15 授爵式へ
「三十分経ちました」
「――っ‼」
突如現実に戻ってきたセレナは、深い水底から引きずり出された直後のように、はぁはぁと荒い息をする。
その様子を見たジュードは、忽ち怪訝な顔色になる。
「……やはり、長時間の魔力吸収は負担なのではないですか?」
「いえ、問題、ありません……」
蒼白な顔で首を横に振るセレナの髪は、毛先から四割ほどが飴色に染まっていた。ちょうど、椅子に座るセレナの腰の高さまでだ。
(今のは……ジュード様が初めて魔力暴走を起こした時の記憶だったのかしら……?)
セレナの耳には、記憶の中で聞いた彼の叫び声がまだ残響していた。悲しみ、怒り、苦しみ、恐れ――あらゆる負の感情が綯交ぜになり、内臓に爪を立てて掻き散らしていくようなあの感覚。忘れたくとも忘れられそうにない。
(ジュード様は暴走を起こす度、こんな思いをしているの……?)
セレナの脳裏に、ジュードが騎士団本部の食堂で大暴れしていた時の光景が蘇る。
ロウェルの魔法で床に押さえつけられた彼は、生まれ持った異常体質に抗うように、赤く光る瞳から一筋の涙を零していた。それを見てセレナは、ジュードを『とても強い心の持ち主に違いない』と直感的に思ったのだが、自ら魔力暴走を追体験してみてその思いは確信へと変わっていた。
(私にはもうそんな風に抗う気力もないけれど、その代わり、この方を苦痛から解放して差し上げられるよう最善を尽くそう。たった一つでもこの世に存在していた意味があったのだと、お兄様に笑顔で報告できるように――)
いつか来る命の終わりへ向けた、諦めにも似た決意。セレナはそれを胸に密かに抱くことで、少しずつ冷静さを取り戻す。
「まあいいです。どのみち授爵式さえ終わってしまえば、こんな風に根を詰めて魔力吸収していただく必要もありませんし」
「えっ?」
黙り込むセレナを訝しむように眉根を寄せていたジュードが、不意に席を立った。
「この一週間で魔喰いの威力はおおよそ把握しました。明日以降は『週に一度・十五分』で十分です」
「そ、そんなちょっとで大丈夫なのですか?」
「その程度でも、魔力量は徐々に目減りしていく見込みです。それとも『二週間に一度・三十分』がよろしいですか?」
「えっ……それなら週に一度の方がまだいいような」
(あれ、それってどっちも同じじゃない……?)
「同感です。正直、親しくもない相手と三十分間もじっと手を繋いだままいるというのは、かなり気疲れします。貴女もそうですよね?」
ジュードはコキコキと関節を鳴らしながら、気怠そうに肩を回す。それからティーテーブルの上に広げていた書面を手際よく整頓して小脇に抱えると、呆気に取られるセレナを見下ろし、まるで業務連絡のような口調でこう告げた。
「また一週間後に伺います。では」
◇◆
翌朝。授爵式当日。
「エ! セレナ様は一緒に行かれないのですカ?」
「ええ。そうみたい」
セレナの髪を念入りにブラッシングしていたミラが「エェ~」と不満げな声を上げる。セレナの長い白髪は、やはり一晩経つと毛先まで真っ白に戻っていた。
「せっかく、とびきり美しくおめかししていただこうと思っていたのニ……」
「ありがとうミラ。気持ちだけで十分だわ」
しょんぼりと肩を落とすミラに、セレナは笑顔で返事をする。
今朝方、セレナが身支度を終えるよりも早く、ジュードを乗せた馬車は邸から出発してしまっていた。
名ばかりとはいえ夫婦だし、万が一魔力暴走の兆候が表れたときに備えて一緒にいたほうが良いものかと勝手に思っていたが、彼の方はセレナを同伴させようなどとは微塵も思っていなかったらしい。
――俺は貴女への情は一切ありません。
容赦なく言い切ったジュードの言葉は、全く大袈裟ではなかったようだ。
「っ? ミラ、アルバートさんがこっちに来るわ」
「本当ですカ?」
「足音がするの」
コト、コト、コト、コト……と、四角い積み木を丁寧に積み上げていくような穏やかな靴音。執事長アルバートのもので間違いない。
そう確信してミラに告げたセレナだったが、ミラは「アシオト……?」と首を捻る。どうやら、足音そのものすらまだ聞こえていないらしい。
そのうちに、ミラにも認識できるくらい音が大きくなり、コツコツと控えめなノックに続いて。
「奥様、失礼致します」
扉の向こうから、アルバートの年季の入った声が聞こえてきた。ミラは驚いたように目をまん丸にする。
