3.ダンスと護衛
陛下とのダンスは、思ったよりも快適だった。
重ねた手も、腰に回された手にも不快感がなく、ステップを踏むときの足さばきもタイミングがバッチリだった。
暴君と呼ばれているから、てっきりダンスも強引なところがあるのではないかと思っていたけれど、ここまで相性がいい相手は初めてだ。
一曲目は難なく終わり、二曲目が始まる。
陛下と私のダンスを皮切りに、他の貴族たちも踊っている。
「続けて踊るか?」
「っ、す、すこし休みたいので」
「いいだろう」
ダンスの輪を抜けて、私たちは壁際に向かった。
飲み物を受け取って喉を潤す。
「私と初めてのダンスは、どうだった?」
「……とてもいい時間でした」
「そうであろう。なんせそなたは、私をずっと慕ってくれていたのだからな。それは幸せな時間だっただろう」
フッと口角を上げて笑う陛下を見て、私はつい口ごもってしまう。
それでも陛下は、それをいいほうに解釈したのか、ますます上機嫌になっている。
そこに、陛下に声がかかった。
「皇帝陛下に拝謁いたします」
「……ヴィオーネ公爵か」
陛下の金色の瞳が険しくなる。
その陛下の瞳を怖れることなく、腰を曲げて頭を下げているのは、宰相でもあるヴィオーネ公爵閣下だ。
「私たちの憩いの時間を邪魔するのにたる理由が、あるのであろうな」
「……もちろんでございます」
「良いだろう。……ラシェル。少し席を外す。護衛は置いておくから、安心しろ」
「かしこまりました」
ヴィオーネ公爵とともに陛下は人混みを避けて行ってしまった。
あとに残された私は、やっと緊張から解放されてほっとため息をついたが、それも束の間だった。
いつの間にか前にひとりの令嬢が立っている。はっと目を引く菫色の瞳に、同じ色のストレートの長い髪。
「イヴェール嬢。少しお話をしませんか?」
私はさらなる緊張感に包まれていた。
イネス・ヴィオーネ。
ヴィオーネ公爵家の長女にして、彼女は皇帝陛下の婚約者候補筆頭でもあった。
陛下が皇帝に即位したのはいまから三年前――まだ二十歳の時。
陛下には婚約者がおらず、どの貴族も皇后の座を欲しがった。
その筆頭が、ヴィオーネ公爵家だった。
だけど陛下はどの令嬢も自分の傍に寄せ付けず、中には取り入ろうとした令嬢に剣を向けたという噂もあった。
だからほとんどの貴族は皇后の座を諦めていたのだけれど、ヴィオーネ公爵だけは違った。
自分の娘を陛下の婚約者にしよと画策していたのは、この帝国の貴族なら誰もが知っていることだ。
ヴィオーネ公爵令嬢は、誰よりも陛下の婚約者として相応しく、誰もが彼女が次期皇后になるのだろうと思っていた。正直私もそう思っていた。
「イヴェール嬢とお話がしたくて、お父様に無理を言ったのです」
自分が得るはずだった、次期皇后としての座。
それにいちばん近い、皇帝陛下の婚約者の座を手に入れた私。
きっと、やっかみを言われる。そう思って身構えた私だったけれど、近づいてきたヴィオーネ嬢は私の手を取ると、それはもう晴れ晴れとした、まるで大輪の花が咲いたかのような笑顔を向けてきた。
「感謝いたします、イヴェール嬢。陛下の婚約者になってくれて」
「……え?」
冷たい言葉を浴びせられる心構えをしていた私は、ついとぼけた声を出してしまう。
そんな私に構うことなく、ヴィオーネ嬢は早口に捲し立てた。
「わたくしは陛下の婚約者候補筆頭と思われていましたが、実際はそんなことありませんでした。陛下は近づいてくる令嬢を嫌っていて、それはわたくしも同じでした。いつ剣を向けられるかと、常に怯えていたので、その恐怖から解放されるのかと思うと……。イヴェール嬢――いえ、ラシェル様とお呼びしても?」
「は、はい」
「ラシェル様、わたくしのことはどうぞ、イネスとお呼びください。ラシェル様なら大歓迎ですわ。……とにかく、ラシェル様。あなたのおかげで、わたくしは死なずに済んだのです」
