4.デート
青薔薇様こと、フェリアシアン様に助けられたのは、ある夜会でのことだった。
とある家の夜会に足を運んだ私は、休憩のために中庭にいた。中庭には他にも人がいて、明かりもあったから危険はないように思えたのだけれど。
そこに一人の男がやってきた。
フラフラとした足取りで、頬が赤くなっていて、あきらかに酔っているとわかる姿。
周囲にいた貴族は男と距離をとっていたが、私はつい逃げそびれてしまった。
男はなぜか私に向かってきていて、後退る前に腕を取られた。
貴族令嬢の腕を無断で触るなんて、品のない行為だ。
私はあまりにも突然のことで声が出なくて、悲鳴すら上げられなくて、すっかり委縮してしまっていた。
それを助けてくれたのが、フェリシアン様だった。
私を掴んだ男の腕を捻り上げると、酔った男はふらっと地面に倒れ込んだ。
その眼前に剣の先を突きたてて、フェリシアン様は淡い青の瞳を男に向けて言った。
「嫌がる令嬢の腕を無理矢理掴むなんて、品性の欠片もない行為ですね」
遅れてやってきた邸の警備兵が男を捕らえて連行していく。
それを見てほっとしながらも、私の身体の震えは止まらなかった。
「ご令嬢、大丈夫ですか?」
気遣いの言葉とともに振り返ったフェリシアン様が、私の姿を見て眉を顰める。
「……失礼」
フェリシアン様は上着を脱ぐと、私の肩にそっとその上着を掛けてくれた。
「外は冷えます。中に入りましょう」
あたたかいフェリシアン様の声音に私の身体の震えは自然に止まっていた。
それまで私は、フェリシアン様のことを冷徹な人だと思っていた。冷たい瞳をしていて、周囲に群がる令嬢を気にかけることのない厳しい人なのだと。
だけど酔っ払いから助けてくれた。それだけではなくこうして上着を貸してくれて――その温かさに、私は救われた。それから私は知らずに彼を目で追いかけることになった。
そして、貴族令嬢の間でひっそりと流行っている、青薔薇様ファンクラブに加入しては、フェリシアン様の情報をこっそり集めたりしていた。
青薔薇様ファンクラブには、フェリシアン様の家のことから趣味のこと、それから食の好みなどの情報があった。
それらの情報を知れば知るほど嬉しくなって、夜会などで遠くから青薔薇様の姿を眺めるだけでも心が温かくなって、たまに挨拶をするしたときに微笑んでくれたのが幸せで――。
彼の瞳に自分が映ることはないと思っていた。きっと私の気持ちは知られることなく、たとえ告白してもあの冷たい瞳で見つめてくるだけで、受け取ってもらえないと。
それなのに、知られていた。
私がずっと見ていたことを、フェリシアン様に。
それが嬉しくて、だけど少し複雑でもあった。
◇
「ラシェル。出かけるぞ」
朝の支度を終えたのを見計らったかのように、貴賓室に陛下がやってきた。
「どちらにですか?」
「近くの公園に行こうと思ってる。恋人らしく、デートでもしようではないか」
デート。確かに恋人になったのならデートの一つぐらいした方がいいだろう。何もしてないと二人の仲を疑われてしまうかもしれない。陛下とのデートはいまいち想像できないけれど。
「嬉しくないのか? 私とデートができるのだぞ」
「っ、と、とても嬉しいです、アルベリクス様」
いけない。私は陛下を慕って告白したのだった。ここで喜ばないのはおかしいだろう。……まだ、死にたくない。
その後、お出かけ用のドレスに着替えて、私たちは皇室の紋章の入った馬車によって皇宮の近くにある公園にやってきた。
この公園は話かい貴族たちのデートスポットでもある。大きな池があり、そこにボート乗り場がある。恋人と一緒に向こう岸までボートを漕いでいくと、一生幸せになれるというジンクスに若い貴族たちは惹かれているのだ。
馬車から降りてすぐに、私は違和感に気づいた。
公園内に人の気配がひとつもないように見える。いくら建国祭三日目だからといっても、さすがに人が少なすぎる。
「私とラシェルの初めてのデートだからな。ほかに人がいたら気が散るだろう」
だからと言っても護衛の姿すら見えないのはどうかと思ったけれど、戦場で生き残った陛下には、護衛など必要ないのかもしれない。
「さあ、ボートに乗るぞ」
「……もしかして、自ら漕がれるのですか?」
「当たり前だ。そうしなければ意味がないだろう」
ジンクスのことを言っているのだろうか。陛下は、そういうジンクスなんて鼻を鳴らして気にしない人だと思っていたのに。
ボート乗り場にも人はいなかったけれど、ボートはちゃんと用意されていた。先に乗った陛下の手を取り、私もボートに足を乗せる。少し揺れたけれど、陛下が支えてくれたおかげですぐにバランスをとることができた。
