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8.手紙


「ラシェル。昨日は、大変な目にあったとお聞きしました。怪我はありませんでしたの?」


 私の姿を見つけてすぐやってきたイネスが、そう早口でまくし立てた。

 建国祭六日目、陛下とともに舞踏会会場に入場してダンスを踊った後のこと。陛下が席を外したすぎにイネスがやってきたのだ。


「はい。すぐに救助に来てくれましたし、大事にはなりませんでした」


 昨日はあの後――陛下が眠ってしまい、その寝顔を眺めながら過ごしていた時に、騎士たちが小屋に駆けつけてきた。ボルテール公爵と、フェリシアン様の姿もあった。

 きっとボルテール公爵がすぐに応援を呼んでくれたのだろう。

 その音で陛下が起きて、私たちはすぐに宮殿に戻ることができた。雨はすっかり止んでいて、帰り道は濡れる心配もなかった。


「山で遭難したという話を聞いてから、ずっと心配していましたの。ですが、無事でなによりですわ。……それにしても、護衛はなにをしていたのかしら」


 皇宮の裏手にある森は、皇室の所有でもある。そのため、基本的に許可のない者は入れない決まりになっている。今回狩りに参加していたのも高位の貴族が数組ぐらいで、後は警備のための騎士たちしかいなかっただろう。

 警備の目を掻い潜ることは容易ではない。そのため、恐らく参加者の中に犯人がいるだろうと、私は思っていた。


 だけどそれを話すことはできない。

 今回の事件、馬が暴れたことにより陛下と私が一時的に遭難した、と貴族たちに報じられているからだ。


「あの、ラシェル。聞きたいことがあるのですが」

「なんでしょう?」

「……陛下と一緒にいることが、怖くありませんの?」


 最初は怖いと思っていた。間違えて告白してしまった手前、後に引けなくなってしまったけれど。でも、いまは……。


「……最初は私も怖かったんです。でも、陛下と接していくにつれて、少し考えが変わりました」


 ボートでバランスをくじたときに支えてくれたことや、舞踏会でのエスコート、ダンスのリードの仕方からしても、こちらを気遣ってくれていることにはすぐに気づいた。

 優しいと言っていいのかはわからないけれど、婚約者として大切にしてくれているだろうことは伝わってくる。


「ふふ、ラシェルは本当に陛下のことを慕っているのですわね」

「――え?」


 そうなのだろうか。

 私が陛下の婚約者になったのは、告白相手を間違えてしまったからだ。


「その顔を見ていたらわかりますもの。いまのラシェルの顔を見たら、きっと陛下もあなたを手放せなくなると思いますわ」


 微笑みそう言ったイネスの言葉が、なぜか引っ掛かっていた。




「レディ。よろしければ、一曲お相手いただけませんか?」


 イネスとの会話を終えて、壁際で陛下が来るのを待っていると、やってきたのはボルテール公爵だった。

 灰色の瞳を細めて、恭しく手を差し出してダンスの誘いをしてくる。

 断ってもいいが、相手は隣国の大使だ。そんな彼の誘いを無下にするのも憚られて迷っていると、その間に割って入ってくる人物がいた。


「失礼します、ボルテール公爵閣下」

「……おや、あなたは? たしか、ブルローズ公爵様。これはこれは、青薔薇とも名高いあなたのご尊顔を拝見できて、私は幸せ者ですね」


 ボルテール公爵は灰色の目を細めて、じろりとフェリシアン様の全身を眺める。ダンスの誘いに横入りをするのは、いくら高位の貴族と言えども褒められたものではない。ボルテール公爵の皮肉は、その部分を指摘しているのだろう。

 その不躾な視線にも、フェリシアン様は嫌な顔をすることなく、ただ口許に微笑みを浮かべていた。


「実は、イヴェール嬢はオレと先約があるのです。ですので、ここは譲っていただけませんか?」

「おや、そうでしたか。明日には国に帰るので、その前に想い出をと思ったのですが。名残惜しいですが、それなら仕方ありませんね。では、私はこれで失礼します」


 思ったよりもすんなりとボルテール公爵は身を引いた。


「ありがとうございます」


 ボルテール公爵の姿が見えなくなったのを見計らい、私はお礼を言う。

 フェリシアン様とダンスの約束はしていないけれど、誘いを困っている私を庇うために嘘を吐いてくれたのだろう。そういった優しさのある方だ。本当に私と踊ろうと思っているわけではないだろう。


 そう思ってお礼をして、場所を移動しようとしたら、「イヴェール嬢」と呼び止められてしまった。

 フェリシアン様が手を差し出している。


「……よろしければ、オレと一曲踊りませんか?」


 フェリシアン様がダンスの誘いをしている?

