26 予期せぬ再会
眩しい初夏の日差しが和らぎ始めた、昼下がりの王都ブティック街。
何やら異様に甘い匂いを漂わせた一台の馬車がカタコトと徐行してきて、街一番の大店の前に停まる。
「……お土産の量が大変なことになってしまいましたね」
「ああ。さすがに買い過ぎたな」
手袋越しに手を繋いで馬車を降りてきたセレナとジュードの間にもまた、今朝よりも明らかに糖度の増した空気が漂っていた。
「申し訳ありません。私がなかなか選べないせいで」
ドレスの梱包を待つ間、セレナはジュード共に菓子店巡りをしていた。
しかし、宝石箱のように陳列された菓子の中から一つを選ぶのは、とても難しい。うんうん唸りながら頭を悩ませていると、ジュードはまたもや微笑を浮かべてセレナが最後の二択まで絞った品をいずれも買い上げた。
それが全ての店で繰り返された結果……馬車の中は今、博覧会かと思うほど多種多様なスイーツで埋め尽くされているのだ。
「いや。むしろ感謝している」
「えっ?」
「鉱物を仕入れるくらいしか給料の使い道がなかったんだ。有意義な買い物をするとこんなにも清々しい気分になるなんて、君のおかげで今日初めて知ることが出来た」
「…………!」
(――私の方こそ、男爵様のおかげで初めて知ることばかりです)
そう伝えようと思ったのに、どうしてか上手く言葉が出てこなかった。
庭の花を愛でるような眼差しの彼に見下ろされると、なぜか喉の奥がひりひりと熱を帯び、声にならない吐息しか出せなくなる。これもまたセレナにとっては初めての経験だった。
セレナが喉の違和感に気を取られているうちに、ジュードはセレナの手を引いて今朝方訪れたブティックへ入店する。
「先ほど購入したドレスを受け取りに来たんだが」
しかし、ジュードがそう呼びかけても店内からは一向に返事がない。セレナとジュードは顔を見合わせ、仕方なく店の内部へと進んでいく。
すると、何やら奥の方で店員が一か所に集まっていた。
「ルシアン殿下、ヴィオラ様。この度は御用命いただき誠にありがとうございました。お気をつけてお帰り下さいませ」
この店の店長だろうか。一番年配の女性店員がそう言いながら深く頭を下げると、他の店員達も揃って「ありがとうございました」と一斉に腰を折る。
彼女達の視線の先にいたのは――見るからに高級な身なりをした金髪の青年と、濃紺のストレートヘアーに夜空のような黒紫色の瞳の令嬢。
「おい、グズグズするな。さっさと王宮に戻るぞ」
「はい。殿下」
二人がセレナ達の方に近づいてくる。ジュードは素早くセレナと繋いでいた手を離し、拳を作って胸の前へあてがった。
「……第二王子のルシアン殿下だ。頭を下げて」
ジュードに耳打ちされ、セレナも慌てて恭しくお辞儀をする。じっと床を見据える二人には目もくれず、王子と連れの令嬢は出口に向かっていった。
「ヴィオラ……?」
王子の半歩後ろを粛々と歩く令嬢の後ろ姿が見えなくなる寸前、セレナはそっと顔を上げて呟く。
その声に、濃紺の髪の令嬢は一瞬だけ歩みを止めたように見えたが、こちらを振り向くことはなくルシアン王子に続いて店を後にした。
◇◆
「ヴィオラ・ヴェルディア伯爵令嬢――君の妹君だったな」
帰りの馬車の中、ジュードがセレナの隣で呟く。
「はい。二つ年下の異母妹です。……たぶん」
「たぶん?」
「最後に顔を見たのは彼女が八歳の時でしたから。あの引っ込み思案なヴィオラがあんなに立派な淑女になっていたなんて……なかなか理解が追い付かないのです」
ヴィオラは幼い頃から常に母親のカミラと一緒に行動していて、姉のセレナや兄のライナスと遊ぶことはほとんどなかった。
口数が少なく、声をかけても逃げてしまうような恥ずかしがり屋。けれど人一倍勉強熱心で、セレナが音を上げるほどの分厚い本も難なく読んでしまう。そんな聡明な少女だった。
たまの晩餐会でしか顔を合わせていなかったので記憶が曖昧だが、鏡のように光を跳ね返す濃紺の髪や、母親譲りの切れ長で理知的な目、どこか涼しげで無駄を削ぎ落とした顎の輪郭には確かに面影が残っている。
