごはんだけはきちんと食べておこう。……いざという時、全力で走れるように)


 ――コッ、コ、コッ、コ。

「っ?」


 不意に近づいてきた足音が、静寂を破る。

 石床を鳴らすその音は、どうもバランスが悪く左右差があった。ヒールの靴を思わせる硬い音質から女性の足音だとは思うが、それ以前に、セレナには気になることがあった。


(この足音。どこかで聞き覚えがあるような気がするわ……)


 思考を巡らせているうちにも、足音は徐々に大きくなる。

 薄暗い地下牢へ続く階段を下りてきたその人物は――ヴィオラと共にセレナを陥れた、使用人の女性であった。


「あなた、あの時の……。どうしてここへ?」

「…………」


 鉄格子の向こう側に立つ彼女は、どちらが囚人か、と尋ねたくなるほど憔悴していた。セレナの問いかけに応えることもなく、ただ深い闇が染み込んだ瞳を振り子のように左右に揺らしている。

 そして、しばしの沈黙の末に、ようやく口を開く。


「身支度をさせていただきます」

「えっ?」

「四時間後、王宮前広場にて……公開処刑の執行が決まりました」


 セレナの背筋に、ぞっと戦慄が走る。どうやら、先ほどの麦粥が最後の食事だったらしい。

 カチャリ、と使用人が牢の鍵を開けて中へ入ってくる。彼女は絹の手袋を嵌めた両手に、桶や櫛など身支度に必要な品を抱えていた。

 セレナが絶句していると、使用人は無言のまま物品を床に置き、不用心にも牢の扉を開け放したまま廊下へ水を汲みに行く。

 今なら逃げられる……! とセレナは両足に力を込めたが、セレナの自由を奪っていたのは手枷だけではなかった。右足首には、大きな鉄球に繋がれた足枷もついているのだ。

 セレナは石床に膝をつき、唇を噛む。そのうちに使用人が戻ってきてしまった。


「〝水よ沸け〟」


 使用人の一声で、桶の中の冷水から忽ち湯気が立ち始めた。彼女はその中にタオルを沈めると、固く絞ってからセレナの体を清拭し始めた。

 石床に打ち捨てられ、汚れて冷えきった肌。その上を温かいタオルがゆっくりと滑っていく。次第にセレナの体は本来の白さを取り戻し、じんわりと伝わってきた熱で頬に赤みも差してきた。

 こんな時だというのに、セレナの心は少しずつ解れていく。


(ヴィオラの側近の彼女が、どうしてこんなに優しくしてくれるのかしら……)


 そんな疑問は浮かんだが、ドレスの泥汚れにトントンとタオルを押し当てている彼女を見ていたら、尋ねる気が失せてしまった。何しろ、セレナが首に提げていた黄鉄鉱のネックレスさえも、丁寧に磨き上げてくれたのだ。

 衣服がある程度綺麗になると、使用人はセレナの背後に回って長い白髪を整え始める。


「足枷に巻き付いた髪の毛を取るので、少し痛むかもしれません」


 使用人は、セレナの真後ろから淡々と言う。セレナが「ええ」と頷くと、彼女は足枷の辺りをガチャガチャと触れ始めた。


「〝ょ……ぃ………〟」

「?」


 使用人が蚊の鳴くような声で何かを囁いた。続いて、キチキチキチ――と金属が軋むような音が微かに聞こえてくる。


(何の音かしら……?)


 耳のいいセレナでさえ、彼女が極小の声で呟いた言葉をはっきりとは聞きとれなかった。ただ、彼女が囁いた途端、元よりひんやりとした鉄製の足枷が一段と冷たくなったような気がした。


「準備が整いました。まもなく死刑執行人が迎えに参ります」


 使用人はそう言って立ち上がる。セレナはハッと現実に引き戻された。


「私はこれで失礼いたします」


 使用人は静かに一礼すると、見違えるほど美しくなったセレナと目を合わせたくないかのように、急ぎ足で牢の外へ出る。


「ぁ、待って!」


 彼女が鉄格子に施錠するのと同時に、セレナは叫んだ。


「えっと、その……ありがとう。こんなに綺麗にしてくれて」

「!」


 セレナがそう言うと、使用人は僅かに息を呑んだ。

 彼女は何か言いたそうに薄く口を開くが、震えた唇からは湿った吐息しか出てこない。何度も口を開いては閉じを繰り返す使用人を、セレナは戸惑いながら灰青色の瞳で見守る。


「……やはり兄妹なのですね」

「えっ?」

「私が信じていた正義とは、一体何だったのでしょう……」


 やっと言葉を紡いだ彼女の頬を、一筋の涙が伝い落ちた。


「晴天に恵まれることをお祈りしております、()()()()()()


