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飴色に染まる ─白き異能の令嬢は最強騎士の魔力を喰らい幸せをみつける─  作者: 綿谷ユーリ


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35/41

35 光

≪ヴィオラは本当に聞き分けのいい子ね≫


 どことなく聞き覚えのある、女性の猫撫で声。


(誰の声だったかしら……?)


 光さえ届かない水底へと引きずり込まれていたセレナの意識が、ゆっくりと浮上していく。


≪あなたはたくさんお勉強して立派な淑女になるの。決して義兄(あに)義姉(あね)のような役立たずになってはいけませんよ?≫

≪はい。おかあさま≫


 徐々にはっきりと見えてきた視界の中央には、濃紺の髪をきっちりとシニヨンに結い上げた貴婦人の姿。その女性を見上げて、セレナは粛々と返事をする。


(違う、私じゃない……。きっと、ヴィオラの記憶を覗いているんだわ)


 おそらく、眠り薬で意識を失ったセレナの肌に触れて、無理やり魔喰いの異能を発動させているのだろう。

 出来ることなら誰の魔力も奪いたくはなかったセレナだが、こうなってはもうどうすることもできない。セレナは為す術もなく記憶の世界に身を委ねる。


≪魔喰いの噂が広まったせいで、ヴェルディア家は今とても苦しい状況よ。その上、次期伯爵のライナスまで魔力を失って……チッ、このまま没落されたら、家柄と金だけが取り柄の醜男(ぶおとこ)に嫁いだ意味がないじゃない≫


(この方はカミラお義母様ね。久しぶり過ぎて一瞬わからなかった……)


 セレナは目の前で爪を噛むカミラを眺めながら、ぼんやりと考える。

 今、セレナ――もとい記憶の中のヴィオラの視点の高さはカミラの臍上あたり。魔喰いの噂が広まった頃というと、ヴィオラが八歳頃の記憶だろう。


≪もうあなただけが頼りだわ≫


 口元に薄い微笑を湛えたカミラは、媚びた猫撫で声に戻って続ける。


≪ヴェルディア家の復興のためには、ヴィオラが血筋と羽振りの良いお相手と結婚するしかないの。つまり、どなたかしら?≫

≪はい。おうじさまです≫

≪その通りよ! さぁ、幸せなお姫様になれるよう、今日も頑張ってお勉強しましょうね?≫

≪はい。おかあさま≫


 セレナの意思とは無関係に視界が動きだす。幼いヴィオラが、カミラに手を引かれて歩き始めたらしい。

 懐かしいヴェルディア伯爵邸の廊下を少し歩いたところで、ヴィオラはとある個室に入れられた。背後でガチャリと鍵が閉まる。どうやら、カミラは部屋の扉に外から施錠して出ていったようだ。

 俯き加減で絨毯を見つめていた少女ヴィオラの視線が、ゆっくりと部屋の内部へ移る。


(……えっ?)


 セレナは思わず心の中で声を上げた。


≪おはようございます、ヴィオラお嬢様≫

≪ヴィオラお嬢様、昨日の宿題は終わっていらっしゃいますか?≫

≪今日はどの教科から始めましょう? ヴィオラお嬢様≫


 部屋の中には――床を埋め尽くすほど積み上げられた無数の本とともに――十人以上もの家庭教師が列をなして立っていたのだ。


≪……なんでもいいわ……≫


 ヴィオラは細い足でよろよろと本の隙間を歩き進め、机の前に腰掛ける。

 その途端、家庭教師達が競い合うように様々な知識をひけらかし始めた。あまりの情報量に目が回りそうになるセレナだが、当のヴィオラは楓の葉のように小さな手で彼らの言葉を懸命に書き写していた。

 その様子を追体験しているうちに、セレナはふとあることに気がつく。


(幼い頃のヴィオラは内気で引っ込み思案な性格だと思っていたけれど……きっと、いつだってへとへとで疲れ切っていただけだったんだわ)


 気づいた瞬間、景色がどろりと溶け落ち始めた。別の記憶に移り変わる時の合図だ。

 うっ、と吐き気を催しながらも堪えていると、少しずつ安定してきた視界の端に、また別の人影が見えた。


≪こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまうよ?≫


 春の陽だまりのような、柔く温かい声。

 金色の前髪に見え隠れする、垂れ目がちの瞳。


(……――ライナスお兄様!)


 あまりにも懐かしいその笑顔に、セレナは思わず声を上げて泣き出しそうになる。

 しかし、この世界でセレナはただの傍観者。今すぐ駆け出して兄の胸に飛び込みたくとも、視点主であるヴィオラの体はぺたんと床に座り込んだまま一歩も動いてはくれなかった。

