18 答えてくれ
重苦しい沈黙に包まれた宮殿の大広間。
贅を尽くした壮麗な天井装飾と、ファレーズ王国中の貴族家当主らが見守る中、国王は跪く騎士の肩に剣を乗せて声高に宣言する。
「魔法騎士団第一連隊長ジュード・エルファルド――そなたに男爵位を授ける」
「……ありがたき幸せ」
授爵の儀が滞りなく終わると、式典は単なる貴族同士の情報交換会となる。
「ガッハッハ!」
厳かな雰囲気に不釣り合いな、品のない笑い声。
ロウェルの指示で、しかめ面ながらも挨拶周りをしていたジュードは、思わず声のした方を振り向く。声の主は、たるんだ腹をだらしなく揺らしてワインを仰ぐ中年の男だった。
「これはこれはヴェルディア伯爵様。ご息女のヴィオラ様は、まもなく王子殿下と婚約されるそうですね?」
「ええ! 我がヴェルディア家もようやく安泰というものだ!」
上機嫌のグレゴール・ヴェルディア伯爵は、口髭を撫でながら他の当主達に惜しみなく自慢話を披露している。
「……ジュード、あの見苦しい腹をした男がセレナ様のお父上だ」
「そうですか」
「……『そうですか』じゃないっ。挨拶に行くんだよ。くれぐれも失礼のないようにな!」
(団長こそ、『見苦しい』呼ばわりしているくせに……全く)
ロウェルに耳打ちされたジュードは、納得いかないながらもヴェルディア伯爵の元へ近寄る。
何も、セレナに特別な感情があるわけではない。
ただ、実の娘を長きに渡り幽閉した挙句、見ず知らずの男へ嫁がせておいて、よくもまあそんな風に臆面もなく唾をまき散らせるものだ……という思いは少なからずある。
そのせいか、ジュードの表情は一歩足を踏み出すごとに着々といかめしくなっていた。
「……初めましてヴェルディア伯爵様……」
「ヒィ!」
団長の命令通り挨拶をしたジュードに、伯爵はみっともなく跳び上がって退く。頭一つ分高い位置から降り注ぐ鋭い眼光と雷鳴のような声に、どうやらかなり肝を冷やしたらしい。
「あ、あぁ……エルファルド男爵。この度の授爵、誠におめでたいことですなぁ」
「ありがとうございます」
「では、私は失礼するよっ。……おお~っ、バーキントン侯爵様ではございませんか! お久しぶりでございますなぁ!」
まるで尾でもついているように醜い尻を振りながら、ヴェルディア伯爵はそそくさとジュードの前から立ち去る。
(あの男……俺に嫁がせたセレナ様について、何一つ尋ねてこないのか)
ジュードは呆れながらも少し安堵していた。お世辞にも自分が彼女を幸せに出来ているとは言えないからだ。幸せにするどころか、必要最低限の会話以外は接触しないよう積極的に遠ざけている。これで彼女の父親がまともな人間だったなら、到底合わせる顔などなかっただろう。
しかも、つい先ほど……怒りに任せて酷く突き放してしまった。
必死に涙を堪えて謝罪の言葉を述べていたセレナの顔を思い出し、ジュードはぎゅっと心臓をつままれた心地になる。
(あれは流石に言い過ぎた。あんなに怯えさせて……俺だってあの男と大差ないじゃないか)
魔力の授受という、義務的で割り切った関係――それを貫くつもりだったのに、ただでも不幸な身の上の彼女を、より不幸のどん底に突き落としているのではないか?
「……ッ……」
考えれば考えるほど、激しい自己嫌悪と罪悪感が土石流のように胸へ流れ込む。
(とにかく……帰ったらひと言謝らなければ)
どうにかして元の平坦な関係性を取り戻そう、とジュードは静かに決意を固める。
――しかし。
「奥様でしたら、まだお戻りになっておられませんが」
「……何……⁉」
単身帰宅したジュードは、アルバートの言葉に絶句する。
式典を終えて控室に戻ったとき、セレナの姿は既に無かった。『帰れ』と言ってしまったから、きっと一人で馬車を捕まえて先に邸へ戻ったのだろう……と思っていたが、まだ帰っていないなら一体どこへ行ったというのか?
外は、激しい嵐なのだ。
「申し訳ございません。てっきり旦那様と一緒に戻られるものかと……」
「ッ!」
「旦那様……⁉」
王宮から帰ってきたばかりのジュードは、正装のまま外へ飛び出す。
(どこだ……どこへ行った……!)
