31 冷たい手のひら
止めどなく繰り返される三拍子。
ルシアン王子とヴィオラを筆頭に、参加者達は皆オルゴール飾りのようにくるくると踊ってフロアを彩る。
「上手く踊れているだろうか?」
ジュードが不安そうにセレナを見下ろして尋ねる。
「はい。とてもお上手です」
お世辞ではなく、ジュードのダンスは昨晩とは別人のように上達していた。普段の練習ではいつもどこか狼狽えた様子で、こんな風に落ち着いてステップを踏むことなど一度もなかったのに。
「良かった。君のおかげだ」
彼は穏やかな声でそう言って、口数の少ないセレナを気遣うようにゆったりと足を運ぶ。どうやら、すっかり社交ダンスを習得していたらしい。
(これで本当に、私がジュード様のお役に立てるのは魔喰いの力だけになったのね……)
けれどその異能も、いつ牙を剥くかわからない代物だ。
彼の魔法騎士としての道程を破壊するかもしれないし、職を失い困窮するかもしれない。周囲から見下されるかもしれないし、今まで当たり前にできていたことができない悲しみに呑まれてしまうかもしれない。
そうなったとき、セレナは決して自分を許せないだろう。
もう二度と、生きる価値を見出すことなんか――できない。
「……っ……」
セレナは目の前のジュードから視線を逸し、闇雲にフロアを眺める。すぐ隣では、ロウェルと夫人が寄り添い合ってステップを踏んでいた。見つめ合う二人の間には目に見えずとも確かな繋がりがあって、セレナは羨ましいというより情けない気持ちになる。
ジュードの記憶を幾度となく見てきたセレナは、ロウェルが彼の父親代わりになろうと努めてきたことを知っている。だからこそ、自分と彼をただ引き合わせるだけではなく、何かと気にかけてくれていたのだろう。
ロウェルはきっと、セレナとジュードが心を通わせることを、切に願っているのだ。
(ごめんなさいロウェル様……。やっぱり、魔喰いの私には無理みたいです……)
背中に添えられた手のひらはとても温かいのに、胸の真ん中はひどく寒い。
しんしんと冷え込むセレナの心は、やっと取り戻しかけていた感情の欠片までも固く氷結させていった。
そのとき、永遠に続くかに思われた演奏がようやく一段落した。参加者達は方々にばらけて歓談を始める。
「疲れただろう? 少し端の方で休もう」
「……いえ、私は平気です」
心配してくれるジュードに、セレナは淡々と返事をする。突然人形のように表情が消えたセレナを、ジュードは少し驚いた様子で見下ろす。
「それより、他の貴族家の皆様にご挨拶をして回らないと。私達は低級貴族ですので、こちらからご挨拶に行くのが暗黙のルールなのです」
新米男爵のジュードが社交界で爪弾きされぬように、と思って提案したセレナだが、彼の表情は途端に険しくなった。
「……それは必須なのか? 君の休憩より優先すべきとは到底思えないが」
「何もお声をかけずにいては、無礼な家と見做されてしまいます。一言でもいいですから」
セレナは諭すような口調で言う。
「限られた社会でしか通用しない階級など、心底どうでもいいが……。君まで侮蔑されるというのなら仕方がない」
ジュードは眉を潜めながらもサッとセレナに腕を差し出す。新婚当初、あれほど上下関係に厳密だった規範的騎士の台詞とは思えない。
セレナは彼に敬語で話しかけられていた頃を懐かしく思い出しつつ、逞しい二の腕に手を添える。
二人が歩きだそうとした、そのとき。
「ひゃっ!」
突如、両頬にぺたっと冷たいものが触れた。
と同時に、会場内のざわめきが急に遠ざかる。
「セレナ⁉」
ジュードの声で、セレナはハッと我に返る。一瞬何が起こったかわからなかったが、どうやら背後から何者かに耳を塞がれたようだ。
極限まで肌の露出を減らしたドレスにおいて、唯一晒されていた顔面と両耳。まさかそんなところを人に触れられるはずがないと油断していたセレナは、混乱しながら咄嗟に毛先を見る。
飴色に染まりきっていたはずの髪の先端には――じわりと濃紺が滲んできていた。
「みぃつけた」
川のせせらぎのように涼しい女声。
耳を塞ぐ手のひらから大慌てで逃げおおせたセレナは、目を白黒させながら後ろを振り返る。
「お久しぶりですわ。セレナお義姉様」
背後から不躾に触れてきたその人物は――異母妹ヴィオラだった。
「……ぇ……?」
「あら、久しぶり過ぎて妹の顔を忘れてしまいました?」
彼女はうふふっと唇を三日月型に引き伸ばし、愛想よく微笑む。周囲にルシアン王子の姿はなく、ヴィオラ一人だけだった。
(やっぱり私を探していたんだわ……)
冷えた血が全身を巡って、ぞっと悪寒が走った。
別に彼女自身に強い恨みがあるわけではない。ただ、あまりにも目的がわからなくて不気味なのだ。
せっかく王子様と結婚できたばかりだというのに、魔喰いの自分を探し出し、あろうことか素手で触れてくるなんて……全てが水の泡になったらどうするつもりなのだろう?
