3 王都へ
魔法騎士団の紋章がついた立派な馬車の中に、これまた立派な甲冑を纏った壮年の騎士と、何やら真っ黒な布で覆われた小柄な人影。
「セレナ嬢、もうベールを脱いでいただいても構いませんよ? 貴女に触れないよう気をつけるべきは我々であって、貴女が気を遣う必要はないのですから」
「っ、いえ、このままで……」
セレナは布を被ったままぶんぶんと首を横に振る。馬車が揺れて、万が一にでもロウェルに触れてしまったら取り返しがつかない。それなら多少息苦しくても、このままベールで覆われていた方が安心だと思ったのだ。
遡ること小一時間前――セレナがロウェルと共に生家を出る決心をした後のこと。
「それでは、セレナ嬢には魔法騎士団の本部がある王都に来ていただきます。我々としては今すぐにでもお越しいただきたいのですが……荷造りやご家族ご友人とのお別れに何日ほどかかりそうでしょうか? 迎えの馬車の手配を」
「そんなもの必要ない! とっとと連れて行ってくれ」
「……伯爵様はそうおっしゃっていますが、どうします? セレナ嬢」
「ぁ、私もそれで構いません。荷物も友人もいないですし……」
心配そうな笑みを浮かべて「本当によろしいですか?」と尋ねるロウェルに、セレナはこくんと頷いた。傷つけられることに麻痺しているセレナの心は、この程度の父の言動ではもはや何の痛みも感じなかった。それに、セレナ自身も今すぐにでもこの家を出たかったのだ。
こうしてセレナは、肌の露出を隠すための特大のベール、長手袋、長靴下、あとは八年間伸ばしながら履き古したボロボロの革靴だけを身に付けて、ロウェルの乗ってきた馬車に乗り込んだ。
実の娘が嫁入りに行くというのに、父からは何の餞別も挨拶もなかった。邸のどこかにいるはずの継母と異母妹も、結局最後まで顔を見せなかった。使用人達ですら、各々の仕事に忙しく出立するセレナに無関心であった。セレナはそれを寂しいとは思わなかった。ただ、自分がとっくにヴェルディア家の一員ではなくなっていたことを知り、もう二度とここに帰ることはないのだと、やけに平静と考えた。
(……私にはもう帰る場所がない。この結婚が破談になったら、いよいよ死ぬしかないわ)
実際のところ、九割九分破談になるだろうとセレナは思っていた。他人に触れられないセレナでは、結婚の最大意義といってもいい世継ぎを得るための行為が出来ないからだ。
結婚してから不妊に悩む家庭は多くあれど、結婚する前から子孫を産めないことが明らかな女性と結婚したい男性などいるはずがない。
だから、こうして馬車に揺られている今も、セレナは遅かれ早かれ『この話はなかったことに』と言われるに決まっていると思っている。それでもロウェルについてきたのは、死ぬ前に一度でいいから邸の外に出たかったから、そして魔喰いの異能を見込んで自分に求婚してきたジュードという騎士にわずかながら興味を持ったからだ。
(この能力が何かの役に立つとは到底思えないけれど……。一体、どんな方なのかしら?)
セレナとロウェルが乗った馬車は、王国北部にあるヴェルディア家の領地から王都へと南下していく。
馬車窓から見える景色は、見慣れた針山のような針葉樹林から、もこもこと柔らかそうな広葉樹林に変わってきた。ガタガタと小石に乗り上げては跳ねていた馬車の揺れも次第におさまり、気づいた時には舗装された道を滑らかに走っていた。春を迎えて間もない王都の街は活気に溢れ、家々の軒先や沿道には色とりどりの花が咲き乱れている。ベールに覆われたままのセレナには、窓の外の景色がぼやけてしか見えなかったが、それでも八年ぶりに吸う外の空気や、花の香り、青空の高さはセレナの心を震わせた。
「まもなく魔法騎士団本部に到着します」
空の淵が茜色に染まり始めた頃。目抜き通りを走っていた馬車が脇道へと進路を変えたところで、ロウェルが言った。
窓の外を見ると、ごつごつとした石材で造られた要塞を思わせる巨大な建造物が近づいて来ていた。周囲はセレナの身長の倍はありそうな高い石壁でぐるりと囲まれ、四方に円柱型の物見塔が建っている。正面には騎士団の意匠が彫られたアーチ形の城門があり、鋼鉄で出来た格子状の柵が下りていた。
セレナ達の馬車が近づくと、門番をしていた騎士が敬礼し、鎖を引いて重たそうな鋼鉄の柵を上げていく。
「うわぁ……」
城門を抜けた先は、とてつもなく広い空間が広がっていた。
灰色の石材が敷き詰められた地面には、白い石材を嵌めて作られた正方形が一定間隔で並んでいる。馬車一台がすっぽりと入るくらい大きい正方形が、ざっと五十個。質素だが均整の取れた美しい広場を取り囲むように回廊があり、さらにその奥の建物が騎士達が過ごす施設のようだ。
「この屋外広場は、騎士団員が全て整列できる広さになっています。普段は修練場として利用しているので騒がしいのですが、ちょうど夕食時なので誰もいませんね」
(そっか。この正方形はきっと、修練をするときの一人分のスペースなのね……)
「さあ、降りましょうかセレナ嬢」
「っ⁉」
ロウェルは一足早く馬車から降りると、さっと振り返ってセレナに手を差し伸べた。
手袋をしているとはいえ、何の抵抗もなく自分に触れようとする彼に驚いたセレナは、必死に「だ、大丈夫です」とお断りしながら一人でそろりと馬車を降りた。
と、そのとき。
――ドォォォン!