分厚い生地に金糸の房飾りや勲章がたくさんつけられた上等な上着は、雨を吸うととても重い。
「クソッ」
ジュードは騎士の誇りとも言える勲章ごと、バサッと上着を道端に脱ぎ捨てる。やっと身軽になった体で、王宮から邸に至る道のりを駆けずり回った。
しかし、泥跳ねまみれになりながらくまなく探したが、どこにもセレナの姿は見当たらない。
(道を逸れたのか……? 彼女が行きそうなところなんか、俺にわかるはずがない)
今さら後悔しても詮無いが、ジュードはセレナについてほとんど何も知らなかった。
こんなに雷鳴がうるさくては、呼びかけたところで声が届くとも思えない。足跡なんか一瞬で消える。雨足はどんどん激しさを増すばかりで、風も冷たい。走り回って体が温まっている自分はともかく、彼女の細い身体ではすぐに凍えてしまうだろう。
「〝土よ示せ〟」
ジュードは苦し紛れにぬかるんだ地面に手を付き、今まで使ったことがなかった呪文を唱える。一定範囲の地続きになった大地の上に落ちている物であれば、その場所を感じ取ることが出来るという魔法だ。
ただしこの魔法、とても使い勝手が悪く、対象が薄布一枚でも地面から離れている場合にはまるで役に立たない。つまり、セレナが直に地面に触れていなければ彼女の位置を知ることは叶わない。
逆に言えば、位置を知ることが出来たなら、出来てしまったのならば……彼女は今、地べたで野ざらしにされているということだ。
「……!」
ハッと顔を上げたジュードの視線の先にあったのは――王都の一部でありながら、貴族達の狩猟場として残されている山深い森だった。
◆◇
ダンッ、とジュードはセレナを抱きかかえたまま邸の扉を蹴り開ける。
「――すぐに毛布を用意しろ!」
ずぶ濡れになった主と女主人の姿を目の当たりにした使用人達は、血相を変えて走り出す。
「……セレナ様ッ⁉」
歩みを止めることなく階段を上り始めたジュードに、ミラが涙目で駆け寄ってきた。
「だ、旦那様、セレナ様はどうして目を開けないのですカ!」
「彼女を部屋に運ぶ。ミラ、君は彼女の濡れた衣服を直ちに着替えさせるんだ。いいな?」
「っ! ガ、ガッテンです!」
問いに答えなかったことで、ミラはセレナの命に危機が迫っていることを察知したらしい。俊敏な身のこなしでジュードを追い越し、いち早く着替えの用意をしに行った。
ジュードはセレナをしっかりと胸に抱き、彼女の私室に入る。いつも手のひらを重ねていたティーテーブルを通り過ぎ、氷のように冷えた彼女をベッドに横たえた。呼吸はとても弱々しく緩慢で、ぶるぶると震えていた体も今や微動だにしない。
命の灯火が消えかけているセレナの手の蒼白さは、ジュードの脳裏に妹エリンの亡骸を嫌でも想起させた。
「旦那様、邸中の毛布をかき集めて参りました!」
「…………」
まるでぬらぬらとした沼地に足が沈み込んでいくように、ジュードはセレナの手を見つめたまま一歩も動けなくなる。
「旦那様?」
「! ……ああ、セレナ様の体を包んで温めるんだ」
大量の毛布と使用人を従えてやってきたアルバートの声で、ジュードはハッと現実に引き戻される。しかしまだ足は動かず、漆黒の短髪からぽたぽたと水滴を垂らし床に水たまりを作っていた。
そんな主人を見上げたアルバートが、ジュードの眼下から心配そうに尋ねる。
「旦那様、お部屋でお着替えなさってきてください。温かいお飲み物もご用意してあります」
「いい。ここにいる」
「何をおっしゃいますか。酷い顔色ですよ? それにセレナ様は今からお召し替えなさいますので、我々男性陣は撤収しませんと」
「……。では、彼女の着替えが終わったらすぐに呼んでくれ」
「仰せのままに。さあ参りましょう」
アルバートに背を押され、ジュードは半ば強引にセレナの私室から追い出される。
自分の部屋で乾いた衣服に袖を通した頃。女性の使用人が呼びに来て、ジュードはすぐさまセレナの元に戻った。
火魔法を使える者達が全力で室温を高める中、窓が結露するほど暖まった部屋の奥でセレナは幾重もの毛布に包まれて眠っていた。意識はまだないが、呼吸はしっかりと深く、唇の血色もいい。
「はぁ……」
ベッド際の椅子に腰掛けたジュードは、ぐったりと頭を抱えてため息を吐く。予断を許さない状況に変わりないが、一命を取り留める可能性が見えてきた。
――私……男爵様にお会い出来て幸せでした。
「幸せ? これのどこが幸せだ」
――私の命に……価値を与えてくれて……。ありが……ぅ……。
「与える? 俺は壊すことしか能がないバケモノだぞ」
昏睡状態のセレナの前で、ジュードは彼女の最期の言葉となるかもしれない言葉と、虚しく対話を繰り返す。
「頼むから……何か答えてくれないか」
その夜――ジュードは、セレナの飴色に染まった毛先が一晩かけて静かに白へ戻っていく様を、一睡もすることなく眺めていた。




