32 憐れなバケモノ
王宮舞踏会会場、大広間の一角に。
「いやぁ~っ、さすがは侯爵様!」
騎士団長ロウェルの媚びへつらう声が、朗々と響き渡っていた。
「今後とも騎士団へのお力添えを、何卒よろしくお願い致します! ……ほら、ジュードもご挨拶するんだ」
上官に脇腹を小突かれたジュードは、平坦な低音で「初めまして」と口にする。その瞬間、横に立つロウェルからどっと殺気が溢れ出た。
「……は、ははっ! すいません侯爵様。こいつ、真面目な顔してよく冗談を言うんですよっ」
「? 俺は冗談なんて一言も」
「授爵式でもお会いしたのに『初めまして』って、ねぇ? はっはっは、実につまらん冗談だ! ……では、我々はこれにて」
引き攣った笑顔を浮かべたロウェルは、先ほどよりもはるかに強くジュードの脇腹を小突く。うっ、と痛みで一瞬息を詰まらせながらも、ジュードは促されるままロウェルに続いてその場を立ち去った。
比較的人の少ない壁際まで来ると、足早に歩いていたロウェルがくるりと翻ってこちらを向く。
「かぁ~、お前って奴はっ。どこまで俺に世話を焼かせれば気が済むんだ!」
「頼んでいませんが」
「頼まれなくとも焼くしかないだろう! あの御方は騎士団最大のパトロンなんだぞ?」
青ざめた顔で「支援金が打ち切られたらどうしてくれるんだぁ……」と頭を抱える上官を、実のところ、ジュードはほとんど視界にすら入れていなかった。
(ヴィオラ・ヴェルディア……いや、水の妃ヴィオラ。今さらセレナに近づいて来るなんて、一体どういうつもりだ?)
見守るというには鋭利過ぎる眼差しで、ジュードは大広間中央に目を凝らす。しかし、行き交う人があまりに多くなかなかセレナの姿を視認できない。
そのうち、説教にちっとも耳を傾けていないことがばれたのか、ぶつぶつと苦言を呈していたロウェルが不意に肩を組んできた。
「ッ、何するんですか」
「そんなに心配なら、なぜ意地でも側にいてやらない?」
ジュードは、ぎょっと目を見開く。
ただしすぐに表情筋の反動が起き、強張った瞼の隙間から刃物のような眼光を放ち始めた。
「なぜって、団長が手招きしたからですが。あと、腕どけてください」
「おいおい人のせいにするなよ。俺は、お前とセレナ様の二人を呼んだつもりだったんだ。セレナ様を置いてくると判断したのは、お前自身だろう?」
「……ッ」
悔しいが、ロウェルの言うことは正しい。
今朝勢い余って手の甲に口づけをしてから、セレナはずっと塞ぎ込んでいた。自分の感情が彼女の重荷になっているのかと思うと、体中に嫌悪が充満し、今すぐ己の心臓を握りつぶしてしまいたくなる。
それでもジュードは、セレナと交わした約束をひたむきに遂行していた。視線が交わらないことに打ちのめされながらも、彼女を守り支えるべく、懸命に平静を装って。
ところが。
――行ってらっしゃいませ。
微笑み混じりの一言で、最強騎士の心は呆気なく瓦解した。
もちろん、彼女に悪気がないことはわかっている。傷心するのは筋違いだということも。
ただ、ジュードにはその一言が、遠慮がちなセレナの本心に思えてならなかった。だからこうして、逃げるようにロウェルの呼び出しに応じたのだ。
「申し訳ありません。団長の言う通りです」
ジュードは素直に非を認め、世にも美しい角度で頭を下げる。
「全ては、俺がセレナを妹のようには思えなくなってしまったことが原因です。魔力吸収と関係なく触れたいと思ったり、用がなくとも顔が見たいと思ったり……。気がつけば、どこにいても、何をしていても、彼女が最大の関心事になっていたのです」
「ほ~ら、言わんこっちゃない」
「……なぜ少し嬉しそうなんですか」
「なぁに、気にするな。で、その浮かれとんちきが今こんなにも意気消沈している理由は何だ?」
「はい。実は――」
ジュードは今朝庭で起きたことを包み隠さずロウェルに話す。大して慕っているわけでもない、何なら少々鬱陶しいとすら思っている上官にここまで胸の内を曝け出してしまうとは。自分で思っていた以上に気が滅入っているらしい。
「はぁ~、本当に世話が焼ける」
全て話し終えると、ロウェルは腰に手を当てて藪から棒にそう言った。ジュードは思わず「?」と首を傾げる。
「セレナ様は、お前が魔力を失ってしまうと思って、慌てて手を振り払ったんだろう? お前のことが大切だと言っているようなものじゃないか」
「ッ! で、ですが俺は『魔力などどうでもいい』とはっきりと告げました。それなのに、ずっと距離を置かれたままで……」
