9.真実
フェリシアン様とともにテラスに出る。舞踏会の会場内の喧騒が嘘かのように、テラスは静かなところだった。
静寂に満ちたところで、胸に置いた手をギュッと閉じる。
確かに私は、フェリシアン様に手紙を送っていた。てっきり読まずに捨てているのだと思っていたのに、しっかり内容まで把握されてしまっているなんて。
嬉しさというよりも、羞恥心を感じる。
テラスの手すりまで歩いて行ったフェリシアン様が振り返る。
「イヴェール嬢は、オレが陛下を恨んでいると思っているんですよね」
その目は澄んでいるように静かで、いつも通り冷ややかだった。
「……それは、正解です」
静かな声に、私は胸をギュッと掴まれた気持ちになる。
「オレは陛下を恨んでいます。彼の命を狙ったこともあります」
さらりと伝えられた言葉には感情はなく、淡々としていた。
「なぜなら陛下は、オレの兄――エミリアンを、見殺しにしたからです」
フェリシアン様の兄である、エミリアン様が陛下に殺されたという噂があったという情報を耳にした時、私は冷血な暴君ならやりかねないと思った。
だからフェリシアン様に同情をしてしまい、あんな手紙を書いてしまったのだ。
ひとりよがりな一方通行の手紙だと、そう思っていたから。
だけど、間違えて告白してからその気持ちは薄まっていき、フェリシアン様に送った手紙の内容すらほとんど忘れていた。
それなのに、陛下のあの噂が本当だったなんて。
「エミリアンは優秀な騎士でした。誰よりも強く、いまのオレよりも強い騎士。そんな騎士が、そう簡単にやられると思いますか?」
「……」
「だからきっと、陛下に殺されたんです。なぜなら陛下は」
自分の親の首すら斬り落とす、暴君だから。
実際の戦場がどうなっていたのか私にはわからない。戦争に参加できなかったフェリシアン様もそうだろう。
でも疑いは恨みに変わり、恨みは憎悪に変わる。
だから、やっぱりフェリシアン様は、陛下を――。
「あなたには教えてあげます。狩りのときに陛下の馬を弓で射たのはオレです」
「……っ、ほんとうに?」
「はい。あなたがどうしてオレを慕っていたのかまではわかりませんが、オレはずっと陛下を殺すタイミングを狙っているのですよ」
「……それを、どうして私に話すのですか?」
黙っていたら誰もフェリシアン様を疑わなかっただろう。
彼はそれほどまでに周囲からの信頼を勝ち取っているのだから。
私の問いかけに、フェリシアン様が首を傾げる。
「どうして、ですかね。なぜかわかりませんが、あなたには話したほうがいいと思ったんです」
青い瞳にはやはり冷ややかで、感情を感じない。
前まで吸い込まれそうになった瞳のはずなのに。
フェリシアン様が近づいてくる。私は思わず、一歩後ろに下がった。
「どうですか、イヴェール嬢。陛下の傍にいるのが怖くなりませんか? 陛下の傍にいたら、オレみたいに陛下のことを恨んでいる人間に命を狙われるかもしれないんですよ」
「……っ」
「イヴェール嬢はオレのことを慕ってくれていたみたいですし、オレは関係ない人には手を出さない主義ですから、陛下を狙ってもあなたの命だけは護りたいと思っています」
護衛ですからね、という声も渇いている。
「いまならまだ、引き返せますよ。それに、本当は陛下のことなんて、慕っていないんでしょう?」
「っ……私は……」
「オレの目は、誤魔化せませんよ」
フェリシアン様との距離がどんどん短くなっていく。
このまま本当のことを伝えれば、私は解放されるのだろうか。
そんな考えが過ぎった時、会場に続くテラスの扉が開いた。
「なにをやっている」
そこには、険しい顔をしている陛下が立っていて、金色の瞳で私たちをにらんでいた。
「――アルベリクス様」
私の傍にやってきた陛下に、ぐいっと腰を抱かれて引き寄せられる。
熱い吐息が首筋にかかる。急いできたのか、息が荒い。
「誰の婚約者に手を出しているのか、わかっているのか、フェリシアン」