対面するように腰を掛けようとしたが、陛下に誘導される。座席が二つ並んでいるところがあり、私が前を、陛下が後ろに腰かける。
思ったよりも距離が近い。頭のすぐ後ろで陛下の息遣いを感じる。
「オールを一緒に漕がなければいけないのだよな。だが、思ったよりも近いな」
「すみません、すぐにどきます」
「いや、動くな。ボートが揺れる」
バランスを崩して後ろに倒れそうになったが、すぐに陛下が支えてくれた。
顔を上げると、そこには金色の瞳があって――。
「さ、さあ、行きましょう、アルベリクス様」
私はすぐに体を離すとオールを掴んだ。どうやらこのボートは恋人用らしく、二人で一組のオールを漕げる構造になっているようだ。恋人用だけあって二人の距離が近くなる仕様で、とても心臓に悪い。
「……ああ、そうだな」
背後を見てないけれど、陛下の声は口ごもっていた。
オールを持つ私の手を包むように、陛下の大きな手が被さってくる。
「上手いではないか、ラシェル。さっきよりも良くなっているぞ」
「あ、ありがとうございます」
オールは思ったよりも重くて、最初は全然進まなかった。ほとんど陛下が漕いでいる形になっているけれど、陛下にばかり負担を掛けさせるわけには行かないと、一生懸命漕いでいると、意外とコツを掴むことができるようになった。
最初に比べるとすいすいと動いているような気がする。しかも意外と楽しい。
そのまま漕ぐのに夢中になっていて、会話という会話もないまま向こう岸に到着した。
こちらの岸には森が広がっているだけのようで、私たちはすぐに元の岸に戻ることにした。
「帰りは私がひとりで漕ごう」
「ですが、ひとりでは負担に」
「案ずるな。私は体力に自信がある。ラシェルよりもな」
口角を上げるあの笑みを浮かべている陛下の言葉に、私は声を詰まらせる。
確かに行きに漕いできただけで力はほとんど使い果たしていた。帰り道もまともに漕げる自信がない。それに、行きと同じでまた密着した状態になるのは……心臓に悪い。
「私はラシェルの恋人だ。これぐらい、当然のことだ」
「……ありがとうございます」
行きとは違い、私たちは対面に腰かけていた。
ボートはゆっくりと動いていて、私は来るときは夢中になっていて気付かなかった周囲の景色に目を奪われた。
春になったばかりだからか、池のほとりには多くの桜の木がある。そのすべてが満開で、風で散った桜が水面に浮かんでいる。
「綺麗……」
「そうだろう。デートなのだからな、美しい景色を見るのも悪くはないだろう?」
「そうですね」
ほっとため息を吐く。心なしか、ボートの動きがさらにゆっくりになった気がした。
こんなに落ち着いて周囲の景色に見るのはいつ以来だろうか。
少なくとも、父からベルチエ伯爵との婚約の話を聞いた時からゆっくりできていなかった。間違えて陛下に告白してからもそうだ。
やっと、落ちつくことができた。おかげで、自分の状況にも少し向き合うことができるようになった。
そのうえで疑問に思ったことが、私の口から自然に出てきた。
「アルベリクス様。どうして、私の告白を受け入れてくれたのですか?」
思い返しても不思議だった。いままでどんな令嬢とも婚約をしようとしないどころか、剣を向けて脅したという噂のある陛下が、私の告白をすぐに受け入れてくれたことが。
私の問いかけに、陛下はオールを漕ぐ手を止めた。
「……初めてだったのだ。私のことを、あんなにも真っ直ぐな瞳で見つめてきた、令嬢は」
「え?」
「私が皇帝になってから、多くの令嬢が皇后の座を狙って声を掛けてきた。だがほとんどの令嬢は、私の瞳を真っ直ぐ見ることすらできずに、いつも恐怖に震えていた」
漆黒の髪に、金色の瞳。この国の象徴ともいえる光の瞳は、暴君と呼ばれる陛下の威厳そのものだった。それに陛下には怖い噂がある。五年前に起きた隣国との戦争で、敵前逃亡しようとした仲間を斬っただとか、貴族や女子供関係なく剣を向けただとか。
怖ろしい噂に、令嬢たちは委縮してしまったのだろう。
そんな状態で、まともに顔合わせなどできるはずがない。私も間違えて告白していなかったら、陛下の瞳をまともに見ることができずに、逃げ出していたかもしれない。
「でも、そなたは違った。怯えもせず、悲鳴も上げず、ただ私の瞳を真っ直ぐに見つめてくれた。その――告白をしてきたときのその笑顔が、とても美しかったんだ」
「うつくっ」
陛下の言葉に、頬が熱くなる。言葉も詰まらせてしまった。
美しい。そう言った陛下の言葉を変に意識してしまう。
私は、ただ告白する相手を間違えただけなのに。
それなのに、陛下は――。




