16 失言
起き抜けに見えた青空はいつしか厚い雲に覆われて、セレナを乗せた馬車の影も次第に輪郭を失っていく。
「おや、雨になりそうですね」
王宮に到着すると、先に馬車を下りたロウェルはそう言いながらセレナに手を差し伸べた。セレナは手袋に穴が開いていないのを確認してから、恐縮しつつ彼の手を借りて馬車のタラップを下る。
地面に下り立ち顔を上げると、初めて見る宮殿の途方もない大きさに圧倒された。全てをいっぺんに視野に入れることなどとてもできず、セレナは首を上下左右に何度も動かしてはほぅっと感嘆の息を漏らす。
「授爵式には、新たに貴族の仲間入りをする者がいることを、国王直々に他の貴族家に宣言するという意味合いがあります。そのため、国中の貴族家当主が一堂に会するのです。……間違いなくヴェルディア伯爵もいらっしゃるでしょう」
「っ!」
「ご安心ください。セレナ様は別室で控えていていただければ、それで十分ですので」
実父の名を聞いてびくっと体を強張らせたセレナは、続くロウェルの言葉で少しだけ肩の力を抜く。すぐ近くにいると思うと気は休まらないが、参列しなくてよいのなら面と向かって罵声を浴びせられることもないだろう。
ロウェルに連れられ、セレナは自分には一生縁がないと思っていた王宮の中へと慎重に足を踏み入れる。一定間隔で廊下に立つ護衛の騎士達は、ロウェルが前を通り過ぎると皆一様に姿勢を正して敬礼した。物々しい雰囲気のせいで胃が痛くなってきたセレナは、ずんずんと大股で先を行くロウェルを追いかけるのに必死である。ただし、健康的な生活で体力が回復してきたおかげか一週間前のように気が遠くなることはなかった。
「式典が終わるまでは、ジュードの控室でお待ちいただきます。有事の際は紙飛行機でお知らせしますので、絶対に勝手に外へ出ないでくださいね? この間のように捨て身で突入されては大変困ります」
「は、はい……もうしません」
振り向きながらそう言うロウェルは、口元は微笑んでいるものの目元の笑い皺が消えていた。セレナは叱られた子どものように首を縮めて歩き進める。
「あの部屋です」
しばらくして、ロウェルが一つの扉を指さした。ノックするのかと思いきや、歩いてきたそのままの勢いで扉を押し開ける。
「お~いジュード、入るぞ~?」
「団長、入ってから言うのやめてくださいって何度も……――ッ?」
顔を合わせるや否やロウェルへの恨み言を言い始めたジュードの瞳に、セレナが映る。
しかし視線はすぐに逸れ、眉根を寄せてひどいしかめ面になった。
「……なぜ彼女がここに?」
ジュードはロウェルの方を見て尋ねる。まるで、セレナのことなど視界にも入れたくないかのように。
(どうしよう……ジュード様は意図的に私を邸に置いていったはず。それなのに突然私が現れたんですもの、鬱陶しく思われても仕方がないわ)
ひと言謝るべきかしら、と口を開きかけたセレナを、ロウェルが手のひらでサッと制止した。
「なぜと聞きたいのは私の方だ。誰がどう考えたって、セレナ様も近くにいていただいた方がいいに決まっているだろう。家がお隣さんでなければ、気がつかなかったところだぞ?」
「別に気がついていただかなくて結構だったのですが」
いかめしく眉を吊り上げたジュードは、身も蓋もない物言いできっぱりと言い切る。
「すでに魔力量は十分削減されていますので、セレナ様に同行していただく必要性はありません」
「本当に十分なのか? そんなのお前の肌感覚だろうが」
「少なくとも半減はしています。ですから、早く彼女を邸に送り返してください」
「それは無理だ。私も参列者の一人だからな! そろそろ会場に向かわなくては」
「……ッ」
今にも舌打ちしそうな勢いで顔面に影を溜めこんでいくジュードだが、セレナがいる手前どうやら思いとどまったらしい。ひやひやしながら見守るセレナの前で、ロウェルは相変わらず羽毛のように軽々しい口調で言う。
「そんなことより。せっかく来ていただいたのだから、ダメ押しでもう一度魔力を吸収してもらったらどうだ?」
「はぁ⁉」
「セレナ様、よろしいでしょうか?」
急に話を振られたセレナは、狼狽えながらも「私は構いませんが……」と小声で返事をする。ロウェルは嬉しそうに目をきゅっと細めた。
