24 新婚男爵の一週間
時は遡り――授爵式の翌朝。
「仕事から帰ったら、また様子を見に来る」
無事に目を覚ましたセレナにそう告げてから、ジュードは騎士団の制服に着替えて邸を出た。
澄み渡る空の青さや小鳥達の囀り、それらが不思議ととても新鮮なもののように感じる。細胞の一つ一つが彼女が生きていたことに対する喜ばしさに震えていて、自分でも理解しがたいほどに気分が昂っていた。
(こんなに明るい気持ちになるなんて、一体何年ぶりだろうか……)
ジュードは騎士団本部に向かう馬車に乗り込みながら、己の感情をどう解釈すべきかと思案に耽る。
生まれ故郷の人達は皆、自分が近くにいたせいで命を落とした。
戦地では、敵味方の区別もつかずにひたすら周囲の人々を皆殺しにしてきた。
だから、魔力を吸い取るためにと自分にあてがわれた不幸な花嫁をこれ以上不幸な目に遭わせぬよう、ひたすら距離を置くことに注力してきたのだ。
ところがセレナは、ジュードの側で『幸せです』と二度も言った。自分に会えたこと自体、それから自分がかけた言葉に対して、だ。
今にも枯れてしまいそうな弱々しい体躯の全てが、ジュードの存在を受け入れ、肯定してくれていた。
血の繋がった家族を失ってから、そんな人には二度と巡り合えないだろうとすっかり諦観していたはずなのに――。
(……なるべく早く帰ろう)
そう考えている時点で、何か特別な感情を抱き始めていることは明らかなのだが――ジュードはそれには気づかないふりをして『彼女の幸せを底上げするためにすべきことは何だろうか』と、無意識のうちに論題をすり替えていた。
◆◇
翌日、騎士団本部。
休暇中に溜まっていた書類に騎士団長の承認印を押してもらうべく、ジュードはロウェルの執務室に来ていた。
「…………はぁ」
「かぁ〜っ! 全く何回ため息をついたら気が済むんだこの朴念仁め!」
ぺったんぺったんと判が押されていく紙面を棒立ちで眺めるジュードは、かれこれ十回以上もため息を吐いていた。しばらくは聞き流していたロウェルも、ついに我慢ならずに手を止める。
「ジュード、ちょっとそこに座りなさい。上官命令だぞ」
「……はい」
ロウェルは子どもに説教をするような口調でそう言って、ソファを指差す。ジュードが口答えもせず素直に腰掛けると、ロウェルはいよいよおかしいぞと言わんばかりに目を丸くした。
「おいおい、無事に授爵式も終わったっていうのにどうしたんだ? 昨日はなかなか明るい顔をしていたじゃないか」
「それが……居眠りをしてしまって」
「んっ?」
「容姿を褒めても……まるで他人事なのです」
「んんんっ?」
話の趣旨がわからず首を捻るロウェルだったが、察しのいい彼は、すぐにジュードの意図するところを汲み取ったようだ。「ああ〜」と呟いて何やら意味深な笑みを浮かべる。
「わかったぞ。セレナ様のことだろう?」
「そうですが」
「まさかお前が夫婦仲の相談をしてくるようになるとはなぁ! 明日は猛吹雪になるぞ!」
「……茶化すのであれば結構です」
「待て待て。こう見えて、私と妻はとても仲がいいんだ。詳しく聞かせてみなさい」
ジュードはやや不本意ながらも、ロウェルに授爵式の晩から現在までの経緯を話すことに決めた。
魔力吸収に記憶を覗くという副作用があること。それを黙っていたセレナを問い詰め、彼女を死の淵まで追いやってしまったこと。それなのに、心底幸せそうな顔をする彼女の〝幸せの基準値〟を上げる必要があるということ。それから、昨晩の大失態について――。
ひとたび話し出してしまうと、普段の業務報告の癖からか、委細に至るまで系統立てて伝えなければという強迫観念がジュードの口を動かし続けた。
「う、うん。実にわかりやすい報告をありがとう……。おかげで聞いているこちらがむず痒くなったぞ」
「はい?」
