2.2 図書館と魔法史
■ 登場人物
【アステル・ランドール】主人公。男爵家の跡取り。黒髪黒目、陰気な顔。
【グラノーラ・フルール】主人公の幼なじみ。伯爵令嬢で主人公の主筋。長く美しい金髪に美しい青い目。
【マル】主人公の体に転生(居候)した魔法使い。見た目は四歳ぐらいの幼女。緑色の髪に緑色の目。
魔法学校の校舎の廊下にいる。メザリアとの衝突を経て、俺はグラノーラと現場を急いで離れた。
階段を下りて、誰も追って来ないことを確認したら、どっと疲れが襲ってきた。
「ふうっ」
「ごめんね、アステル。ちょっとやりすぎちゃった」
グラノーラが、両手を合わせて謝罪のポーズを取る。
「勘弁してくれよ。まあ、お嬢が無事でよかった」
反省しているグラノーラを見ると、怒る気にはなれない。この幼なじみは悪いやつではない。それに、ブチ切れた理由は、俺が馬鹿にされたからだ。俺の立ち回りがよくないせいで、そうなったとも言える。
俺はグラノーラと歩きながら、周囲に聞こえない小さな声でマルに話しかける。
「さっきのメザリアが倒れたのは、おまえがやったのか?」
「そうだ。危ないところを救ってやったんだ、感謝しろ」
マルは得意げに胸を張る。
「あれは何だ?」
「霊撃だ。純粋魔法の簡単な技だ。そのうち教えてやる。他にもいろいろと学ぶべきことがあるぞ」
霊撃も純粋魔法も、これまでまったく聞いたことがない単語だ。
どうやらマルは、魔法使いとしての能力は俺よりもはるかに上らしい。転生ガチャは、少なくともハズレではなかったようだ。
「図書館に行かないとな」
俺はつぶやく。マルの要望を聞いて、きちんと魔法を教えてもらった方がよさそうだ。
「なあ、マル……」
俺はグラノーラに聞こえないように小声でマルに尋ねる。
「あんたはいったい、どういう人間なんだ? 少なくとも見た目どおりの年齢じゃないんだろう?」
マルは手を後ろで組んでにっこりとする。
「私はかつて、大魔法使いと呼ばれていた」
大魔法使い? 絵本に出てくる魔法使いかよ。
大魔法使いなんて呼称は、絵本に出てくるお話の中の魔法使いぐらいしかいない。魔法の能力はあっても、頭の程度は外見どおりの幼女なのかもしれない。
「はいはい、大魔法使いね」
俺は答えたあと、くらっときて倒れそうになった。
「大丈夫、アステル!」
グラノーラが肩を支えてくれた。いつも使っている香水のにおいがふわりと鼻に漂ってきた。
「魔法を使うために、おまえの魔力を搾り取った。猛烈にお腹が空いているはずだ」
マルがにこにこしながら言う。
お腹が、ぐうーっと鳴った。グラノーラは、くすくすと笑い声を上げる。
「なーんだ。アステルも、お腹が空いていたんじゃない」
「いや、違う。さっきのいざこざで腹が減っただけだ」
「素直じゃないんだから、もう」
グラノーラは、俺に肩を貸したまま、嬉しそうな顔をした。
「図書館に行く前に、一緒にたくさんおやつを食べようね!」
「分かったよ。そうするよ」
俺はグラノーラに支えられながら廊下を歩く。そして校舎を出て、食堂の建物に入り、カウンターへと向かった。
◆◆◆
魔法学校の食堂は、校舎や宿舎とは別の建物になっている。
俺はグラノーラと一緒に、食堂でお菓子を食べた。グラノーラは、トレイにケーキを並べて頬張っている。その前に座った俺は、クラッカーを口に運んだ。
「お嬢、そろそろ俺は行くぞ」
「どうしたの、もっと食べないと成長しないよ」
「必要なエネルギーは摂取した。俺は図書館に用があるんだ」
「せっかく、ただなんだから、もっと食べればいいのに」
「太るぞ、お嬢」
「大丈夫よ。私、太ったことないもの!」
グラノーラは笑顔で言う。
この膨大なカロリーはどこに消えているのか謎だ。どう考えても、ふだんの生活で消費する量ではないだろう。
もしかして魔法が関係しているのか?