おおげさな態度に見えるが、陛下が近づいてくる令嬢に剣を向けたのは有名な話だ。イネス様は公爵令嬢なのでさすがに剣は向けられなかったらしいが、いつ殺されるかわからない恐怖はあったのだろう。
それから解放される彼女の気持ちを考えると、晴れやかな笑顔を向けてくるのは当然と思える。
「ラシェル様はわたくしの命の恩人です。このご恩は必ずお返しします」
ずいっと菫色の瞳がさらに近づく。
「ラシェル様、わたくしのご友人になっていただけませんか?」
「っ、いいのですか?」
ヴィオーネ嬢――いいえ、イネス様は私の憧れの令嬢だ。
いつも優雅で美しい、誰もが憧れる令嬢。
そんな彼女の友人になれるなんて、願ってもないこと。
「ええ、もちろんです。これから、よろしくお願いしますね」
「は、はい。イネス様」
「イネス、でいいですわ。わたくしも、ラシェルとお呼びしますので」
どうなるのかと思っていた建国祭二日目の舞踏会だったけれど、思わぬ友人が誕生した。
その後、ヴィオーネ公爵と話に行った陛下は、戻ってこなかった。
代わりに、護衛として任されたとひとりの騎士が迎えに来て、貴賓室に行くことになった。なんと建国祭が終わるまでの間、私は宮殿で過ごすことになっていたのだ。
――でも、問題はそのことではなく……。
「護衛を任された、フェリシアン・ブルローズです」
私を迎えに来た騎士が、ずっと憧れていたフェリシアン様だったこと。
お辞儀をしたフェリシアン様が頭を上げると、あの冷ややかな淡い青色の瞳と目が合った。
胸が高鳴る。ずっと憧れていたあの瞳が、ずっと私のことを見ている。
それに歓びを抱くが、私はそれを表情に出すことはできなかった。
「それでは、参りましょうか」
突然の対面に緊張していたけれど、かろうじて「はい」と答える。
入場した扉から会場を出ると、フェリシアン様と一緒に廊下を歩いていく。
一歩前を歩くフェリシアン様。帝国騎士の正装である漆黒の騎士服の背中で、結ばれた金髪が馬の尻尾のように揺れている。
まさか、こんな形で青薔薇様と顔を合わせることになるとは。
青薔薇様ことフェリシアン様は、陛下の右腕で騎士団長だ。この国で一番強い騎士と言っても過言ではない。いくら私が陛下の婚約者になったからといって、騎士団長を護衛にするなんて、やりすぎではないだろうか。
そんなことを考えながらも、フェリシアン様の後ろ姿に思わず目が惹きつけられていた。
「イヴェール嬢」
「っ、はい」
「到着しました」
いつの間にか貴賓室の前に着いていた。
彼との時間がこれで終わってしまうのだと思うと、とたん胸が締め付けられる思いになる。
あんなにも慕っていて、ずっと視線で追いかけていたはずなのに、私が告白する相手を間違えてしまったから……。
「ありがとうございます」
「オレは務めを果たしただけですよ」
職務な忠実なフェリシアン様らしく、特に誇るでもなくただ当然のようにしている。その瞳にふと私の姿が入った。
「……あの、イヴェール嬢。ひとつお訊ねしてもよろしいですか?」
問いかけられた言葉に、私は途端に緊張する。
「イヴェール嬢から、皇帝陛下に告白したと伺いましたが、それは本当ですか?」
「っ……はい」
そう答えることしかできなかった。本当は陛下ではなくあなたに告白するつもりだったのですなんて、皇帝の婚約者になった身として、口が裂けても言えない。それはあまりにも無責任すぎるから。
「……すこし意外ですね。イヴェール嬢の翡翠色の瞳は、オレに向けられていると思っていましたから」
フェリシアン様の言葉に、ドキッとする。
私はいつも、青薔薇様のことをそっと眺めているだけだった。だから、気づかれていないと思っていたのに。
「だけど、勘違いだったようですね。……少し残念ですが、陛下に恋人ができるのは、良いことだと思います」
「……はい」
「では、オレはこれで失礼します」
フェリシアン様は冷たく見える青い瞳をすっと細めた。それから小声で「それならあの手紙は……」となにやら呟いて、会釈だけすると行ってしまった。




