2.1 最大派閥
■ 登場人物
【アステル・ランドール】主人公。男爵家の跡取り。黒髪黒目、陰気な顔。
【グラノーラ・フルール】主人公の幼なじみ。伯爵令嬢で主人公の主筋。長く美しい金髪に美しい青い目。
【マル】主人公の体に転生(居候)した魔法使い。見た目は四歳ぐらいの幼女。緑色の髪に緑色の目。
転生神殿で転生ガチャをして一晩が経った。変化といえば、謎の幼女が見えるようになり、話しかけてくるようになったことぐらいだ。
朝目覚めた俺は、隣のグラノーラの部屋に行って、ひどい寝相で寝ているグラノーラの姿を見た。長く美しい金髪が、これでもかと乱れている。吸い込まれるような青い目は、寝起きでしょぼしょぼしている。
俺はグラノーラの世話係兼学生としてこの学校に来ている。ため息をついたあと、グラノーラを起こして着替えるように言った。
「もう朝なの? まだ眠いからきっと夜よ」
「お嬢、起きないと食堂の朝食がなくなるぞ。俺はお嬢を待たない。腹が減っているからな。空腹のまま授業を受けるのは嫌だ」
「じゃあ、食事を持ってきて。寝ながら食べるから」
「ぐだぐだ言わずに起きろ」
布団を剥ぎ取り、窓を開けた。仕方がなさそうに、もぞもぞとグラノーラはベッドの上に座る。
「服は自分で着替えろ。そこまでは面倒を見ないぞ」
「えー、着替えさせてくれればいいのに」
俺は無視して廊下に出た。
「ほう、あれがおまえの幼なじみか」
俺の横を幼女が歩いている。年齢は四歳ぐらい、緑の髪に緑の目で、魔法使いらしいローブを着ている。
「マジで、俺以外には見えないんだな。お嬢のやつ、気づいていなかったし」
ちょこまかと脚を動かすマルに話しかける。ふつうの転生者は転生先の体内に同居する。しかし、こいつは『霊魂義体』というものを使えるらしく、俺の目に幼女の姿で見えている。
「相変わらず、世の中に絶望したような表情だな」
「うるせえ」
俺は自分の姿を思い浮かべる。黒髪に黒目で陰気な顔。絶望したような表情なのは仕方がない。一家の運命を背負っているのに、まともに魔法を使えないのだから。
「それで、図書館にはいつ行くのだ? 早く現代知識を得たいぞ」
「朝食をとって授業に出る。図書館に行くのは夕方だ」
「えー、早く行こうじゃないか」
「現代知識を得るなら、授業を聞くのでもいいだろう。俺はこの学校を無事に卒業しないといけない。授業をさぼるのは極力避けたい」
「ちっ、真面目かよ」
マルは悪態をついて、つまらなさそうにした。
食堂に行き、庶民向けのカウンターでパンとスープを受け取る。いちおう俺も貴族だが、貴族向けのカウンターは気が引ける。公爵の息子とか、侯爵の娘とかがいて、どうしても場違い感が半端ないのだ。
その点庶民向けはいい。給食のおばさんと雑談して、少し大盛りにしてもらって気楽に食える。俺は部屋の端で食事をとりながら周囲に気を配った。
いくつかグループができている。だいたい領地が近い者同士でまとまっているのは、俺とお嬢と変わらない。
目下一番気をつけないといけないのは、ダンロス公爵家のご令嬢のグループだ。俺は視線をちらりと向ける。銀色の長い髪に灰色の目のメザリア・ダンロスの姿が目に入った。
一年生のメザリア・ダンロスは、入学してすぐに手下を増やしていき、学内最大派閥を作った。
公爵という高い地位にいることだけが彼女の強みではない。誰にどの飴を与えればなびくか、どの鞭を与えれば屈服させられるか、膨大な情報を把握している。そして、それらを適切に行使できる頭脳や行動力を持っている。
地位、頭脳、胆力、いずれも一級品だ。本来なら手放しで称賛するべき相手だが、俺は距離を置いている。貢ぎ物を要求してくるのだ。立場の確認の意味もあるのだろう。
俺には金がない。ない袖は振れないので、こそこそと逃げ回っている。
あとは、グラノーラがそうした上下関係が嫌いというのもある。グラノーラは、お世辞を言いたがるタイプではない。下手をすると喧嘩になる。だから、トラブルが起きないように関わらないようにしている。
「いつの世も、学生が派閥を作るのは変わらないなあ」
机の上に座っているマルがつぶやいた。
「おまえ、何年前の人間なんだよ?」
「あー、早く図書館に行きたいなあ」
駄目だこいつ。俺は手早く食事をとって、食堂をあとにした。