「それにしても、なぜヴィオラが第二王子殿下と一緒にいたのでしょう……?」
「知らないのか? ヴィオラ嬢は来月ルシアン殿下とご成婚されるんだ」
「えっ?」
「新聞でも大々的に取り上げられていたと思うが」
セレナは自らの勉強不足を恥じてしおしおと身を縮める。せっかくアルバートが様々な書籍とともに新聞も揃えてくれていたというのに、ジュードの心情を理解したい一心でロマンス小説ばかり読んでいたセレナは、全く新聞に目を通していなかったのだ。
もし今後、男爵夫人として社交界に出る機会があれば、世情を知らないなど決して許されないというのに。
(私が笑われるのは構わないけど、男爵様のお顔に泥を塗るわけにはいかないわ……。今日から意識を改めて勉強に励まなくちゃ)
いつか来るかもしれない社交の場に備えて気を引き締めるセレナに対し、ジュードは気怠そうにため息を吐きながら言う。
「結婚披露のための王宮舞踏会には、国内の貴族家はもちろん、国外の王族や有力貴族も集結するらしい。魔法騎士団総出での警備体制になるだろうから、下手をすると何日も帰宅できないかもしれないな」
「……? あ、あの男爵様」
「どうした?」
「その……私達も貴族の一員ですので、出席義務があるのではないでしょうか?」
「あ」
ジュードはそう呟いたきり真顔で固まる。セレナもまた、激しい胸騒ぎのせいで何も言えなくなってしまった。
新米男爵と元・名ばかり令嬢というあまりにも頼りない二人組、それから大量のお菓子とドレスを乗せた重たい馬車は、ゴトゴトと不吉な音を立てながら邸に戻っていく。
「旦那様、奥様、お帰りなさいませ」
「――アルバート、緊急事態だ」
「――アルバートさん、助けてください」
エントランスホールで二人の帰りを出迎えた執事長アルバートは、帰宅するなり堰を切ったように口を開くジュードとセレナに目をぱちくりさせた。
「お二人とも落ち着いてください。お出掛け中に何か問題でも起きたのですか?」
「――いや。問題どころか最高に充実した一日だった」
「――はい。とっても楽しかったです。お土産もたくさんあります」
早口で好ましい感想を述べる二人に、アルバートはますます不思議そうに首を傾げる。
「左様でございますか。でしたら、一体何が緊急事態なのでしょう?」
「――王宮舞踏会だ」
「――王宮舞踏会です」
ぴったり息の合ったセレナとジュードは、同時にそう言って頭を抱える。
「来月、ルシアン殿下とヴィオラ嬢のご成婚を記念した王宮舞踏会があるだろう? おそらく、いや間違いなく、俺達も出席することになるはずだが……舞踏会ということはダンスを踊らなければならないんだよな?」
「ええ、それはもちろん。社交ダンスは貴族の嗜みでございますから。グレイ子爵様も授爵されたばかりの頃、必死に練習して身に付けておられましたよ?」
「ッ! 団長は踊れるのか……」
ジュードはなぜか悔しそうに唇を噛む。アルバートは薄っすらと苦笑いを浮かべると、今度はセレナの方に向き直って朗らかに尋ねた。
「セレナ様もダンスがご心配で?」
「あ、いえ。子どもの頃に兄とよく遊びながら練習していたので。……それより私、こんなお粗末な教養で社交界になんか出られませんっ」
どんよりと曇った主人と女主人の顔を順に見て、アルバートはようやく状況を把握したようだ。
「セレナに迷惑はかけたくないんだ……」
「男爵様にご迷惑はかけられません……」
ほぼ同時に呟いた二人に、彼は老執事らしくふむふむと落ち着き払った頷きを繰り返す。そして、左顔面にある傷跡の一部のような細い目を、より一層きゅっと細くした。
「いやはや。お二人とも、本日のデートで随分と仲良くなられましたねぇ」
「「――デ⁉」」
「ご安心くださいませ。経験値だけは豊富なこの老いぼれの頭脳、既に妙案を閃いてございます」
デートという単語に息を呑んで紅潮したセレナとジュードだったが、続くアルバートの発言に再び真剣な面持ちになる。
いつになく賑やかなエントランスホールには、並び立つ二人の境目をぼかすように、柔らかな西陽が差し込んでいた。