 ――コッ、コ、コッ、コ。


 微かに左右差のある足音が、セレナの記憶を掻き乱す。

 彼女が歩くのが石床ではなく、古びた床板の上だったなら。

 彼女の履物が、王宮使用人が履く踵の高い靴ではなく、ヴェルディア家使用人の古い革靴であったなら。


「……ぁ……」


 きっと、もっと早くに気がついていただろう。


 ◆◇


 青空をまだらに埋める、薄い灰色の雲。

 湿った風が悪戯に雲を動かし、太陽を見え隠れさせている。

 そんな、この先晴れるのか雨になるのか予想のつかない空模様でありながら……王宮前広場は、鳩が羽を休める隙間もないほど人で溢れ返っていた。

 魔喰いが処刑される様をひと目見ようと思う者。

 悲劇に見舞われた水の妃を支持する者。

 公開処刑自体を物珍しく思う者。

 皆、集まる理由はそれぞれだが、視線だけは不気味なほどに同調し、処刑台ただ一点へと注がれていた。

 ワアァァッ――と、いきなり喚声が上がる。

 広場の中央に、全身を鎧で覆われた執行人と、滝のように白い長髪を靡かせた罪人が現れたのだ。

 執行人が、罪人の足枷につけられた(おもり)の鉄球を持ち上げる。続いて腰に提げた長剣で罪人の背中を小突き、処刑台の階段を上るよう促した。

 小柄な罪人は、わずかによろめきながらも自らの足で階段を上っていく。群衆はますます熱狂し、濁流が渦を巻くように不気味にうねり出した。

 そんな、凄まじい喧騒の中。


「……すまないジュード」


 処刑台を挟んで群衆と反対側。立会人である貴族家当主らのために用意された座席で、ロウェルが呟く。


「手は尽くしたが……結局、時間稼ぎにすらならなかったようだ」


 ロウェルは、セレナが収監された十日前とは別人のようにやつれていた。銀縁眼鏡の奥の目元には深い隈が現れている。

 そんな上官の隣に男爵家当主として身を置いていたジュードは、処刑台から目を離すことなく静かに口を開く。


「団長が謝る必要はありません。ご尽力ありがとうございました」

「……っ⁉ お前、セレナ様が処刑されるっていうのに、よくも冷静でいられるな!」

「俺に、魔力暴走を起こしてほしいということですか?」

「それは……っ」


 声を荒げたロウェルはしかし、その勢いを保ちきれずに口を噤む。

 そして、ふらふらと脱力しながら手のひらに顔を埋めた。


「違う、そうじゃない。そうじゃないが……くそっ、皆まで言わないとわからないか、この石頭め」


 ロウェルは深いため息を吐いてから、ゆっくりと顔を上げる。笑い皺の刻まれた目尻は、薄っすらと赤みを帯びていた。


「あぁそうさ。この状況で『信じろ』と言えるほど、俺は頼りがいのある上官ではない。だけどなぁ……せめて、涙の一粒くらい流してくれたっていいだろうよ? 俺が、必ず正気に戻してやるから――」


 ゴォォン、と鈍い音が轟く。

 処刑台の階段を上りきったセレナを見て、執行人が彼女の足枷に繋がれた鉄球を地面に落としたらしい。まるで船の碇を下ろすように、これでもう、細い体躯の彼女がその場から逃れることは叶わない。


「いえ、団長は良き上官()()()


 そのとき、ジュードが突然席を立った。

 ロウェルが「んっ?」と声を上げる。部下の言葉尻に違和感を覚えたのか、徐々に表情を強ばらせていく彼の前に、ジュードは懐から取り出した白い封筒を置いた。


「今まで本当にお世話になりました」

「は……? おい、ジュード」

「では」


 普段と異なり乱れた角度で一礼したジュードに、ロウェルがすかさず「待て!」と叫ぶ。

 しかし今のジュードにはもう、上官命令など存在しなかった。

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