授業のあいだもマルはうるさかった。俺の机に座って、あれこれと質問してくる。この言葉はどういう意味だ、この品物は何だと、間断なく声をかけてくる。
完全に無視してもよかったのだが、そうすると机の上で転がって駄々をこねる。仕方がなく、ものすごく小さな声で説明してやった。
そうしたやり取りで気づいたことがある。マルはかなり昔の人間だ。百年以上前の知識しかない。いや、もっとさかのぼる可能性がある。
少なくとも、俺が知っている王国の常識は、ことごとく知らない。下手をすると王国成立よりも前の時代に生きていたのかもしれないと思った。
あと、もう一つ気づいたことがある。マルは恐ろしく頭がいい。初めの頃は膨大な量の回答を求めていたが、徐々に以前の回答から知識の隙間を補うようになっていった。
その様子はまるで、破れた絵画の断片を渡されて、正確に復元するようだった。マルは限られた知識から、現代社会の様子をかなりの精度で理解するようになった。
午前と午後の授業が終わる頃には、田舎から王都にやって来た俺と大差がない程度の常識を、マルは備えるようになっていた。
◆◆◆
魔法学校の授業が終わった。
俺とグラノーラは別のクラスだ。俺は教室を出て、グラノーラのいる教室に行き、声をかける。
「お嬢、俺は今日、一人で図書館に行く」
「そうなの? 私は食堂に行っておやつを食べるわ。本は食べられないから」
グラノーラは、黙ってじっとしていたらお嬢様だが、中身は筋肉がみっちりと詰まった山猿だ。
ただ、どう考えても領地にいた頃よりも運動量が減っている。いつかぶくぶくと太るぞと俺は思う。
「食堂までついて来て」
「何で俺が?」
「私がアステルと一緒におやつを食べたいから」
仕方がない。そう言われたら同行するしかない。
俺も少しだけ小腹が空いていた。きっと授業中、しゃべり続けたせいだろう。
グラノーラと並んで廊下を歩いていたら、前方から生徒の集団がやって来た。先頭にいるのは銀色の長い髪に灰色の目の美しい女性だ。メザリア・ダンロスか。あまり関わりたくない相手とすれ違うなと思った。
「お嬢、脇に避けよう」
「どうして?」
「面倒くさいことにならないように、空気になる」
「空気になる魔法は知らないよ」
適当に黙らせてグラノーラと廊下の端に移動する。
グラノーラは、メザリアたちをながめている。目をそらして欲しいのだが、俺の思うとおりには行動してくれない。
メザリアが立ち止まってこちらを向いた。取り巻きたちの視線が一斉にこちらに集まる。困ったことになった。
「フルール伯爵家のご長女のグラノーラさんと、ランドール男爵家のご長男のアステルさんでしたわね。アステルさんは、双子の妹さんのお兄さんだとか」
調査能力と記憶力がやばいなと思う。
グラノーラのことならともかく、その世話係の俺のことまで調べて記憶しているのか。
「私は、あなた方からまだ挨拶を受けていないのですが、記憶違いかしら?」
「こんにちは! さあ、アステル、食堂に行きましょう」
グラノーラの言葉で空気が凍った。そういう意味の挨拶ではない。忠誠の証として貢ぎ物を持ってこいという意味での挨拶だ。
グラノーラは、分かっていて言葉の挨拶だけを返している。
このままではメザリアの顔を潰してしまう。だからといって、グラノーラは納得しなければ貢ぎ物などしない性格だ。俺にいたっては、やろうにも金がない。
「それは、私と対立するということかしら?」
メザリアが冷めた目をグラノーラに向ける。
「どうしてですか? 私の部屋にぜひ遊びに来てください。歓迎しますから」
自分のもとにおまえが来い、とグラノーラは言っている。おいおい、と俺は思う。
メザリアの眉が動く。怒らせたか。
グラノーラは、喧嘩っ早いし肉体派だ。田舎の領地では野山を山猿のように駆け回っていた。最後は拳が物を言うと思っている。実際、格闘術では俺よりも上だ。
「すみません。うちのお嬢には、言い聞かせておきますので」
恐縮しつつ、この場を取りなそうとする。
「空気の読めない女に、頭を下げるしか能のない男のコンビなのかしら」
メザリアが足を動かして去ろうとする。その姿を見て、グラノーラがぼそりとつぶやいた。
「私のことなら好きに言ってもいいけど、アステルのことを馬鹿にするのは許せないわ。
言いたいことがあるのなら、一人で言いに来ればいいのに。よほど自分に自信がないのね。だから群れを作りたがる」
お嬢! なぜ自分から喧嘩を売るんだ!
