28 時も忘れて
真夜中のエルファルド邸。
窓の外は澄んだ星空で、夜のしじまに遠慮するように、ふくろうが小声で鳴いている。
「……男爵様がいらっしゃらない間は、お庭を散歩したり、読書したりしております」
「そうか。どんな本を読むんだ?」
「っ、その……ロマンス小説です。貧しい女性が、高貴な男性と身分違いの恋に落ちてしまうという。最近巷でとても人気があるそうで」
セレナはジュードの魔力を吸収しながら、一つ一つ懸命に彼の質問に答えていた。
「それから『お庭に植えていただけたら嬉しいお花』ですが……ひまわりなどいかがでしょう? 夏らしくて元気が出るお花ですし」
「いいな。ちょうど今頃が種まきに適した時期だ。一面に咲いたら圧巻だろう」
「次はえっと『幼い頃に好きだった遊び』……。確か、ぬいぐるみ遊びをよくしていた記憶があります」
「……フ、可愛らしいな」
セレナはポッと火が灯ったように赤面する。純白の髪の毛は、既に毛先から三割ほどが飴色に変化してきていた。
「どんなぬいぐるみだ?」
「一番のお気に入りは茶色いテディベアでした。男爵様がお造りになるゴーレムさんに似て、つぶらな瞳がとても愛らしいのです」
「ゴーレムに似ていて、愛らしい……?」
「あとは『家族との思い出』でしたよね? えぇっと」
「ッ? ちょっと待ってくれセレナ」
相槌を打ちながら真摯に耳を傾けていたジュードが、急にセレナの話の腰を折った。きょとんと口を噤むセレナに、彼は砂時計を持ち上げて言う。
「もう十五分経っていたようだ」
「……えっ? 本当ですか?」
二人が会話に夢中になっている間に、気がつけば砂時計の砂はすっかり落ち切っていたのだ。
「セレナ、俺の記憶を見たか?」
「いいえ、全く」
セレナとジュードは、互いの手をゆっくりと離しながら目を見合わせる。二人の視線の間には、目に見えない無数の疑問符が飛び交っていた。
「ひょっとすると、魔力吸収の副作用は予防できるのではないか?」
「えっ?」
「これまで君は魔力吸収のとき決まって目をつぶっていたし、俺も無言だった。だがこうして言葉を交わし、君の意識を現実に集中させておけば、記憶の世界へ引き込まれてしまうという副作用は現れないのかもしれない」
「つまり……お喋りしていればいいということでしょうか?」
「おそらくな」
セレナは呆然と瞬きを繰り返す。
思い返してみれば、初めて人の魔力を吸った時――すなわち盃の儀式の帰り道に兄の光魔法を吸収した時――セレナは馬車に揺られながらずっと兄とお喋りをしていた。たぶん他愛もない話だったと思う。心優しい兄のことだから、異能が発覚して動揺する自分を少しでも落ち着かせたかったのかもしれない。
副作用を防ぐ鍵が〝会話〟にあるのだとすれば、兄の記憶を覗いた覚えがないことにも納得がいく。
「確証はないが、もしそうならこんなに有り難いことはない。早速明日も試してみよう」
安堵したように眉間の力を緩めたジュードは、いつになく意気込んだ声色で言う。セレナはいけないと思いつつ、つい表情が曇ってしまう。
「やっぱり、お嫌でしたよね……」
「ッ?」
「魔力吸収のためとはいえ、他人に過去を曝け出して気分がいいはずがないですもの。いつもご迷惑をおかけして本当に……」
「ッ! ち、違う、聞いてくれセレナ」
花が萎れていくようにしおしおと頭を下げるセレナに、ジュードが慌てた様子で口を開いた。
「このままでは、ゆくゆく戦争の記憶を追体験させてしまうことになるだろう? 君に血生臭いものを見せたくはないからな。そもそも君は『他人』ではなく俺の妻だ」
「! ぁ、そ、そうでした……すみません」
きっぱりと言い切るジュードに、セレナの頬は真夏の日差しに当てられたように火照っていく。
何だか居たたまれない気持ちになって意味もなく髪に手櫛を通していると、彼は「謝ることはない」と言いながらこちらに温かい眼差しを向ける。
「フ……、明日からの魔力吸収が俄然楽しみになったな。君のことをたくさん教えてもらえそうだ」
