10 魔力吸収計画
「旦那様……それ、昔のオンナの名前じゃないでしょうネ……?」
ミラはそう言って、ジュードに冷ややかな視線を向ける。ジュードは、それをはるかに上回る氷点下の目つきで「は?」とミラを睨み返した。
「何を馬鹿なことを言っている。俺はただ」
「あ~、わかりましタ。『セレナ様の可憐なお姿がカサブランカの花のように見えた』という意味ですネ!」
「ああ」
ジュードが眉一つ動かさずにこくりと頷いたので、セレナは思わず「ぇえっ?」と上擦った声が出た。その声で我に返ったのか、ジュードの切れ長の目がじわじわと見開かれていく。
「…………⁉ ッ、いや違う」
己が口走った言葉の意味にようやく気がついたのか、ジュードは珍しく目を泳がせる。そんな主人に、恐れを知らないミラが「違うのですカ?」と追い打ちをかけた。
一瞬動揺して見えたジュードの表情は、忽ち岩肌のようなしかめ面になり。
「ッ……貴女の専属メイドは、本当に彼女で大丈夫なのですか?」
ミラの質問には答えることなく、セレナに向かって問いかけた。
「他にもっと礼節をわきまえたメイドがいくらでもいるでしょう。執事長に相談してきます」
「ぃ、いえ、私はミラがいいのです! 元々魔力を持たない彼女であれば、私の魔喰いの影響を受けないので」
善は急げとばかりに踵を返したジュードを、セレナは慌てて呼び止める。するとジュードは不満げな顔をしながらも、くるりとこちらに向き直った。
「……わかりました。ですが、大事な話をしたいので一度席を外させます。よろしいですね?」
「はい」
セレナが頷くと、ミラは「失礼いたしまス」と一礼して廊下に出ていく。そうして、がらんと広い部屋にセレナとジュードの二人だけとなった。
「ぁ、どうぞおかけください」
「ありがとうございます。セレナ様もお座りください」
異様な緊張感に包まれる中、何を言ったらいいかわからないセレナはひとまずジュードに椅子を勧めた。ところが彼もセレナに椅子を勧め、直立したまま一向に座ろうとしない。
「……は、はい」
困惑しながらもセレナが先に根負けして座ると、ようやくジュードもティーテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰を下ろす。
(ひょっとして、私の爵位を気にされているのかしら……?)
表情こそセレナへの拒否感が如実に現れているものの、これまで彼はずっとセレナに敬語で話しかけていた。初対面のみすぼらしい姿の時も、意にそぐわぬ結婚が成立した今も、変わらず自分のことを『セレナ様』と呼び、一歩下がった姿勢を崩さない。
(ジュード様は騎士団にお勤めですものね……。肩書きや上下関係に敏感なのかもしれないわ)
確かに伯爵令嬢と魔法騎士を比べたら、貴族ですらないジュードよりセレナの方が社会的地位は高いだろう。
しかし、今のセレナは彼の妻なのだ。ジュードがへりくだる必要は全くないし、虐げられた生活に慣れてしまったセレナにとっては、ひたすら身が縮こまる心地がするばかりである。
「あの、ジュード様……?」
「はい」
「私はもう伯爵令嬢ではないので、その、敬語をお使いにならなくてもよいと思うのですが……」
セレナはジュードの顔色を伺いつつ、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
顔立ちの威圧感が強い分、言葉遣いだけでも親しみやすくなるとありがたいなぁ……、というセレナの切実な願いであったが。
「いえ。俺はまだ男爵位を賜っていませんので。少なくとも授爵まではこのままで結構です」
「そう、ですか……」
ジュードが強固な規範意識を覆すことはなかった。一縷の望みが消えたセレナは、相変わらず畏縮しながらジュードと会話せざるを得なくなる。
「早速ですが、今後の〝魔力吸収計画〟について話し合いましょう」
「……計画ですか?」
「はい。俺は魔喰いの異能の委細をよくわかっていません。魔力を吸う方法、一度に吸収できる魔力量、吸った魔力は貴女に蓄積されるのか、魔力吸収に伴う副作用などはあるのか――まずはそれらを知りたいです」
「っ、ぁ、えぇっと」
立て続けに質問されたセレナは、必死に頭を回転させる。ジュードは真顔で四本指を立て、じっと回答を待っていた。
「魔力を吸う方法は……肌と肌の接触です。一度に吸収できる魔力量は……わかりません。吸った魔力は……いつの間にか消えてしまうので、私自身が魔法を使えるようになったりはしないです。魔力吸収の副作用は……髪の色が変わるくらいでしょうか」