「まあ、この国で魔力がどうでもいい人間なんて滅多にいないからな。誰だって魔法騎士が魔力を失っては大変だと思うだろう。それに、お前がこれまで何度も辞表を提出していると知っているのも俺ぐらいだ」
「要するに、彼女は俺の言葉を信じていないということですか?」
「だな」
ジュードは目の前が真っ暗になる。
好意を持たれていないことより、信じてもらえていないことの方がよっぽど辛い。
「待て待て。この世の終わりみたいな顔をするんじゃない」
ロウェルはそう言って、ふらふらと足元が覚束なくなったジュードの両肩を揺さぶる。
「夫婦円満の肝は対話だ。まずはセレナ様の話を聞いてやれ」
「……話してくれるでしょうか? 信用されていないのに」
「お前が信じて待ってやらないでどうする。くれぐれも問い詰めたり急かしたりするなよ? 取り調べのような真似をしたら、十中八九嫌われるぞ」
「きら……ッ⁉」
「少し距離を置いて、彼女に考える時間を与えてやりなさい。その間にお前も頭を冷やすんだっ」
ロウェルにバシッと背中を叩かれたジュードは、二、三歩よろめいてから力なく「はい」と答える。
一体いつから自分はこんなに体幹が弱くなったのだろう、と不思議に思いつつ顔を上げると、人混みの隙間から不意にセレナを目視できた。
戸惑った表情を浮かべる彼女の耳元に、ヴィオラ妃がほくそ笑みながら深紅の唇を寄せていく。
澄んだ冬空に似たセレナの瞳が――愕然と見開かれる。
「……ッ!」
その瞬間、ジュードの中で何かがプツンと切れた。
きつく張った弦が断たれたような衝撃が、脳を上下左右に激しく揺さぶる。
「どうしたジュード? ……なっ、お前、俺の話聞いてたか?」
背後から「おい!」と呼びかける上官の声は耳に届いておらず、ジュードは一直線にセレナの元へ歩き出す。凄まじい剣幕のせいか、自然と人混みがジュードを避け、道が開けていった。
「っ、ジュード様?」
早々に戻ってきた自分を見て、セレナが驚いたように声を上げる。彼女に耳打ちしていたヴィオラ妃もきょとんとニ、三度瞬きをする。
「あらエルファルド卿、随分とお早いお戻りですこと。もう少しゆっくりしていらしたら?」
「恐縮ですが妃殿下、妻は体調が優れないようです」
「はい?」
「我々はお先に退席させていただきます」
言葉とは裏腹に、ジュードは微塵も恐縮することなくヴィオラ妃を睨みつける。あまりに禍々しい形相に、終始飄々としていたヴィオラも「え、ええ……」と気圧された様子で頷いた。
「帰るぞセレナ」
「えっ? ぁ、ぉ、お待ち下さいっ」
ジュードは戸惑うセレナの手を取り、強引に会場を後にする。広い王宮の廊下を脇目も振らずに歩き進め、馬車を目指した。
「ぁ、あのジュード様……私、戻らないと」
正門まで出たところで、セレナが背後からおずおずと声をかけてきた。ジュードはぴたりと足を止める。
「ヴィオラがおかしなことを言っていたのです。きちんと話を」
「――俺とは何も話したくないのにか?」
ジュードは彼女に背を向けたまま、己のつま先に向かって言う。
(クソッ……。こんなことを言って何になる)
頭ではそう思っているのに、体が言うことを聞かない。
「妹のところに行きたいのなら行くといい。今の君は、俺と一緒にいるとひどく居心地が悪そうだ」
「っ! そ、そんなことは……」
「いっそのこと、今すぐ俺の魔力を吸い尽くしたらどうだ? そうすれば、俺は一生魔力暴走に悩まされずに済むし、君を縛り付けておく必要もなくなる。どこへでも好きな所へいけるぞ?」
耐え難いほど熱を持った喉を冷ますように、言うべきではない言葉ばかりが口を衝いて出てきてしまう。
どうして好きでもない上官の前では素直になれるのに、愛する妻の前では心にもないことばかり言ってしまうのか。自分で自分に腹が立って仕方がない。
(とにかく今すぐ撤回して謝るんだ……)
そう決意したはずのジュードだったが、振り返ってセレナを見下ろした途端、頭が真っ白になってしまった。
「……っ……」
彼女は小さな唇をきつく噛み締め、必死に涙を堪えるように目尻を赤く染めていたのだ。
王宮の敷地で見るその表情には、叫び出したいほど見覚えがある。
「わがままを言ってごめんなさい。大人しく帰りますね」
セレナは歪に微笑むと、震える声でそう呟いた。
飴色の髪をなびかせ、絶句する自分の脇を静かに通り過ぎ、一人で馬車に乗り込んでいく。
(彼女を愛したいだなんて……破壊するしか能がないことを忘れたか、バケモノめ)
セレナの心が粉々に砕け散る様を目の当たりにしながら、ジュードは、地面に血が滴るほど強く拳を握り締めることしか出来なかった。