俺は心の中で叫ぶ。グラノーラはたまにブチ切れることがある。俺を馬鹿にされると、けっこうな頻度で怒り心頭になる。
メザリアが足を止めた。
「一人で何もできないですって?」
小さな声には怒りが込められている。
互いに地雷を踏んだようだ。メザリアの心の薄いところを踏み抜いてしまったようだ。
グラノーラは格闘術が得意だ。それは身体能力が高いからだけではない。相手の弱点を瞬時に見抜き、そこを突くからだ。
それは口喧嘩でも同じだ。的確に相手の痛いところを突く。その結果起きることの尻ぬぐいは、俺の仕事だ。グラノーラは、そうしたことを俺にさせることで、俺の有能さを確認するようなところがある。
メザリアの周りにいた取り巻きが、顔を青くして離れた。メザリアが、ぶつぶつとつぶやいている。周囲のざわめきから魔法という言葉が聞こえた。
――メザリア様は十以上の魔法を持っているそうよ。
――いったい、どの魔法を使うのでしょう。
おいおい、ここで魔法を使うつもりなのか。俺は戦慄する。
学校では身分の差はないという建前がある。しかし、宿舎の部屋などには明確な序列がある。メザリアは公爵家、グラノーラは伯爵家、何かがあった場合は、グラノーラの方が分が悪い。
「一対一なら文句ないでしょう。私が直接手を出すと、相手を殺しかねないから自重しているのよ」
メザリアが一歩踏み出して両手を掲げた。両手の先に薄い金属の破片が現れて凝集していく。すぐに鉄槌となり金属光沢を放ち始めた。
ダンロス家で有名な魔法だ。城壁を破壊する威力を持つと言われる、『神の鉄槌』だ。
メザリアが受け継いでいたのか。それって親にめちゃくちゃ期待されているということだぞ。
俺は恐怖とともに鉄槌を見る。あれで殴るつもりなのか。正面から食らうとグラノーラが死ぬぞ。
俺はグラノーラを勢いよく後ろに引いて前に出た。計算など何もない。幼なじみを守るための行動だった。
鉄槌が振り下ろされる。少しでも勢いを削ごうとして両手を上げて目をつむる。
死んだと思った。
一瞬、意識が消えたからだ。
意識が戻った。体に痛みはなかった。俺は薄く目を開けてメザリアの姿を見る。
メザリアは鉄槌を持ったまま床に倒れていた。体に力が入らないのか、苦しそうに手足を動かして、こちらをにらんでいる。
「いったい、何をやったの?」
荒い息とともにメザリアは尋ねる。
分からないので俺は首を横に振る。幼女のマルが現れて、人差し指を口の前に立てた。
秘密だぞ、とでも言いたいのか。メザリアが倒れたのはマルのせいなのか。
転生した者は、宿主が意識を失っているあいだ、体を操ることができる。
俺の体を操って何かしたのか。
「行きましょう」
グラノーラが、俺の腕を引いてくる。
「大丈夫だった、アステル?」
小声で聞かれた。
「ああ、俺は大丈夫だ。お嬢は?」
「私は全然大丈夫!」
嬉しそうにグラノーラは言う。
メザリアは、取り巻きたちに介抱されている。俺とグラノーラは、足早にその場を離れた。
次回「2.2 図書館と魔法史」(第2章 後編)