「はい、もちろんですよ、陛下。でも、思ったよりも早い到着ですね」
フェリシアン様がパチッとウィンクしてくる。
その珍しい光景に、なぜか私は胸騒ぎがしていた。
「どこかのだれかが、私の婚約者をテラスに連れ込んだという報告があったからな」
「さすが、陛下。イヴェール嬢のことを、本当に大切に思ってるのですね。……でも、そんな大切な婚約者が、ずっと陛下のことを騙していたとしたら?」
「なにが、言いたい?」
陛下の声のトーンが下がる。
もしかしてフェリシアン様は、私の秘密を話そうとしているのでないだろうか。
慌てて声を上げようとしたが、なぜか私を抱き寄せる陛下の手の力が強くなった。
「あなたの婚約者であるイヴェール嬢が慕っていたのは、陛下ではなく、別の人物だということです」
「…………」
「おそらく告白も、間違えて陛下にしてしまったのでしょうね」
いつも冷たく、澄んだ湖のように静かな瞳をしているフェリシアン様が、今日はやけに楽しそうに笑っている。
前までの私ならそんなフェリシアン様の姿に、胸をときめかしていたかもしれないが、いまの心境は全然違った。
不安しかない。
陛下の反応が気になって見上げると、あの鋭い金色の瞳が私を見つめていた。
重く張りつめた空気のなか、陛下のため息が響く。
「………知っている」
それからなぜか悲しそうな瞳で、私のことを見た。
「そうでしたか。これは失礼しました」
「もう下がれ。しばらく私に近づくな」
「御意」
いつもの冷めたような青い瞳に戻ったフェリシアン様が、頭を下げてから会場に戻っていく。
テラスの扉は閉ざされて、私と陛下だけが残された。
陛下はまだ腰に手を回したまま、お互い近い距離で見つめ合うことになる。
息を飲むのすら躊躇う静寂のなか、私は口を開いた。
「……ご存知、だったのですね」
陛下が静かに首肯する。
「いつから、知っていたのですか?」
「最初からだ」
衝撃だった。まさか最初から知られていたなんて。
「私はこれでも記憶力は良いほうだ。すべての貴族家の当主や、社交界で見たことのある令嬢の顔ぐらいは覚えている。だから、告白されたときすぐに気づいた。――そなたが、いつも夜会でフェリシアンのことを見つめていた令嬢だと」
陛下の独白が続く。
「私はずっとそなたのことをつまらない令嬢だと思っていた。いつも壁側にいて、親の進める貴族とした踊らない。いつも退屈そうにしていただろう。――そんなそなたが、ある時から一人の男を目で追うようになった」
確かにフェリシアン様に助けられる前まで、私はいつも退屈だった。
家族は私を淑女として大切に育ててくれたけれど、彼らにとって一番大切なのは後継ぎである弟で、私は政略のための道具でしかない。
だからこそその退屈を埋めるように、私はフェリシアン様の情報を集めるようになったのだ。
「それまでは他の令嬢と同じで、つまらない女だと思っていた。だが、フェリシアンを見つめる、その翡翠色の瞳は生き生きとしていて……どうにかして私のものにしたかったんだ。だからそなたが、間違えて私に告白したのに気づいた時は、好機だと思った」
陛下の顔が近づいてくる。
思わずギュッと目をつぶると、耳元でささやく声がした。
「だが、もう楽しかった日々は終わりだな。そなたを、これ以上私の傍に縛り付けておくことはできない。……それに、弟に会いたいのだろう?」
「……起きていたのですね」
あの小屋の中で、私の呟きを聞かれていたんだ。
「婚約は解消だ。家に帰って、ゆっくりするがいい」
陛下の身体が離れていく。
腰に回っていた手も、優しく解かれてしまい、私はなぜか突然空中に放りだされた気分になっていた。
金色の瞳が私から逸らされる。それをなすすべなく、私は見送った。
こうして、告白相手を間違えたことから始まった、私と陛下の婚約生活は一週間もしないうちに終わってしまったのだった。