「なるほど。つまり魔力は一度に大量に吸収できる可能性があり、俺の魔力を吸うことで貴女が魔力暴走を起こすことはなく、魔力吸収に伴う肉体的・精神的負担もないということですね」
「……はい」
「では、今すぐ試してみませんか?」
「……はい?」
不意な申し出にセレナは思わず面食らうが、ジュードの表情は真剣そのもの。何色にも染まらないであろう漆黒の瞳が、真っ直ぐにセレナを捉えている。
「一度の魔力吸収で大幅に魔力量を削減できれば、俺と貴女が共に生活する必要はなくなります。徐々に俺の魔力が回復してきたとしても、数か月や数年に一度お会いするだけで事足りるかもしれません。上手くいけば、明日にでも貴女は晴れて自由の身です」
「自由、ですか……?」
「ご心配なく。上官からご実家の事情は伺っております。ヴェルディア伯爵家に戻らずとも生活できるよう、衣食住の手配はさせていただきます」
「っ、つまり……結婚契約を破棄して別々の場所に暮らす、ということでしょうか」
「はい」
結婚翌日にして、早くも離婚の影がちらつきはじめた。
セレナが呆気にとられていると、ジュードはサッと右腕を上げ、手のひらを天井に向けた状態でテーブルの上に置く。
「俺はいつでも構いません」
「! ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
躊躇なく目の前に差し出された大きな手に、セレナはびくっと体を強張らせながら懸命に首を横に振る。
「き、危険すぎますっ。やり過ぎて魔力を吸い尽くしてしまっては、もう取り返しがつきません」
「別に俺はそれでもいいですが」
「いいえ、いけません!」
思いのほか大きい声を出したセレナに、ジュードも、そしてセレナ自身も驚く。お互い言葉に詰まり、居心地の悪い静寂が部屋中を埋め尽くした。
「ぁ、あの……実を言うと、私が実際に誰かの魔力を吸ったのはジュード様で二人目なのです……」
「? そうですか」
とつとつと喋り出したセレナを、ジュードは『だから何だ』とでも言うように怪訝な顔つきで見つめる。セレナは俯きがちに続ける。
「私が一番最初に魔力を吸ってしまった兄は……――私のせいで魔力を失い、自害しました」
ジュードが小さく息を呑む音が、はっきりとセレナの耳に届く。しかし、今のセレナの脳内には懐かしい兄の声が響き渡っていて、鼓膜を揺らした音を音として認識できなかった。
「あの時私は……兄と小一時間ほど馬車に揺られながら手を繋いでいました。その間に、私は兄一人分の魔力を芯まで吸い切ってしまったのです。兄は伯爵家の長男として、父の期待を一手に引き受けていました。それなのに突然魔法が使えなくなって、一体それほど苦悩したか……。私はもう、自分のせいで誰かが苦しむ姿を見るのは――」
そこまで言ったところで、セレナははっと我に返った。
「っ、すみません! き、訊かれてもいないことをペラペラと……」
「いえ」
慌てふためきながら謝るセレナに、ジュードは硬い表情のままそう言って右腕を引き戻す。
それからすっとその場に立ち上がり。
「俺の方こそ申し訳ありません。考えが至りませんでした」
「……⁉」
セレナに向かって、世にも美しい角度で頭を下げた。何がどうして謝られているのかさっぱりわからないセレナがますます狼狽していると、ジュードは凛と潔い表情で顔を上げる。続いて胸元から何やら黒っぽい砂の入った硝子の小瓶を取り出し、トン、とテーブルに置くと。
「〝土よ造れ〟」
小瓶に手のひらを翳しながら、土魔法の呪文を呟いた。
その途端、硝子がぐにゃりと姿を変え始める。みるみるうちに中心がくびれたヒョウタン型となり――ものの数秒で、それは黒砂の詰まった砂時計になっていた。
「うわぁ……っ」
初めて見る土魔法。その繊細さに、セレナは自然と目を奪われてため息を漏らす。
「一分計を作りました。これを使い、ひとまず毎日一分間だけ魔力吸収を行ってみませんか?」
瞬く間に生み出された砂時計を手に、ジュードは言う。
「昨日俺が暴走を起こした時、貴女はほんの一瞬しか俺に触れていなかったと上官が言っていました。であれば、一分間でも十分に効果が得られる可能性が高い。不安に思われるのはご尤もですが、とにかくやってみましょう。授爵式は一週間後に迫っているので」
「ぃ、一週間後⁉」
「はい」
ジュードは顔色一つ変えずに頷く。
未だ覚悟が定まらずにいるセレナに向かい、彼はスッと再び手のひらを机上に差し出していた。




