14 直せないもの
建物一つない広漠とした荒野。
鈍色の空に向けて、いくつもの細い煙が立ち上る。
≪……ェ……≫
(この景色に、この呻き声……昨日と全く同じだわ)
ジュードの手に触れた数秒後、セレナは再び幻影の世界の中にいた。
(何かしら、この匂い……? 生臭いような、焦げ臭いような、錆びた金属のような……)
相変わらず視界の自由はきかないが、前回とは異なりぼんやりと嗅覚を感じとることが出来た。お世辞にもいい匂いとは言えない臭気が漂っていて、セレナは少し気分が悪くなる。
(……っ!)
と、そのとき。突然視界がぐにゃりと歪み、景色が溶け落ち始めた。
ますます吐き気を催しながら必死に堪えていると、驚くことに、先ほどとは全く異なる光景が目の前に広がっていた。
黄土色の乾燥した大地を見るに、場所自体は同じなのかもしれない。ただし、いくつも小屋が立ち並び賑やかに人々が行き交っている。
≪――父さん!≫
突如、人の声がはっきりと聞こえた。溌溂とした少年の声だ。
目の回るような速さで視界が前進し始める。人の波を掻き分けて行った先には、全身煤だらけで真っ黒な姿の逞しい男性が立っていて、視界の主はその男性の臍めがけて飛び込んでいった。触覚はわからない。だが、湯船に浸かったような安心感が胸にどっと押し寄せる。
≪ただいま、ジュード≫
セレナはようやく理解した。
(もしかして私、ジュード様の記憶を覗いてしまっているの……?)
魔力を吸収する過程で、彼の記憶まで引きずり込んでしまっているのだろうか。
兄の魔力を吸い尽くしてしまった時にはそんなことなかったはず、とセレナは必死に思い返すが、何せ八年も前のことだ。当時はかなり気が動転していたし、兄と自分の記憶は重なるところも多いだろうから、気がつかなかった可能性はある。
≪今日は珍しいもの掘り当てた?≫
≪ああ。見ろ、黄鉄鉱だ≫
男性の汚れた手のひらの中には、金色がかった真鍮色の鉱物がコロンと転がっていた。いくつかの立方体が組み合わさったような、魔訶不思議で魅力的な形をしている。
≪すごい綺麗じゃん! いくらで売れる?≫
≪あー……残念だが、黄鉄鉱はあまり使い道のない鉱物なんだ。見た目だけは綺麗だから〝愚か者の金〟とも呼ばれていてね≫
≪売れないってこと⁉ それじゃあ意味ないじゃん……≫
背丈からして七、八歳くらいだろうか。父親と話す幼いジュードの口調は、今の姿からは想像もできないほど感情豊かだ。
≪ごめんな。また探してくるから、今日はこれで勘弁してくれ≫
男性が困ったように微笑みながらそう言うと、視界がぐらぐらと左右に揺れ始める。頭を撫でられているのかもしれない。
「三分経ちました」
「っ!」
低く平らなジュードの声で、セレナはハッと目を覚ます。
「一分と三分の差はあまり感じないですね。明日はもっと時間を伸ばしてみましょう。砂時計、作り直してきます」
ジュードは「では」と一礼して立ち上がると、セレナに一言も発する間を与えることなく部屋を出ていった。
◇◆
次の日の晩。
「十分計です」
昨日話していた通り、ジュードは砂時計を新たに大きいものに作り変えて、セレナの私室に持参した。
「始めましょう」
「……はい」
勝手に記憶を覗き見されて、気分がいい人などいるはずがない。セレナは正直に伝えるべきか悩みながらも、彼の手に自らの手を重ねる。
(ひとまず授爵式までは、魔力吸収を優先しないと。お伝えするかどうかはその後で考えよう……)
≪……エリン、父さんが帰ってきたぞ!≫
昨日の記憶の続きだろうか。セレナの視点となっている少年のジュードは、父親を引き連れて簡素な小屋に入っていく。
小屋の中には、五歳くらいの少女が横になっていた。
大きな黒目が愛らしい彼女と目が合った途端、ふわっと体が浮くような高揚感が全身に広がる。ジュードがこの妹と思しき少女を慈しむ気持ちがひしひしと伝わってきて、不意に兄を思い出してしまったセレナは少し胸が苦しくなった。
≪おとーさん、おにーちゃん、おかえりぃ≫
へらりと笑うエリンの脚は、病的に細い。栄養不足で痩せているセレナの脚とは根本的に異なり、上半身との釣り合いが全く取れていなかった。一度も使われていないように筋肉の存在を感じられないその脚は、やはり彼女が上体を起こしても微塵も動かない。
≪これ、父さんにもらったけどエリンにやるよ。薬代にはならないみたいだからさ≫
≪わぁっ、ありがとぉ!≫
エリンはつぶらな瞳を瞬かせて、嬉しそうに黄鉄鉱を受け取り眺める。
≪……えへへ、だいじにするねぇ≫
「十分経ちました」