俺の体を使ってマルが魔法を使ったあと、腹が異様に減った。昨日、転生魔法を使ったときもそうだ。あるいは、魔力量が多い貴族は、俺や庶民よりも大量の食事が必要なのかもしれない。
「まあ、ほどほどにな」
グラノーラのおやつに付き合っていると、いつ終わるのか分からない。
俺は途中で抜け出して、一人で図書館に向かった。
◆◆◆
図書館に着いた。貴族の子弟が多数入学する魔法学校の図書館だ。建物も大きく、内装も立派で、蔵書も多い。何よりも魔法関連の本が充実している。
館内には本棚が並んでおり、閲覧席にはちらほら生徒がいた。
「図書館に着いたぞ。どういう本を探すんだ?」
俺は他の人に聞こえないように小声で尋ねる。
俺にしか見えない幼女のマルは、目を輝かせてぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「そうだな。魔法の歴史についての本がいい」
俺はちらりとマルを見る。幼い年齢に見えるから絵本というわけではないだろう。授業中の質問内容や、わざわざ図書館に行くという行動から、専門書を求めていると考えるべきだ。
図書館は俺の庭だ。魔法がうまく使えない代わりに、知識は頑張って詰め込んでいる。入学してからは何度もここに来て本を読みまくった。
どこにどんな本があるのかは把握している。まっすぐ歩いていき、魔法史の本棚の前で止まった。
「どの本がいいか?」
「なるべく網羅的なものがいい。そうした本を見たあと、細部について書いてある本を確認していきたい」
背表紙を目でたどり、一冊の本を引き抜く。『魔法王国ザラエルの魔法史』という本だ。一度読んだことがある。この国の五百年にわたる魔法の歴史がまとまった本だ。
「ザラエルか……」
マルが含みのある言い方でつぶやいた。
「どうした? この国と敵対していた国で暮らしていたのか?」
「いや違う。まあいい、先入観抜きに本を読もう」
ザラエル王国について、何か思うところがあるのか。あまり話したくないようなので、今は聞かないでおこう。
俺は本を持って閲覧席に行く。表紙をめくり、最初のページをマルに見せた。
「めくってくれ」
数秒しか経っていない。もう読んだのか。あるいは重要そうな単語を拾っているだけかもしれない。
俺は、マルの指示で高速にページをめくり始めた。そして、すぐに一冊読み終えた。常人には読み取れない速度だが、内容は頭に入っているようだ。
マルは落胆したような顔をした。
「ああ、そうなっているのか……」
「どうしたんだ?」
「いや、気を取り直して二冊目に行こう。なるべく多様な角度から、魔法の現状を知りたい。おまえはこの図書館に詳しいようだから数冊見繕ってくれ」
読み終わった本を棚に返した。この魔法使いはいったい何を考えているのだろうと、俺は思った。
◆◆◆
俺は魔法学校の図書館にいる。マルのために、この国の魔法の歴史を調べている。
俺は棚と机を行き来する。マルは俺から離れられないのか、ちょこちょこと横を歩いている。
専門書だけでなく、一般書や絵本なども対象にした。この時代に魔法がどのようにあつかわれているか分かる本を片っ端から集めて、机に積み上げていった。
三十冊ぐらい重ねたところで席に着いた。
「さっきと同じようにページをめくればいいんだな?」
「ああ」
マルの顔には、図書館に来たときのようなウキウキ感はなくなっていた。彼女は険しい顔をしていた。
俺は言われるがままにページをめくる。周囲から見れば、本を高速でめくっている変なやつに見えるだろう。まあいい。どうせ、ぼっちだ。どんな目で見られても構わない。
全ての本を読み終えたときには、腕と肩がだいぶ痛くなっていた。
「どうだ、続けるか?」
「いや、今日はもういい。おまえの体が持たなさそうだからな」
俺は、机の上にしょんぼりと座ったマルの様子を見る。
「暗い顔をしているな」
「まあな」
「何か期待外れだったのか?」
「発展していると思っていたのだが、衰退していた」
「魔法が?」
「そうだ」
俺は考える。知らない知識を埋めていた様子から見て、マルの生きていた時代は、百年前をはるかに超えてさかのぼる。
魔法王国ザラエル時代の魔法史をさまざまな角度から読んで「衰退していた」と言ったことから、それ以前の生まれなのだと推測できる。
「王国成立前の時代の人間なのか?」
「初期の頃は知っているよ」
「その頃生きていたんだな。その幼女の姿は、本来の姿ではないんだよな。本当は何歳なんだ?」
「正確には覚えていない。二百年は生きているはずだ」
人間の寿命を超えている。
「マル、おまえは何者なんだ?」
「大魔法使い」
