30 王宮舞踏会
続々と到着する、豪華絢爛な馬車。
一定間隔で立つ、物々しい魔法騎士。
国内外から集まってきた王族や貴族達は、皆堂々とした足取りで王宮の正門をくぐり抜けていく。
そんな中、比較的質素でとびきり欝々とした雰囲気の馬車が一台到着した。
「セレナ、手を貸してもいいだろうか?」
「はい……」
先に降りた漆黒の髪の騎士は、続いて降りようとする夫人へ遠慮がちに声をかける。夫人の受け答えも、どこか他人行儀でよそよそしい。同じ馬車から出てこなければ、誰も二人を夫婦だとは思わないだろう。
ただし――飴色の髪の夫人を見つめる騎士の瞳だけは、何か強い感情を内包しているように煌めいていた。
(どうしよう……もう舞踏会が始まってしまう)
今朝の一件でジュードと気まずくなってしまったセレナは、そんな彼の眼差しに気づく余裕もなく俯きながら歩みを進める。王宮の敷地に足を踏み入れるのは授爵式以来だ。
あの日と違い良く晴れた真昼の空は、底なしに高く青い。しかし、ジュードの魔力を大量に吸い取ってしまったセレナの表情は、分厚い雲に覆われていた。
ほんのひと月前――今着ているこのドレスを買いに街へ出かけた時には、彼に手を繋いでもらうと安心して居心地が良かったはずだ。
それなのに今は……腕を借りてエスコートしてもらっても、息遣いさえわかるほど近くにいても……彼を、ずっと、ずっと、遠くに感じる。
――俺はどうやっても君を妹とは思えないようだ。
いかに恋愛事に疎いセレナでも、あれほど熱の籠もった眼差しを向けられておいて、その意味に気づかないほど鈍感ではない。
けれど……視界の両脇を流れ落ちる飴色の髪を見ると、どうしても考えてしまう。
彼の想いに応えるということは、正真正銘の夫婦になるということだ。
魔力吸収のための便宜的な関係ではなく、愛し合い、子を成し、幸せな家庭を築いていきたいと、当然のようにジュードは思うだろう。
だけどセレナには、それができない。
触れるだけで害をなすこの体では、どう足掻いても〝幸せな家庭〟を彼に与えてあげられない――。
ただでさえ不幸な形で家族を失っているジュードにそれを諦めさせることは、セレナにはあまりにも身勝手な選択に思えた。
(今朝のように異能が暴走することがあると知った今、なおさらお気持ちに応えることなんかできないわ……。ジュード様は魔法騎士ですもの)
魔法騎士団に拾われた彼が厳しい鍛練を重ねてきた過程を、セレナは幾度となく記憶の中で見てきた。魔力などどうでもいいというのは、きっと気が動転していた自分を落ち着かせるための優しい嘘なのだろう。
「その髪色も綺麗だ」
青い顔をして歩くセレナを気遣うように、ジュードの優しい声が頭上から降り注ぐ。
「白髪よりも、ヴェルディア家の人々に気づかれにくいだろうしな」
「……ええ」
セレナは声をかけてくれたジュードを見上げることも出来ず、己のつま先に返事をする。もしも彼が微笑んでいたらと思うと、うっかりわがままな選択をしてしまいそうになる自分が恐ろしかった。
「お~い! ジュード、セレナ様!」
そのとき、背後から不意に呼び止められた。
振り返ると、正門近くに正装姿のロウェルが立っていた。彼は美しい夫人をエスコートしながら、笑顔で手を振りこちらにやってくる。
ジュードは胸に拳を当て、騎士風の礼をした。つられてセレナもちょこんと膝を折る。
「ご無沙汰しておりますセレナ様。これはこれは、少しお会いしない間にますますお美しくなられて!」
ロウェルは、出会い頭にセレナの出で立ちを褒め称える。
瞳の色に合わせた灰青色のドレスは、詰まった首回りから長袖の先に至るまで総レース仕上げ。腰から下は花束を逆さにしたようにふんわりと広がっている。手にはショート丈のグローブをはめ、ドレスに隠れた胸の谷間に黄鉄鉱のネックレスを忍ばせていた。
飴色の髪にも間違いなく気づいているはずだが……ロウェルはそれにはまるで言及することなく「お元気そうで何よりです」と続ける。
「我々のような騎士出身の貴族家には肩身の狭い場でしょうが、まあ、お互い悪目立ちしない程度に音楽や食事を楽しみましょう! 行こうかエリーゼ」
そう言って、ロウェルは颯爽と夫人をエスコートしながら会場へ入っていく。ぎこちない空気の漂うセレナ達とは対照的に、グレイ夫妻からは甘く睦まじい雰囲気が溢れていた。
「俺達も行こう」
ジュードが低い声で言う。セレナは沈んだ表情のまま頷き、彼の二の腕に手を添えながら会場内に入る。