穏やかな低音を紡ぎ出す彼の口元には、思わず目をそむけたくなるほど眩しい笑みが浮かんでいた。
◇◆
王宮舞踏会を明日に控えた夜のこと。
「ここのステップはこのように」
「こうか?」
「いえ、もっと思い切り私の体を引き寄せてください」
「ッ! す、すまない、ちょっと休ませてくれ」
この一ヶ月間、二人は互いの弱点を補い合うための特訓に励んできた。
ジュードの教えをぐんぐん吸収して教養を身に付けていくセレナに対し、意外にもジュードの上達は遅く――。
「ハァ……。気が狂いそうだ……」
荒い息をしたジュードは、必死に何かを堪えるように、険しい面持ちで膝に手をついている。
(普段鍛えていらっしゃる男爵様がここまでダンスに苦戦するなんて……。私の教え方が悪いせいに違いないわ)
セレナは、責任感に押しつぶされるように俯き加減で言う。
「男爵様、申し訳ございません。私の説明がわかりづらかったですよね?」
「……違う、純粋に俺の理性の問題なんだ。セレナは微塵も悪くない」
「理性、ですか?」
「……いや、何でもない。続けよう」
首を傾げるセレナに対し、ジュードは気合いを入れ直すように自身の両頬をパンと叩く。
そうして本番前最後の練習が終わり――入浴を済ませたジュードが、講師としてセレナの私室にやってきた。
「正直もうほとんど教えることがない。今日は魔力吸収だけ行い、明日に備えて早めに寝ることにしないか?」
「わかりました」
セレナは頷きながらティーテーブルに手のひらを差し出す。するとジュードは懐に手をやり、いつものように砂時計を取り出すかに見えたのだが。
「君にこれを持っていてほしい」
「……?」
彼は砂時計よりももっと小さい何かを取り出し、剥き出しのセレナの手のひらにコロンと置いた。ひんやりとした硬い感触が素肌に伝わる。
ジュードの大きな手に覆われていたそれの全貌が見えた途端、セレナはハッと息を呑む。
「ぇ、ぁ、これ……黄鉄鉱ですよね……?」
セレナの手には、金色がかった真鍮色の鉱物が乗せられていた。複数の立方体が組み合わさったような、魔訶不思議で魅力的な形。見紛う余地もなく、それはジュードの妹エリンの形見であった。
ただし、その一端には金具とチェーンが付けられていて、ネックレスとして使えるよう加工が施されている。
「やはり、記憶の中で見ていたか」
ジュードはそう言いながら、黄鉄鉱ごとセレナの手を握り込む。否応なしに彼の魔力を吸収し始めたセレナの体は、白髪の毛先を飴色に変えていく。
「こ、こんな大切なものいただけません!」
「そう言わず、持っていてくれないか? こうでもしないと俺は『妹のように接する』と言った自分の言葉をいつ覆すかわからない」
「……えっ?」
「頼む」
縋るように切実な声、緊迫した眼光――そんな様子で見つめられたセレナは、ドキンッと喉元まで跳躍した心臓のせいで二の句が継げなくなる。
(何で……? 私、どんどん男爵様の前で上手く喋れなくなっていく……)
結婚当初の凍えるような緊張感はとっくにない。
おかげで少しずつ落ち着いて会話できるようになってきたセレナであったが、最近は再びつっかえることが増えていた。それどころか、今のように言葉に詰まり一言も返事が出来ないときすらあるのだ。
「セレナ? もう副作用が現れたか?」
うっかり会話が疎かになっていたセレナの顔を、ジュードが心配そうに覗き込む。セレナは慌てて口を開く。
「! あ、いえ、違います」
「良かった。では、休まず会話を続けよう。そうだな……今どんなことを考えていた?」
「えっと、その……私、最近どうにもおかしいなぁと」
「ッ?」
未だ、ティーテーブルの上に砂時計は無い。
「ご一緒に過ごす時間は着実に増えているのに、男爵様に見つめられるとなぜかすごく緊張してしまうのです。初対面の時よりもずっと」
「……⁉」
それに気がつくことなく二人のぎこちない会話は続き――セレナの白髪はみるみる飴色に染まっていった。