「いや何でもない。とにかく、そんなこの世の終わりみたいな面をするんじゃない。夕食の約束をすっぽかしたくらいで、セレナ様が愛想を尽かすと思うか?」
「夕食のことだけではありません。これまで俺は彼女に酷い態度を取り続けていたので、もう後がなかったのです。それなのに寝過ごすなど……」
ジュードの顔面は、万年筆のインクをぶちまけたかのように濃厚な闇に覆われていく。呆れ顔のロウェルがふっと鼻から息を吐く音など、全く聞こえていなかった。
「俺は、彼女にも人並みの幸せを感じてもらいたいと思っています。しかしよく考えてみれば、そもそも人並みを外れている俺にそんなことが出来るのか、甚だ疑問に思えてならないのです。彼女にはもっと相応しい相手がいるはずなのに、俺の事情で彼女を縛り付けているのですから」
「縛り付けるねぇ……。そう思っているのはお前だけだと思うがな」
思いつめた表情のまま「ッ?」と顔を上げるジュードに、ロウェルは銀縁眼鏡の向こう側で目尻の笑い皺を深くした。
「要するに、お前はセレナ様のことが特別な存在になってきたんだろ?」
「ッ⁉」
「はっはっは! 喜ばしいじゃないか」
どうにかして何か言い返したいジュードだが、生憎と何も言葉が出てこない。悔しいことこの上ないが、ロウェルの言う通りだという自覚があるのだ。
「……んっ、待てよ? そうなると『お互い兄と妹のように接する』という件については大丈夫なのか? 後々、厄介なことになりそうな気がしてならないんだが」
「何か問題ありますか? 俺も彼女も兄妹という関係性には覚えがあるので、精神的距離感を縮める妙案だと思ったのですが」
「んー……。まあいいか! とりあえず今は仕事だ。この書類の山を片付けんことには、お前を邸に帰してやれないしな」
「元はと言えば、こんなに仕事が溜まっているのは、俺がいないからと書類整理をサボった団長が」
「まあまあ細かいことはいいじゃないか。さあ手分けしてやっつけるぞ……!」
諸々腑に落ちない気持ちになりながらも、ジュードは手元の書類に着手する。
しかし――休暇中の自分よりも職務を怠慢していたらしいロウェルのせいで――その日から五日間、二人は夜中まで執務室に缶詰となった。
◆◇
授爵式から一週間が経った日の、夕刻のこと。
「お疲れ様でした……」
「おう、お疲れ……」
連日連夜の書類作業ですっかり煮詰まった顔のジュードとロウェルは、無駄口を叩く気力もなく挨拶を交わす。
何度擦っても霞む目をもう一度擦りつつ、ジュードはロウェルの執務室を出る。その途端、沈みゆく夕陽の橙色がジュードの全身を眩しく照らした。
(こうしてはいられない、急いで帰らなければ……!)
仕事の疲れなどすっかり忘れて、ジュードは一目散に馬車へ駆け込んだ。
男爵邸が近づいてくるにつれ、疲弊していたはずの眼は冴え過ぎるくらいに冴え、昂る心臓の鼓動は指先にまで伝わり、口の中が酷く乾燥してきた。
(俺は今、何をそんなに緊張しているんだ……?)
王の面前に出た時ですらここまで緊張していなかったのに……、とジュードは汗ばんだ手のひらを眺めながら己に理由を問う。
セレナと夕食を共にする約束が果たせる。
セレナが眠る前に帰宅できる。
朝だけでなく夜も顔を見ることが出来る。
あの澄み透った声を聞くことが出来る。
ただそれだけのことだろう――と何度自分に言い聞かせても、胸の高鳴りはなかなか治まらない。
幼い頃、妹に珍しい手土産を持って帰る時もこんな心情だっただろうか……と遠い記憶に想いを馳せてみる。
体が軽くなるような高揚感、これは似ている。しかしこの胸に迫る熱い焦燥――もはや緊張を通り越して飢餓感と言ってもいい。
(早く、一刻も早く、彼女の側に――)
馬車窓に差し込む夕焼けのせいだろうか。
ジュードの瞳の飴色は、焦がされたカラメルのような色合いを呈してきていた。




