37 生きたい
ガシャン、ガシャン、ガシャン――と金属が擦れ合う足音が近づいてきて、勢いよく部屋の扉が開かれる。
「どうした! 何があった!」
「えっと……あ、あの女が、ヴィオラ殿下に眠り薬を飲ませて、殿下の魔力を吸い取ってしまったのです! 早く拘束してください!」
使用人の女性は、なだれ込むように押し入ってきた鎧の衛兵達にぎこちない演技でそう告げる。セレナは声も出せずに目を瞠った。
「魔力を吸い取っただと……?」
「か、彼女は八年前にヴェルディア家で出現した魔喰いです!」
衛兵達は素早く室内を観察し、昏倒しているヴィオラと、髪を真っ青に染めたセレナを交互に見る。そしてすぐさま「捕らえろ!」と号令がかかった。
「気をつけろ! 肌に直接触れるなよ!」
「ま、待って、違うの……きゃぁっ!」
セレナは、指先まで甲冑を嵌めた衛兵達に取り囲まれる。手首を無理やりねじ上げられて、か細い悲鳴を上げた。
「――奥様!」
そのとき、開け放された扉の向こうからアルバートの声が聞こえてきた。別室に控えていた彼だが、騒ぎを聞いて駆けつけてきてくれたらしい。
「なっ……! これは一体、どういうことですか……!」
「信じて、私は何もしていないのっ」
セレナはもがきながら声を上げる。抵抗すればするほど硬い鎧が食い込んで、全身に痛みが走った。
「もちろんです、奥様」
アルバートはそう言って力強く頷くと、執事服の袖を捲り上げる。常に微笑んでいるような細い目がカッと見開かれ、左顔面の傷跡が歪んだ。
「皆様、どうか奥様から手をお放し下さい」
凄みの利いた声で言うアルバートからは、誰もが身震いしてしまうような威圧感が放たれていた。
「邪魔をするなら貴様も拘束するぞ!」
「おやおや若者は威勢がいいですねぇ。やれるものならやってごらんなさい」
しかし、あまりにも多勢に無勢だ。アルバートは余裕たっぷりにそう言うが、徐々に集まってきた衛兵達の数は既に十を超えている。
「〝水よ凍てつけ〟」
アルバートがそう唱えた途端、壁際の大きな花瓶がパァァンと音を立てて割れた。次の瞬間、中に入っていた水が生き物のように飛び出してきて、尖った氷の矢を無数に形作る。その全ての切っ先を衛兵達に向けると、彼自身の瞳にも鋭い眼光を迸らせた。
ところが。
――ドゴッ。
「ぐぁ……っ!」
何やら鈍い音が聞こえたかと思うと、アルバートの口から苦し気な呻き声が漏れだした。
宙に浮いていた氷の矢が全て落下し、彼の体がぐらりと傾く。そのままの勢いで、アルバートはドサッとうつ伏せに倒れてしまった。
横たわる彼の背後には、血の付いたティーポットを抱えた使用人の女性が、青ざめた顔で立っていた。
「――いやぁっ! アルバートさん、アルバートさん‼」
セレナは必死になって名前を呼ぶ。微動だにしないアルバートの後頭部からは、じわじわと赤黒い血が滲み出てきていた。
(あぁ、どうしよう……――ジュード様、助けて!)
心の中でそう願ったのも束の間。
「⁉」
セレナは何らかの布を頭から被せられ、何も見えなくなってしまった。
◇◆
息が苦しい。
瞼を開けても真っ暗だ。
「っ……?」
分厚い布の内側で荒い息を繰り返したせいか、セレナはいつの間にか気を失っていた。
水の離宮で捕らえられたことは覚えている。ただ、それからどのように運ばれたのか。どれほどの時間が経ったのか。ここがどこで、手足を締め付けているものが何なのか。セレナには何一つわからなかった。
――魔力吸収が不十分な彼の目の前で、お義姉様が処刑されたらどうなるかしら?