 それだけでも驚きなのに、まさか私が誘われるなんて。


 戸惑っていると、フェリシアン様の青い瞳が私を見つめて、ゆっくり笑みの形を作った。

 それにドキッとして、同時に不安になる。


「踊りながら、すこしお話ししませんか?」

「――――よろこんで」


 私は唾を飲み込むと、フェリシアン様の手を取った。




 初めて触れるフェリシアン様の手は、手袋越しだけど確かな温かさがあった。陛下より一回り小さい手。だけど、剣を握っている人特有の固い指。陛下の手もがっしりしていたけれど、フェリシアン様もそうとうだ。


「こうしてゆっくりお話をするのも、初めてですね」

「……ええ」


 緊張して言葉が裏返りそうになる。ほんの六日ほど前まであんなにも憧れていた青薔薇様と踊っている。もし過去の私がこの話を聞いたら夢でも見ていたんじゃないかと疑うだろう。

 それほどまでに、フェリシアン様が踊るのは珍しいことだった。

 周囲から「あのフェリシアン様が!?」という淑女たちの囁き声が聞こえてくる。


「イヴェール嬢。どうやら、集中できていないようですね」

「――ッ」


 いきなりのターンに、一瞬遅れそうになったが、フェリシアン様のリードは完璧だった。すぐに体勢を維持して、どうにかバランスが崩れるのを防ぐ。


「失礼。目の前にオレがいるのに、別のことを考えているようでしたから」


 そう言ってフェリシアン様は、口許に笑みを浮かべた。


「今日こうしてイヴェール嬢にお相手してもらっているのには、わけがあるんですよ。実はオレ、ずっと悩んでいることがあるんです」

「悩み、ですか?」

「はい。いつからかは正確には覚えていないのですが、毎日のようにオレ宛てに手紙を送ってくる人がいるのです。――いや正確にいた、のですよ」


 ハッとして、フェリシアン様の瞳を向けると、青い瞳は私を観察しているかのようだった。


「それがここ数日――建国祭二日目ぐらいから、手紙が届かなくなったんです」


 それはちょうど、私が間違えて陛下に告白してしまった時から。

 私はごくりと唾を飲み込み、緊張を悟られないように口を開く。


「その手紙には、なんて書いてあったのですか?」

「そうですね。書いてある内容は当たり障りのない話ばかりや励ますような内容だったのですが、いつも文章の最後に『あなたのことをお慕いしています。これからもずっと』と、書かれていましたね」


 日常を切り取った話。そして差出人不明の手紙。

 フェリシアン様は最初の頃こそ不気味で、その手紙を捨てていたようだ。


「その手紙の主は、やけにオレのことに詳しいみたいでした。気味が悪いと思ったこともありましたが、ある時からその手紙が、オレの救いになったのですよ」

「……救い?」

「はい。ずっと、その手紙の主と話したいと思っていました。だから差出人を探していて、候補は何人かに絞っていたのです。……それなのに、ある時から手紙が届かなくなってしまいました」


 イヴェール嬢と呼ばれて、思わず震えてしまう。


「その手紙を書いたのは、あなたですよね?」

「…………っ」

「答えなくてもいいですよ。いまのあなたは、陛下の婚約者なのですから」


 知られていた。

 知られてしまっていた。


 青薔薇様のファンクラブに入ってから、青薔薇様の情報を集めて、集め続けて、だけどそれだけじゃ足りなかった。だから父の目を盗んで、情報屋を利用して情報を集めた結果、私はフェリシアン様に手紙を出すことにしたのだ。

 自分の名前を明かさなければわからないだろうと、そう思って。


 ファンクラブの情報は当たり障りのないものばかりだった。

 普通の令嬢ならそれで満足できるのだけれど、私は満足できなかった。

 もっと、もっと知りたいという、その欲が出てしまったのだろう。


「手紙の内容はほとんどが当たり障りのない日常の話でした。でも、中には誰も知らないはずの情報が書かれていたりしたんですよ」


 ああ、これ以上、聞いてはいけない。

 そう思ったのだけれど、言葉を挟める雰囲気ではなかった。


「オレの兄、エミリアンのことです。ほとんどの人は、エミリアンは戦場で立派な死を遂げたと口にします。……だけど、戦後に一部の人間の間でこんな噂が立ったんです」

「……」

「陛下が、エミリアンを殺したと」


 声を出せない私に、フェリシアン様が話を続ける。


「あなたからもらった手紙には、こう書いてあるものがありました。『エミリアン様を殺した陛下の傍で仕え続けるのは辛くありませんか』――と」


 ギュッと目を閉じる。

 まだ、音楽は続いている。


「イヴェール嬢。その手紙を出したのがあなたなら、きっとあなたはオレを疑っているでしょうね。狩りの時に、陛下に弓を放ったのがオレなんじゃないかって」

「……」


 曲が終わった。

 距離をとってお互いにお辞儀をした後、フェリシアン様が私だけに聞こえる声で囁いた。


「場所を変えましょうか」


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