不意に、建物内部から凄まじい物音が聞こえてきた。何かが爆発したのかのようなその音に続き、「ワァァ!」「ウォォ!」という騎士達の雄叫び。一体何事かと身を縮こまらせたセレナの横で、ロウェルは全く慌てた様子もなくふぅ~と辟易した顔でため息をつく。
「ゆっくりご説明したかったのですが……どうやらもう始まっているみたいだ。こうなったら一度見ていただいた方が早い。行きましょう」
「えっ」
(『行きましょう』って……まさか、あの爆音が聞こえてきた場所に行くの⁉)
すたすたと歩き始めてしまったロウェルを、セレナは仕方なく小走りで追いかける。わざわざ騒ぎが起きている場所に向かうのだからもちろん怖かったが、このだだっ広い広場に一人取り残されるのはもっと怖いのだ。
ロウェルは急ぎ足で回廊を歩き進め、美味しそうな匂いが漏れ出てくる扉の前で立ち止まった。おそらく食堂なのだろうが、中から聞こえてくる叫び声は食事中の歓談とは程遠い。
「危険ですので、私が良いと言うまでここから動かないでくださいね」
ロウェルは幼子に言い聞かせるように笑顔でそう言って、食堂の扉をバンッと勢いよく開け放す。その途端、閉じ込められていた喧騒がぶわっとセレナが立つ廊下にまで溢れてきた。耳が敏感なセレナは、たまらず両手で耳を塞ぐ。
「――おいおいおい、何があったんだ? 私がいない間はジュードを刺激するなと、あれほど言っただろう!」
ロウェルが大音声で中に呼びかけると、方々から「団長!」「助けてください団長!」と騎士達の縋るような声が上がる。扉の陰から恐る恐る中を覗いたセレナは、食堂の惨状に思わず呆気に取られた。床一面にこぼれたトマトスープ、真っ二つに折れた長机、屈強な騎士達の多くが頭にひょろひょろとパスタを乗せたまま涙目で座り込んでいた。
混乱を極めた食堂の中央には、ただ一人立っている人物がいる。天を衝くほどの体躯、逆立つ漆黒の短髪、広い肩幅。鋭く吊り上がった瞳は爛々と赤く光り、食いしばった歯の隙間から唸り声をあげている。出で立ちこそ騎士だが、野生の猛獣のような雰囲気だ。
「ジュード! おい、落ち着くんだジュード・エルファルド!」
世にも恐ろしいその騎士に向かって、ロウェルが近寄りながら呼びかける。
(……ジュード?)
セレナは思わず血の気が引いた。
どんなお相手であろうと、向こうからお断りされるまでは全力で取り組もうと思っていた――のだけど。
「……――ゥウウウゥグァアアアァァァッ‼」
ジュードが食堂の中心で咆哮すると、地面がビリビリと揺れてガラス窓にひびがはいった。セレナは再びぎゅっと耳を塞ぐ。
(……どうしよう。お断りされるも何も、とても会話が出来るようには見えないわ)
会話はおろか、近寄ったら腕のひと薙ぎで殺されてしまいそうだ。
セレナはぶるぶると震えながら扉の前でしゃがみこむ。理性を失ったように暴れる婚約者のあまりの恐ろしさに、すっかり腰が抜けてしまっていた。