「……ぅ、わ……」
宮殿の大広間は、第二王子ルシアンの結婚を祝うために集まった参加者で大変な賑わいを見せていた。
人々の話し声が幾重にも重なり、セレナの鼓膜をギシギシと軋ませる。行き交う人の多さや極彩色のドレスの数々は目が眩むほどだ。
警備のためか窓は一つも開いておらず、セレナ達の背後で扉が閉まると、大広間は完全な閉鎖空間となる。
「セレナ、大丈夫か?」
思わずジュードの腕を掴む力をきゅっと強めると、彼が心配そうにこちらを覗き込んできた。
セレナは、大丈夫ですと答えるつもりで口を開いたが、擦れた吐息しか出なかった。その様子を見たジュードは、セレナと目線を合わせるように腰を屈めて言う。
「心配するな。俺が側にいる」
「……っ……」
真っ直ぐに向けられる視線。
セレナは手に口づけされた時のジュードの表情を思い起こし、ぐらりと心が揺さぶられる。既に『彼の好意に応えるべきではない』と結論は出ているのに、こんな時だけは守ってもらおうなんて虫が良すぎる。
「……ありがとうございます。もう平気です」
セレナはふぅぅと長細い息を吐き、自らに言い聞かせるように呟いた。
灰青色の瞳が、灰の色味を増していく。
徐々に凪いできたセレナの心は……暗く閉ざされたあの部屋へと、いつしか逆戻りしていた。
「――♪」
突如、華やかなファンファーレが響き渡る。
と同時に、大広間正面の壇上にゆっくりと二人の人影が現れた。本日の主役、第二王子ルシアンと水の妃ヴィオラだ。
「友好国の皆様、本日は遠路はるばるお越しいただき誠にありがとうございます。我らがファレーズの貴族諸君らにも感謝する。紹介しよう――我が水の妃ヴィオラだ」
威風堂々と登壇したルシアンは、隣に立つヴィオラを一瞥して高らかに宣言する。ヴィオラの胸には、なぜか取っ手付きの大きな水瓶が抱えられていた。
紹介を受けた彼女は、重たそうな水瓶を抱いたまま軽く膝を折り礼をする。すらりと長い濃紺の髪が、液体のようにしなだれる。
「〝水よ凍てつけ〟」
顔を上げたヴィオラが口にしたのは、形式ばった挨拶の言葉ではなく水魔法の呪文。彼女はそれを静かに詠唱し、手にしていた水瓶をそっと傾ける。
透き通った水が螺旋を描いて床に流れ落ちる――と思いきや、水は空中で瞬く間に凍りつき、みるみる何らかの氷像を形作っていった。
セレナが呆気に取られているうちに、ヴィオラは完全に水瓶を逆さにし、最後の一滴までもが氷像と一体化する。
(すごい……!)
それはファレーズ王国王家の紋章だった。複雑な模様の細部まで正確に再現され、シャンデリアの光を浴びてダイヤモンドの如く輝いている。氷でできているとは思えない緻密さに、セレナは思わず舌を巻いた。
「王族の結婚披露宴では、妃が何らかの形で己の魔力を示すことが慣例となっている。祝賀演出のようなものだ」
目を見開いたまま立ち尽くすセレナに、ジュードが声をかける。
「それにしても、妹君の水魔法の腕は圧巻だな。魔力量はともかく、扱いの精密さがずば抜けている」
「ええ、本当に驚きました……」
引っ込み思案だった幼少期とは別人のように堂々としたヴィオラの姿を、セレナはつい無遠慮にじっと眺める。
平然とした顔で壇上に立つ彼女は、会場から割れんばかりの大拍手が巻き起こってもひたすら陰鬱とした眼差しで直立していた。夜空のような黒紫色の瞳で、参加者全員のつむじをなぞるようにゆっくりと会場全体を見回し――。
「っ?」
セレナと目が合った途端、カチッと歯車がかみ合ったように微動だにしなくなる。
(まさか、私のことを探していた……?)
セレナは咄嗟に目線を逸らす。
妹といっても今までまるで親交はなく、セレナが幽閉されたときも、ジュードの元に嫁ぐことになったときも、彼女はセレナなど視界にも入っていないかのように全く無関心だった。
それなのに……どうして今になって、ああも凝視してくるのか?
疑問は膨らむばかりだが、セレナは『極力ヴェルディア家と関わらない』とジュードと約束している。目を合わせるわけにはいかないのだ。
「~♪」
音楽隊が、優雅なワルツを奏で始める。
それを聞いたジュードが、こちらに向き直って少々緊張した面持ちでセレナの手を取った。
(……余計なことを考えてはだめ。今はダンスに集中するのよ)
セレナは人知れず唇を噛み、背中へ回される大きな手の温もりだけを必死に感じ取ろうとしていた。