「セレナ様は足音だけで誰かわかるのですカ! すごい特技でス!」
「あまり役に立たないけれどね。それより、何の用かしら?」
ミラが扉を開けに行くと、アルバートは「おはようございます」と一礼してからセレナに言う。
「邸の外でグレイ子爵様がお待ちでございます」
「っ? ロウェル様ですか?」
「はい。恐れ入りますが、手早く身支度をお済ませいただき、正門まで降りてきていただきたいそうです。頼みましたよ、ミラさん」
アルバートがちらりとミラに目配せをする。それに呼応するようにコクンと頷いたミラは、何やら意気込んだ様子で腕まくりをし始めた。
「ガッテンです!」
「えっ? ……えっ!」
アルバートが静かに扉を閉めた途端、怒涛の勢いでセレナのドレスアップが始まった。
疾風の如き手捌きに、セレナはされるがままで目を回す。重力を感じさせない敏捷な身のこなしは、実は風魔法が使えるんじゃないかと疑いたくなるほどである。
そうして瞬く間に、セレナは鮮やかな菫色のドレスに召しかえられていた。長い髪は床を引きずらないように頭頂部でふんわりと結わえられ、そこから二本の三つ編みがしなやかに伸びている。全方位非の打ち所がない仕上がりにミラは「完璧でス……!」と恍惚とした表情を浮かべたが、セレナは自身の肩を撫でながらおずおずと口を開いた。
「あのねミラ。言いにくいんだけど、ジュード様以外の方とお会いする時は、肌が露出しないようにしないと……」
確かに普通の令嬢であれば完璧なのだろうが、魔喰いのセレナにノースリーブのドレスは不向きなのだ。
「ハッ! そうでしタ。ではこちらを羽織っていただけますカ? 長手袋と長靴下もご用意いたしまス」
セレナは露になっていた白い肩をレースのケープで覆い隠してから、部屋を出た。いざとなればそれを頭から被ることもできるだろう。
邸の外へ出ると、正門前に停まる一台の馬車と、そのすぐ側に立つロウェルの姿が目に入った。
「お久しぶりですロウェル様」
「お久しぶりですセレナ嬢。いえ、エルファルド夫人」
「ふ、夫人っ?」
「いやぁ、既婚女性をいつまでも『嬢』とお呼びするわけにもいかないでしょう? むしろ今までのご無礼をお詫びさせてください」
正装に身を包んだロウェルが、セレナに恭しく頭を下げる。慌てたセレナは手をジタバタさせた。
「と、とんでもございません。あの、どうぞお気軽に名前でお呼びください」
「そうですか? では、セレナ様と呼ばせていただきますね」
「はい。ミラやジュード様にもそのように呼ばれておりますので、それが一番しっくりきます」
セレナはほっと胸を撫で下ろすが、ロウェルは「ん?」と急に何かを察知したように鼻をひくつかせた。
「ジュードにも『セレナ様』と呼ばれているのですか? ひょっとして『まだ男爵位を賜っていないので』とか言って、いまだにセレナ様を伯爵令嬢として扱っているんじゃ……。まさかとは思いますが、アイツにはまだ敬語で話しかけられていますか?」
「? ぉ、おっしゃる通りですけれど」
「かぁ~っ! あのクソ真面目、何のために一週間休暇をやったと思ってるんだ」
お手上げだとばかりに天に向かって愚痴をこぼすロウェルに、セレナはぎこちなく作り笑顔を浮かべる。
(ロウェル様から『初めての共同作業に』とカードまで添えて頂いたお花の苗、全部ゴーレムさんが植え付けたことは黙っておこう……)
「本当に不束な部下ですみません。まあ立ち話はこれくらいにして、我々も王宮に向かいましょうか」
「えっ、王宮?」
「はい。セレナ様にも授爵式に同席していただきますので」
すっかり留守番する気でいたセレナは、返事も出来ずに茫然と立ち尽くす。
「王族に危険が及びそうになった場合、貴女の異能に頼らざるを得ないかもしれませんからね。無論そうならないようにジュードの魔力を吸収していただいたのですが、念には念を入れておくべきだ」
「……それは、私もそう思います」
ジュードには問答無用で置いていかれたが、端から同席した方がいいのではと思っていたセレナは素直に頷く。ドレスの裾をつまみながら馬車に乗りこむと、対面に座ったロウェルが意気揚々と御者に合図をした。
「さあ参りましょう! アイツが男爵位を賜った暁には、セレナ様へのよそよそしい態度を改めるよう詰め寄ってやるのです!」
「……⁉」
愕然とするセレナの尻をぴょこんと跳ねさせて、馬車は勢いよく走り出した。