「ありがとうございます! それでは私は先に会場へ行っておりますね」
「団長」
「言っておくがジュード、長官命令だからな?」
ウインクを投げながら捨て台詞を吐いて、ロウェルは風の速さで控室を後にする。
「……チ……」
ついに耐え切れずに舌打ちをしたジュードと、身の置き所がなく俯くセレナの、二人きりになってしまった。
「仕方ありません。手短に済ませましょう」
「は、はい」
ジュードは、握手を求めるように立ったままセレナに手を差し出す。ただし表情には不本意さが全面に現れていて、とても握手を求めている人の顔ではない。セレナは混乱しながらも、慌てて肘上まである長手袋を脱ぎ始めた。
「五分間で結構です。砂時計はありませんので、代わりに俺が数えます」
「わかりました……」
セレナは恐る恐るジュードの手に触れた。
「1、2、3、4――」
≪……――ゥウウウゥグァアアアァァァッ‼≫
(――っ‼)
記憶の中へ引きずり込まれた瞬間、空をも切り裂かんばかりの叫び声がセレナの心臓を揺さぶった。
一瞬、目の前のジュードが魔力暴走を始めたのかと思ったが、暴走を起こしているのは自分自身――すなわちジュード少年である。
まるで煮え湯の中に放り込まれたように全身が熱く、視界はぐらぐらと煮え滾っていて右も左もわからない。ただ、人々が阿鼻叫喚する声や身の毛もよだつ断末魔、バキバキと柱が折れるような音やジュード自身の荒い息遣いなどはしっかりと聞こえてくる。
そんな状態が数十秒続いたと思ったら、突如ただでも曖昧な景色がさらにぐちゃぐちゃに溶け始めた。何度か経験したセレナは、それが別の記憶に移り変わる時の合図だとすぐに理解する。理解はできても吐き気は回避できない。
セレナが嗚咽に悶えていると、不意にますます気分が悪くなるような臭気が漂ってきた。
(生臭くて、焦げ臭くて、錆びた金属のような……。この匂い、前にもジュード様の記憶の中で嗅いだことがあるわ)
ふと気がつくと、物音一つ聞こえなくなっていた。
次第にはっきりとしてくる視界に移っていたのは、またもや鈍色の空と土気色の荒野。何本もの細い煙が立ち上っているが、足元に視線を動かせないので何が燻っているのか見えない、あの光景だ。
《……ェ……》
この呻き声も、初めて記憶の世界に迷い込んだ時と全く同じ。こう何度も現れるということは、よっぽど印象深い出来事なのだろうか。
(――えっ?)
息苦しいほどの悪臭に耐えながらそんなことを考えていると、視線がそろりと下へ移動し始めた。
徐々に見えてきた光景に、セレナは絶句する。
燻っていたのは――膨大な土砂に呑み込まれた街の一部だった。
視界の端に映る山、おそらく以前の記憶の中で見たあの鉱山が、自然ではあり得ない形でえぐれている。街を丸ごと埋め尽くすほどの土砂は、そこから流れ込んだのだろうか。賑やかに人々が行き交っていた麓町の面影はまるでなく、平らに均された地面がどこまでも続いている。
≪……エリン……?≫
足元へと移った視界の真ん中に、何やらキラリと光るものが落ちていた。立方体がいくつも組み合わさった特徴的な形。セレナはすぐにその正体を察した。ジュードが父から貰い、妹へと贈った〝愚か者の金〟――黄鉄鉱だ。
暴走状態から正気に戻ったジュード少年は、黄鉄鉱を拾い上げると同時に、がむしゃらに地面を掘り始める。
≪……エリン、エリン、エリン、エリン……!≫
何度も、何度も、すすり泣くようにして彼が妹の名を呼ぶ度、一枚、二枚、と手の爪が剥がれ落ち、鮮やかに血が滴る。ジュード少年は全く構うことなく土を掘り続け――ついに、小さな手のひらが現れた。
彼は大きく息を呑み、手のひらの周りの土に向かって血まみれの指を容赦なく突き刺す。
掘って、掘って、細い手首が見えてきて、また掘って。汗か涙かわからない雫がぼたぼたと落ちて湿っていく土を、掻き分け、払いのけ、必死に掘り進めたその先に現れたのは。
≪……ェ……≫
無残にも引き千切られた、幼い手首の断端だった。
「五分経ちました」
「……ェ……」
「セレナ様?」
「……エ、リン……エリ……エリン……」
「――⁉」
ジュードの声に気がつかず未だ記憶の中を彷徨っていたセレナは、自分の口から失言がこぼれ出たことなど知る由もなかった。




