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飴色に染まる ─白き異能の令嬢は最強騎士の魔力を喰らい幸せをみつける─  作者: 綿谷ユーリ


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36 叫び

 瞼を開けた瞬間、海の中にいるのかしら、とセレナは思った。

 行ったことも見たこともないけれど、目に映る何もかもが青く滲んでいて――きっとこれも記憶の続きなのね、と頼りない思考が働いたのだ。


「はぁ。やっと気がついたのね」

「……っ?」


 テーブルに片頬を打ち付けたまま気を失っていたセレナは、ふいに鼓膜を揺らした異母妹の声で現実に引き戻される。


「まさかあれっぽっちの眠り薬で三時間も寝てしまうなんて……あ、もしかして、最近寝不足でした?」


 つい今し方まで彼女そのものとなっていたセレナは、ヴィオラの姿が見えることに困惑しながら体を起こす。と同時に、さらりと顔の両脇を真っ青な髪が流れ落ちた。

 茫然とするセレナに、ヴィオラは悪びれる素振りもなく微笑みかける。


「ひとまず予定通りに済んで良かったですわ」

「えっ?」

「お義姉様は私の魔力を喰らい尽くしたのよ」


 ヴィオラの美しい微笑が、忽ち悪辣な冷笑に移り変わる。

 移ろいやすい彼女の頬を染め上げる西日を見て、セレナは自分が本当に三時間も寝ていたのだと徐々に理解した。


「……そうみたいね」


 青く染まった髪を耳に掛けながら穏やかに言うセレナに、ヴィオラは意表を突かれた様子で長い睫毛を上下に揺らす。

 それから、不愉快極まりないと言った様子で鼻根に皺を寄せた。


「なぁんだ。ライナスお義兄様を死に追いやったと()()()()()お義姉様なら、もっとみっともなく取り乱すと思ったのに。残念だわ」

「!」


 セレナの脳裏に、記憶の世界で再会した兄の姿が蘇る。

 溢れそうになる涙をぐっと堪え、何度か深呼吸をしてから口を開いた。


「……やっぱり」

「はい?」

「魔力を吸いながら、幼い頃のあなたの記憶を見たの。お兄様は全く絶望していなかった。自ら命を絶ったというのは嘘なのね?」


 セレナはそう言って、臆することなく夜空色の瞳と対峙する。他人の魔力を喰らい尽くした直後だというのに不思議と心は凪いでいて、日の当たる場所にとどまっていた。


「ふぅん。古書に記されていたことは事実だったのね。記憶を覗くだなんて、本当に気味が悪いわ」


 しかし、対面に座る異母妹の表情にはみるみる影が差していく。

 三時間前に顔を合わせた時にはあんなにも愛想よくにこにこしていたのに、今やひび割れた薄氷の如く上品な面立ちの随所に亀裂が走っていた。


「それで、お兄様はどうして……もしかして、今もまだどこかに……?」


 セレナは一縷の望みをかけて問う。


「いいえ。お義兄様が亡くなったのは事実よ」


 しかし、ヴィオラは容赦なく現実を突きつける。


「熱病でした。住環境が不衛生な貧民の間でしか伝染しないと言われている病だったから、醜聞を嫌ったお父様が、お義兄様亡き後に死因を偽って吹聴したの」


 難しい単語をいくつも並びたてる彼女の話しぶりは、積み上げられてきた教養の差を如実に表していた。

 セレナが「えっと」と呟き必死に理解しようと努めていると、ヴィオラは呆れたように肩を竦めて言う。


「わからない? 不名誉な病死より『魔喰いのせいで自殺した』と言う方が世間の同情を誘えるでしょう? それを聞いたお義姉様が死を選ぼうものなら、同時に厄介払いもできる。お父様にしてはなかなか賢い選択よね」


 ヴィオラがそう言った瞬間、ガタッ、と扉の方から異音がした。使用人の女性がうっかりティーワゴンに足をぶつけたらしい。

 その音にヴィオラも気づいたのか、ちょうどいいとばかりに手を挙げて彼女を呼び寄せ、自らのティーカップにだけ紅茶のおかわりを注がせた。


「魔力が無くなってからのお義兄様は、まるで呪いが解けたように奔放だったわ。魔法学校を自主退学したり、スラム街へ井戸掘りに行ったり。この古書をみつけるためかしら、何日も帰ってこないこともあったみたい」