 セレナはもどかしさに耐えながら、周囲の景色を観察する。窓から差し込む月明かり、規則正しく並ぶ書棚――どうやらここはヴェルディア伯爵邸の図書室のようだ。


≪眠いのならきちんとベッドで横になった方がいい。部屋まで送ろうか?≫


 埃っぽい匂いのするこの部屋で、どういうわけかヴィオラは書棚と書棚の隙間に座り込んでいた。そんな彼女に、ライナスはにっこりと微笑んで手を差し伸べる。


≪……ぃ≫

≪ん?≫

≪……いや……いやいやいやっ! もういやなの!≫


 突如視界が水浸しになったと思ったら、ヴィオラがすんすんとしゃくりあげる声が聞こえてきた。


≪お、落ち着いて。一体何があったんだい?≫

≪ぅうっ、でも、おかあさまが『おにいさまやおねえさまとなかよくしちゃだめ』って……≫

≪えぇっ、そうなの? 困ったなぁ≫


 ライナスは苦笑いを浮かべながらそう言って、床で泣きじゃくるヴィオラの隣に腰を下ろす。彼の腕には古びた本が抱えられていた。セレナが意識を失う前、ヴィオラが持ち出してきたあの古書だ。


≪それじゃあ僕は調べ物の続きをしているから、もし話したくなったら話して。眠りたいのなら肩を貸すし。何でもヴィオラが好きに決めていいんだよ≫

≪……へっ?≫


 わざわざ自分の側で胡坐をかいて本を読み始めるライナスに、ヴィオラの口から呆けた声が漏れた。

 青白い月光に照らされる義兄の横顔をぽかんと眺めていたヴィオラだが、しばらくして、おずおずと口を開く。


≪あ、あのね……ヴィオラ、おべんきょうがいやでにげてきちゃったの≫


 ゆっくりと話し始めたヴィオラを一瞥して、ライナスはどこか嬉しそうに口元に笑みを浮かべる。


≪ふふっ。そういうことか≫

≪っ! なんでわらってるの。ひどいわ!≫

≪ごめん、つい。それは大変だったね≫

≪そうよ。ヴィオラはたいへんなの。まいにちい~~~~っぱいやることがあるんだから! それもこれも、おにいさまとおねえさまがちゃんとしていないからなのよっ?≫

≪うんうん。その通りだ≫


 ライナスは相変わらずくすくすと微笑みながら、七つ年下の妹の愚痴に耳を傾ける。

 ヴィオラは威嚇する子猫のようにか細い唸り声を上げ、それからふと、兄が手にしている小難しい古書に目を落とした。


≪……おにいさまは、どうしてまだおべんきょうなんかしているのよ?≫

≪ん?≫

≪だって、つかれるでしょ? つまんないし、あそぶじかんもなくなっちゃう。おにいさまはもうまりょくがないから、おべんきょうしても()()()にも()()()()にもなれないのよ? それならいっそ、たくさんあそべばいいのに≫

≪ふふっ。ヴィオラはとにかく遊びたいみたいだね≫

≪っ!≫


 水の流れのように滞りなく喋っていたヴィオラが、ハッと口ごもる。視線がゆるゆると手元に落ち、意味もなく指同士を絡ませたり解いたり。どうやらとても恥ずかしがっているみたいだ。


≪確かに魔力が無くなった僕は、父上や義母上が理想とする立派な伯爵にはなれないだろう≫


 ライナスは古書をめくりながら言う。悲観的な台詞に反し、表情は幼子に絵本を読み聞かせているかのように穏やかだ。


≪僕らはみんな、知らず知らずのうちに近しい大人の影響を強く受けてしまう。自分の思想が染められていることに、なかなか気がつけない 。……だから子ども達は勉強をして、目を鍛えないといけないんだ≫

≪めをきたえる?≫

≪そう。何が本当に立派で、何が本当に幸せか、自分の目で見極められるように――≫


 首を傾げたせいで斜めになるヴィオラの視界の真ん中で、ライナスはさらりと前髪をかき上げ目元を露にしてみせる。


≪まだ冒頭しか解読できていないけど、この本によると、先代の魔喰いは忌み嫌われる存在ではなかったらしい。むしろ神様のように崇められていたんだって≫

≪そうなのっ?≫

≪世間は無責任だからね、善いも悪いも簡単にひっくり返る。それなのに、魔喰いだから幸せになれないなんて思う必要はないし、お姫様になれたら幸せになれると信じ込むのも間違いだ≫

≪そうなのっ⁉≫


 えぇ~っ、と落胆した声を上げるヴィオラの目を通して、セレナは春の太陽を嵌め込んだような兄の瞳に目を奪われていた。

 胸の風穴にうららかな光が差し、凍えた心がゆっくりと蠢きだす。


≪がっかりすることはないさ。幸せは、誰の側にもちゃんと座っているんだから≫

≪そんなのうそよ……。ヴィオラのそばには()()しかないわ≫

≪ふふっ。ヴィオラは十分目を鍛えているね。だけど、あと一つ大事な物が足りていない≫

≪! それってなにっ? おかね? いえがら? まりょく?≫


 ライナスは、ぐいっと身を乗り出したヴィオラを見下ろし、静かに首を横に振る。


≪いいや。地位も名誉も、貧富も魔力も関係ない≫


(あぁ……どうして私、今まで疑いもしなかったのかしら)


 生き生きと言葉を紡ぐライナスを見ながら、セレナは兄が自死したと聞いた日のことを思い出していた。明日を生きる意味を見失った、あの日の絶望を。


(お兄様が自殺なんかするはずがない。お兄様は……ライナスお兄様は……っ)


 いつだって。

 光魔法なんかなくたって。

 絶望から一番遠いところできらきらと輝いて。


≪人を愛する勇気があれば、きっと幸せをみつけられるはずだよ≫


 道を照らしてくれていたのだ。

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