「いや、もう少しきちんと説明しろよ。絵本の中に描かれた魔女じゃないんだからな」
俺たち現代の子供たちが知っている大魔法使いという呼称は、絵本に登場する魔女ぐらいだ。それ以外に大魔法使いと呼ばれている人間を俺は知らない。
もしかしてマルは、本物の大魔法使いなのか。初めから真実を言っていて、俺が聞き流していただけなのか。
「マル。おまえは、さっき読んだ絵本に描かれていた魔女なのか?」
「ああ、そうだよ」
「大魔法使いの塔に住んで、数々の弟子を取っていたと書いてあったよな」
「書いてあった」
絵本の中にしか記憶が残っていない伝説の魔法使い。マルはその本人なのか。
「おまえがモデルなのか?」
「おそらくな。私の本名は、マルテシア・マルルマールだ。もし私の記録が残っているのならば、その名前もどこかに記載があるはずだ」
「ちょっと待ってくれ」
俺は立ち上がり、棚へと向かう。マルは、俺のあとを付いてくる。
絵本の大魔法使いについて研究した本はあっただろうか。あるとすれば、この国で書かれた魔法史ではなく、文学などの棚にあるはずだ。
俺は目次を見て、関係がありそうな本を何冊か引き抜いていった。
俺は、絵本の大魔法使いについて言及している文章を探して、次々とページをめくる。
かなりの時間がかかったが、大魔法使いのモデルとなった人物について記載されている一文を見つけた。
俺は震える手で文字をたどる。
――正確な名前は記録に残っていない。断片的な記録をたどると、マルというフレーズが複数回登場する名前だったそうだ。マール、マルテ、マルル、そうした単語が連なった名前をしていたそうだ。
俺が転生ガチャで引いた相手は、どうやら五百年前の大魔法使いだったようだ。
俺は図書館の閲覧席に戻る。俺にしか見えないマルを正面から見た。何から尋ねればよいだろうか。マル自身が気にしていることを聞くのがよいだろう。きっと雄弁に語ってくれるはずだ。
「魔法が衰退しているって、どういうことなんだ?」
周囲に聞こえない小声で話しかける。マルはうなずき、語りだす。
「大魔法使いの塔は、アカデミーとも呼ばれていた。私のもとに数多くの魔法使いの卵たちが集まっていた。
あの頃、私たちは数多くの魔法を開発していた。そして私の高弟の一人ザラエルが、ザラエル王家を立ち上げ、魔法王国ザラエルを作った。貴族が爵位と魔法を継承する国だ。
その後、大魔法使いの塔は滅んだ。
この五百年間、魔法とは継承するものになっているようだな。新規に魔法を作る者の記録は、本を読んだ限り出てこなかった。
これが衰退ではなくて何だと言うのだ? 私は、自分が死んで五百年経っているのだから、どれだけ魔法技術が進んだのだろうと楽しみにしていた。結果はこれだ。大いなる停滞が続いていた」
マルは目を細めながら言う。悲しさと悔しさが入り混じった表情だ。
彼女は死に、五百年経ち、俺の体を借りて蘇った。そこで見たのは、夢見たものとはまるで違う未来だったというわけか。俺はマルのことが、少しかわいそうになった。
「なあ、マル。俺に魔法のことを教えてくれないか。おまえの時代の魔法のことでもいい。本当は、俺の時代の魔法のことを教わりたいんだがな」
俺は真剣な目でマルを見る。
「魔法に興味があるのか?」
「興味がある。というか、魔法が使えるようにならないと、貴族の地位を没収される。ザラエル王国のルールなんだ」
「ザラエルの作ったルールか」
マルは不満そうに顔を歪める。
「マル。俺が魔法を使えるようにしてくれ。やり方はおまえに任せるから」
俺は微かな希望を胸に、目の前の大魔法使いに頼む。
「分かった。私がおまえを、現代の大魔法使いにしてみせよう。魔法文明の新しいページを、おまえから始めるために」
「本当にできるのか?」
「できる。先ほど、おまえの体を使い、魔法を使ってみせたではないか。正しく学べば、おまえは魔法使いになれる」
俺はマルに視線を注ぐ。魔法は確かに使えた。俺が使ったわけではないが、素質がゼロというわけではないのだ。
「マル、俺は何をすればいい? どうすれば魔法使いの道を歩めるんだ?」
「やることはいくつかある。まずは魔力の増強と、魔力操作の精緻化。それらと並行して、魔法の本当の歴史を学んでいかなければならない」
「修行と学習だな。学習の方はどうする?」
「夜寝る前にでも講義をしてやろう」
「修行の方はどうやるんだ?」
マルは少し考え込んで、にやりとする。
「人狩りをやろう」
「えっ?」
俺は体を硬直させる。
「魔力を高めるために人間を狩るんだよ」
「……本気なのか?」
「ああ」
マルは当然といった顔をした。
次回「2.3 挿話:メザリア・ダンロス」(第2章 その3)