 彼女は憂いを帯びた表情で紅茶に口をつける。


「本当、不思議よねぇ……。私は勉強部屋から一歩も出してもらえないのに、道を踏み外したお義兄様は好きなことをして過ごせるのですから」


 それからふぅっと熱いため息をつき、霧が晴れたように爽やかな声で言った。


「だから私ね。お義兄様がスラム街で病を貰ってきたとき、胸の痞えが下りた心地がしたのよ」

「えっ……?」

「やっぱりお義兄様の生き様は()()で、両親の言う通りお姫様を目指すのが()()なんだって、心底安心したの。おかげで、こうして迷うことなく目的地に辿り着けた」


 うふふっ、と無邪気な笑みを見せるヴィオラの顔に、ようやく年相応の幼さが宿る。

 セレナは一瞬、妹の言葉を理解できなかった。

 人生の大半を、無気力に、無目的に、ただ独りぼっちで息をしていただけのセレナには、誰かの不幸を眺めることで心が安らぐという経験が全くなかったのだ。


「なのに、どうしてかしら。ちっとも幸せがみつからない」


 口元にあどけない笑みを浮かべたまま、ヴィオラは視線だけを手元に落とす。


「いざ王子と結婚してみたら、妃は四人もいるし離宮から外にも出られない。何もかも投げ打って努力してきたのに、こんなの不公平だわ」


 目元はそのままに、唇だけを引き伸ばした微笑。何とも歪で、息を吹きかけただけで壊れてしまいそうだ。


(やっぱり……ヴィオラが自ら望んだ結婚ではなかったね)


 セレナは恐る恐る妹の頭に手を伸ばす。


「ヴィオラ……」

「やめてください」


 しかし、鞭を打つようなヴィオラの声に弾き返された。


「元はと言えばお義姉様のせいじゃない。魔喰いさえ発現しなければ、お義兄様が家督を継いで私が心身をすり減らすこともなかった。それなのに……自分だけ責任を逃れて、旦那様と仲良く王都の菓子店巡りですって?」

「!」


(いつの間に見られていたの……!)


 セレナはジュードとともに王都へ出掛けた日のことを思い返す。

 ヴィオラと再会したのは高級ブティックへドレスを受け取りに行った時だと思っていたが、それより前に街中ですれ違っていたのだろうか。


「私、もう疲れたの。どう足掻いても幸せになれないんですもの。それならいっそ――みんな地に落ちればいいわ」


 夜空色の瞳に、燃え盛るような嫌悪が宿る。震えた言葉尻を隠すように湯気が立たなくなった紅茶を飲み干すと、彼女は一転してにっこりと微笑んだ。


「ね? それが公平ってものでしょう?」

「待って、一体何をするつもり……?」

「エルファルド卿について調べさせてもらったわ。魔力暴走は激しい感情の昂りが誘因らしいわね。魔力吸収が不十分な彼の目の前で、お義姉様が処刑されたらどうなるかしら?」

「っ⁉」

「過去には街一つ丸ごと破壊したこともあるそうじゃない。うふふっ、そんなバケモノを飼っていたなんて、戦争に勝つためとはいえ、魔法騎士団長もなかなかの豪傑よね」


 ヴィオラの言葉を聞いた途端、セレナは体の芯が煮え滾るような感覚に襲われた。物心ついてから、ここまで明らかな怒りの感情を自覚したのは初めてのことだ。


「……ジュード様はバケモノなんかじゃないわっ! 戦争の道具みたいに言わないで!」


 灰青色の眼光を鋭くするセレナに、ヴィオラも負けじと目尻を吊り上げる。


「さあね。それを決めるのは私じゃない。なぎ倒される王都の人達だわ」

「!」

「わ、たし……だって……」


 そのとき、ヴィオラの呂律が突然回らなくなった。痙攣する瞼の隙間から、一筋の涙が頬を伝い落ちる。セレナは思わず言葉を失った。

 

「道具になんか……なりたく……なかっ……」

「えっ、ヴィオラ? ――ヴィオラ!」


 ヴィオラはバタンッとテーブルに倒れ込む。手にしていた空のティーカップが勢いよく転がり、紺色の髪に絡めとられた。


(まさか、紅茶のおかわりにも眠り薬が……⁉)


 魔力を失ったヴィオラに解毒はできない。それなのにどうして……、とセレナは困惑しながら紅茶を注いだ使用人を見る。セレナを水の離宮まで案内し、茶会の間もずっと側に控えていたあの使用人の女性だ。

 彼女はセレナと目が合うと、ビクッと肩を震わせた。

 四方八方へ目を泳がせたかと思うと、不意に意を決した様子で胸の前で拳を握り込む。

 それから、すうぅっと胸一杯に息を吸い。


「――きゃああぁぁあああぁぁぁっ‼」


 静謐とした水の離宮の空気を引き裂くように、甲高い叫び声を上げた。

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