今になって、セレナはようやく異母妹の意図を理解する。
王族となったヴィオラに危害を加えたとあらば、セレナは間違いなく重罪人だ。このまま誤解が解けなければ、確実に首をはねられる。
(まさか、こんなことになるなんて……。約束を破ったこと、まだジュード様に謝ってすらいないのに)
セレナは布の内側で静かに涙を流す。
魔力を失っても構わないなんて、本音のはずがない――。
魔喰いの自分が側にいては、彼を不幸にしてしまう――。
そうやって勝手に相手の気持ちを推し量っては怖気づいていた時間が、今となっては酷く惜しい。
セレナはジュードと共に過ごす時間を、心から幸せだと感じていた。
愛していたのだ。
わかりにくい優しさや、不器用な笑顔。深い飴色の眼差しに、生真面目な足音。彼を形作る何もかもが、恋しくて堪らない。
この気持ちを伝えてはいけない理由など、本当はどこにもなくて。
「っ……ジュード様……ジュ……ド様……」
ただいつも、ほんの少しの勇気が、足りなかっただけなのだ。
「……し……くな……ぃ……、うぅっ……死にたく……ないっ……、このままお別れなんて……絶対にいや……!」
セレナはついに声を上げてすすり泣く。こんなにも『生きたい』と願うなんて、死にたがりの令嬢だった頃には想像もつかなかった。
と、そのとき。
「奥様、近くにいらっしゃるのですか?」
老齢な男性の擦れ声が、セレナの耳に届く。
「アルバートさん! 無事だったのね」
「ええ、何とか。奥様こそお怪我はございませんか?」
「私は平気よ」
セレナとアルバートの声はわんわんと反響し、互いにどの方角から話しているのかわからない。音の響き方から察するに、石造りの地下室か洞窟のようだ。
「アルバートさん。私、頭から布を被せられていて何も見えないの。ここはどこ?」
「おそらく王宮の地下牢かと存じます。それより奥様、何があったのか教えていただけませんか?」
アルバートに問われたセレナは、ヴィオラとのティーパーティーで起きた全てを彼に伝える。
「……なるほど。ヴィオラ殿下は、あたかも奥様が無理やり魔力を吸い取ったかのように仕向けたのですね」
セレナは「ええ」と答えながら、王宮舞踏会で見た精巧な氷細工を思い出す。
あれほど繊細に魔法を操れるようになるには、きっと血の滲むような努力が必要だったはずだ。自分を不幸に陥れるためだけに魔力を手放したのだとしたら、あまりにも虚しい。
「魔力を失ったとなれば、ヴィオラ殿下はまもなく王宮から追放されるでしょう」
「えっ?」
「水の妃は王国中の水魔法使いの憧れでなければなりません。魔法が使えなくなった妃は、結婚契約の破棄を言い渡されると法で決まっているのです」
アルバートが「無論、前例はないですが」と補足するのを聞きながら、セレナは絡んだ髪を櫛で梳いた時のような心地がしていた。
(そっか、ヴィオラは王子様と離婚するために、魔力を捨てたかったのね……)
セレナには、一所に閉じ込められる辛さが痛いほどわかる。
どんなにたくさんの使用人に囲まれていようとも、豪華なドレスや食事を与えられようとも、そこに自由がなければ惨めさは拭えない。まるでドールハウスのドールのように、他人の裁量でしか身動きが取れないのだから。
セレナが黙り込んでいると、アルバートは毅然とした口調で言う。
「奥様、同情の余地はございません。ヴィオラ殿下はご自身の都合で奥様に無実の罪を着せようとしているのです。極めて卑劣な思考です」
「……っ……」
セレナは咄嗟に『そうね』と言えなかった。
それどころか、なりふり構わず身勝手をできるヴィオラを、微かに尊敬すらしていた。
自分にも彼女ほどの勇気があれば――庭のひまわりが咲き誇る様を、彼と一緒に見られたのだろうか?
――ガシャン、ガシャン、ガシャン。
「!」
突然聞こえてきた、けたたましい足音。セレナはそれをすぐに衛兵のものだと確信し、何も見えないながらも身構えた。
「おいお前、外に出ろ」
ガチャリと鍵が開く音に続き、コト、コト、コト……と、四角い積み木を丁寧に積み上げていくような穏やかな靴音。これは間違いなく執事長アルバートのものだ。
「お前は釈放してもいいと命令が下った」
衛兵の声が聞こえてくる。確かにアルバートは自分を守ろうと立ち塞がっただけで、実際には誰にも危害を加えていない。
「いえ、わたくしは結構。奥様のお側におります」
「いいから早く歩け! 命令だ」
抵抗しようとするアルバートと、命令を遂行しようとする衛兵のやり取り。それを固唾を呑んで聞いていたセレナは、意を決して口を開く。
「アルバートさん、聞いて!」
「……奥様?」
「ヴィオラは、私を使ってジュード様に魔力暴走を起こさせようとしているの」
衛兵が「黙れ!」と声を荒げる。セレナも負けじと力の限り叫んだ。
「私は大丈夫。だからお願い、ジュード様のお側にいて差し上げて!」
アルバートがハッと息を呑む音が聞こえてくる。
「……承知しました」
そう言った彼の声は、少し湿っていた。
アルバートと衛兵の足音が徐々に遠ざかり、ついに、セレナは音を失った地下牢に一人で取り残される。
しかし、孤独と絶望に打ちひしがれていた生ける屍の姿は、どこにもない。
帰りを心待ちにしてくれているミラ。
危険を顧みず助けに来てくれたアルバート。
影ながら気を配ってくれるロウェル様。
心から『生きていてくれてありがとう』と言ってくれる――愛しい人。
今のセレナには、こんなにもたくさんの〝生きる意味〟がある。
(絶対に生きてここを出るのよ……諦めてはだめ)
どんな暗闇の中にいようとも、それらが胸の真ん中で輝いている限り――決して道を見失うことなどないのだ。