「妃殿下。妻に何か御用でしょうか」
言葉が見つからないセレナを庇うように、ジュードが一歩前に出た。口調こそ恭しいが、眼差しには剥き出しの敵意が浮かんでいる。
「……ふぅん、あなたがあの最強と謳われる魔法騎士様ですね?」
強面のジュードを前にしても、ヴィオラは怯むどころか鼻であしらうような口調で言う。腕を組み胸を張った立ち姿は、セレナが記憶している頃の内気な少女とは似ても似つかない。壇上で王子の隣に立っていた陰鬱な面差しの女性とも、全くの別人だ。
まるで二重人格者のように悪戯な笑みを湛える彼女を前に、セレナの頭はますますこんがらがっていく。
「確かエルファルド卿といいましたか。お噂はかねがね伺っておりますわ。先の戦争で勝利できたのはあなたの活躍があってこそだと、ルシアン殿下もおっしゃっていましたよ」
「恐縮です」
「尋常ならざる魔力量で大暴れして、自国軍ごと敵兵を打ち負かしたのですものねぇ?」
何食わぬ顔で言うヴィオラに、ジュードが「ッ!」と息を呑む。
「ふぅん、お姉様の髪が飴色ということは土属性ですか。なるほど私の水魔法の青を同時に吸収すると、黒に近い濃紺に染まるようですねぇ」
しかしヴィオラは、ただ平然とセレナの髪色を眺めていた。
「さて、世間話はこれくらいにしましょう。エルファルド卿、少し席を外していただけませんこと? お義姉様と二人で話がしたいの」
「ッ? ですが……」
「ほら、あの辺りに騎士団と繋がりが深い貴族家の皆さんが歓談されていますよ? ご挨拶に行かれた方がよろしいかと」
ヴィオラが目線をやった先には、数人の有力貴族とともにロウェルの姿があった。彼はジュードと目が合うと、『お前も来い!』と言わんばかりにパタパタと手招きをし始める。ジュードは不愉快そうにぎゅっと眉頭を強張らせた。
「私なら大丈夫です。行ってらっしゃいませ」
セレナは微笑みながら言う。
彼にとって上官命令は絶対のはず。ならば、少しでも気兼ねなく行ってもらいたい、という気遣いゆえの笑顔だったのだが。
「…………わかった」
不自然な間をおいてやっと返事をした彼の瞳は――深い闇に呑まれて漆黒と化していた。
みるみる色彩を失っていくジュードに、セレナは思わずたじろぐ。その顔は怒っているようにも、悲しんでいるようにも、はたまた諦めているようにも見えた。ただ一つ明らかなのは、自分の言動が彼を不快にさせたということだ。
煉瓦のように四角い背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。それを見ていたセレナは、ようやく原因に思い至り音もなく息を呑んだ。
(『お側を離れない』『ヴェルディア家と関わらない』……私ったら、ジュード様と交わした約束を、両方破ってしまったのね)
激しい後ろめたさに、胸がキリキリと痛みだす。呼び止めようにも、既に彼の姿は人混みに紛れて見えなくなっていた。
セレナは為す術なく、ヴィオラの方に向き直る。
「それで、私に話って何なの?」
知らぬ間に自分の身長を追い越していた彼女を見上げて尋ねると、ヴィオラは口元に手を添え、セレナの耳元で囁く。
「……お義姉様、魔喰いの異能を使いこなしたくはないですか?」
セレナは思わず「えっ」と面食らう。
使いこなすも何も、そんなの考えたこともない。心臓を手足のように思うがまま動かせないように、触れただけで発動してしまう異能の手綱を取ることなど不可能。ずっと、そう思いこんでいた。
「ご存じない? 魔喰いの力は制御可能ですのよ」
「! そ、それって、つまり……!」
「うふふっ、そう慌てずに。ここでは人が多すぎますわ」
ヴィオラは澄んだ星空のような瞳をきらりと瞬かせると、愕然と立ち尽くすセレナに再び耳打ちした。
「二週間後、私が主催するティーパーティーにお越しくださいな。詳しい話はそのときに――」