突然現実に引き戻されたセレナは、びくっと飛び跳ねるようにしてジュードから手を離す。もう三度目なのになかなか慣れない。
「……うん。十分間だとかなり感覚が違います。今までは次の日の晩になるとほとんど魔力が元通りになっている感覚があったのですが、これなら順当に魔力を減らしていけそうです」
「ぁ、そうですか。それは良かったです……」
「ただし授爵式は五日後ですので、少しペースを上げる必要があります。明日は十五分で行いましょう。砂時計、作り直してきます」
ジュードは昨日と全く同じ台詞を言って、無表情のまま「では」と部屋を出ていった。
――次の日も、そのまた次の日も、ジュードは少しずつ大きくなる砂時計を手にセレナの私室を訪ねてきた。
セレナはその度に少しずつ長い時間彼の手に触れ、彼の記憶の中を彷徨った。
記憶の中のジュードは、いつも少年だった。といってもセレナ自身がジュードになっているので姿は見えないのだが、変声前の高い声や、大人の鳩尾辺りまでしかない視点の高さからは、容易にそう察することが出来た。
垣間見る記憶の中で、ジュード少年の暮らしぶりが少しずつわかってきた。
父と妹の三人暮らし。父は炭鉱で働く鉱夫で、妹は足が悪い。明日食べる物があるかもわからない貧しい生活。
≪うわっ! 何だこれ!≫
ある記憶の中で、地面に手をついたジュードがそこら一帯の大地をいっぺんに耕してしまう、という場面があった。きっと、土魔法の属性を初めて自覚した時の記憶だろう。セレナには一生縁がなかったが、大抵の子ども達は八歳前後で魔力属性を自覚するのだ。
≪……うん。いい感じに育ってるな≫
また別の記憶では、突発的に耕されたその地面で、ジュードが様々な植物を栽培している様子が見えた。芋や野菜が多く育つ中、隅の方には明らかに食用ではない花々が咲いていた。収穫した芋を抱えたジュードは、その花を一本摘み取ると妹エリンの待つ小屋へ駆け出した。
≪わぁっ、かわいいおはなぁ!≫
エリンが顔を綻ばせると、胸がぽかぽかと温かくなった。
「二十五分経ちました」
「! っ、はい」
「毎度思うのですが。セレナ様、もしかして魔力吸収しながら寝てますか? いつも目を閉じたきり身動き一つされませんが」
「ぁ、いえ、決してそんなことは……!」
そう言うジュードも、魔力を吸収されながら何かの書類に目を通して仕事を片付けているのだから、全く人のことは言えないはずだ。
しかし、記憶の世界から帰ってきたばかりのセレナに、そこまでの思考力はない。毛先から三割ほどが飴色に染まった髪の毛を見下ろしながら、おどおどと当たり障りのない返事を考えるので精一杯だった。
「ただ少し……昔のことを思い出していただけです」
そうして数日が過ぎ――授爵式前日の晩。
随分と大きくなった砂時計を手に、ジュードがセレナの私室にやってきた。
「だいぶ魔力が減ってきている感覚があります。今晩の三十分間で、ひとまず明日の式典は安全に終えられるでしょう」
ジュードはそう言って、いつものように左手をセレナに差し出す。ティーテーブルの上には既に難しそうな書面が広げられていた。
「セレナ様も読書でもされてはいかがですか? 三十分もぼーっとしていては退屈でしょう」
「ぁ、わ、私は大丈夫です……」
「そうですか。では、始めましょう」
(退屈したくても全くできないのよね……)
セレナは心の内でそう思いつつ、ふぅ、と一呼吸おいてからジュードの手のひらに自分の手を重ねた。
≪……父さん! ――父さんっ‼≫
鬼気迫る呼び声に、心臓を掴まれたような感覚がセレナを襲う。
セレナ、もといジュード少年の目の前には、坑道の入口らしき光景が広がっていた。ただし、その入口には大小さまざまな岩がびっしりと詰まっていて、中に入れない鉱夫達が困ったように周囲をうろついている。
≪岩盤が崩落したんだとよ。作業中だった奴らは全滅だろうな≫
鉱夫達がひそひそと噂話をする声。それを聞いたジュード少年が、素手で入口に詰まった岩を掘り始めた。
≪おい、危ねぇぞボウズ! 離れろ≫
≪父さんがまだ中にいるんだ……!≫
≪やめとけ。この村には土魔法の手練れもいねぇし、お前さんの父親もこの坑道も諦めるしかねぇな≫
≪は、はぁ……? 何言ってんだよ。諦めるって、そんな、っんなの、出来るわけ……≫
≪死んだんだよ。わかったらさっさと家に帰りな≫
無理に岩を掘ったせいで血が滲んでいる手に、パタタと涙が数滴こぼれた。
視界がぼやけ出した、次の瞬間――。
≪……――ゥウウウゥグァアアアァァァッ‼≫
内臓を揺るがすような、けたたましい咆哮が響き渡った。




