2.あっという間に婚約
「えーと。それで、なんの話でしたかな……」
歯切れの悪いイヴェール伯爵――お父様の言葉に、陛下が眉間の皺を増やす。
「イヴェール卿のご息女を、私の婚約者として迎え入れると言ったのだ」
その金色の瞳は射殺すようで、よく聞こえなかったのかと問いかけているようでもある。
隣に座っている父の貧乏ゆすりが早くなる。いや、これはもう体全体が恐怖で震えているのかもしれない。
いくらイヴェール家が建国初期からある家系とはいえ、ただの伯爵家なのだ。
皇宮に務めているお父様も、陛下と直接的なかかわりはないはずだし、威圧感に怖れを抱いているのだろう。
正直私も怖い。
でも、私は淑女の笑みを貼り付けて、震えそうになる体を押さえつけていた。
「ラシェル」
名前を呼ばれる。それも敬称なしで。
「な、何でしょう、陛下」
「そなたは、私の恋人になりたいのだろう? 結婚もしたいと言っていた」
「うっ、そ、そうですね」
隣からお父様の「正気か?」という視線を感じる。
「だが、どうやらそなたの父上は私との仲を反対しているみたいだ。これは、本当に嘆かわしいことだ」
額に手を当てて、はあとため息を吐く。悩んでいる振りをしながらも、金色の瞳は容赦なくお父様に向けられている。
「……で、ですが娘は本日、婚約する予定が……」
「ほう、婚約か……。そういえば来る途中に、ベルチエ伯爵と会ってな、手紙を渡されたんだ」
陛下の口から出てきたのは、今日婚約を結ぶはずだったあの男の名前だった。
手紙を受け取ったお父様が、内容を読んで絶句している。
「お父様?」
「……あ、ああ。その、これを」
私も内容を見て、一瞬言葉を失った。だけど絶望するお父様とは違い、胸の内から湧き上がってきたのは喜びだった。
「どうやら、吉報のようだな」
私の顔を見た陛下が、口元に笑みを浮かべる。
「これでもう婚約を結ぶ相手はいなくなったな、イヴェール卿。私と、ご息女との婚約を許してくれるだろう?」
陛下のその言葉はお願いというよりも、脅迫そのものだった。
顔を青ざめさせたお父様は、琴切れたマリオネットのようにぱくりと口を開けて、「はい」と力なく項垂れた。
陛下は私に、勝ち誇ったような目を向けてくる。
そして、その日のうちに、私とアルベリクス陛下との婚約は、無事に結ばれたのだった。
◇
なんで、こんなことに……。
建国記念式典の舞踏会二日目。
陛下と一緒に皇宮に向かった私は、貴賓室として豪華な部屋に案内された。
邸宅の私の部屋よりも広く、なんというか人が過ごす部屋というよりも、力を誇示するための部屋というか……。落ち着かない部屋だ。
「今日はそなた――いや、婚約者なのだからもっと気軽に呼んでも良いよな。私のことも、気軽にアルベリクスと呼ぶがいい」
気軽になんて呼べない。
でもどこか期待するような瞳で見られると、褒めてもらっているのを待っている弟を思い出して、ついその期待に応えてしまいたくなる。
「……アルベリクス様」
「そうだ。ラシェル。今日は、ラシェルとの婚約を発表する場になるだろう。……フッ、みんな驚くぞ」
それはそうだろう。いままでどんな令嬢も近くに寄せ付けなかった陛下が、いきなり婚約者を発表するのだから。
私もきっと注目の的になる。そう考えると、胃がキュッとする。
「顔色が冴えないな。体調でも悪いのか?」
「い、いえ。……あ、あのずっと、お慕いしていましたから。き、緊張して」
「そうか。そんなに、私のことが……」
なんか口の端が持ち上がっている。
「今夜の舞踏会は、盛況になるだろう。いまから楽しみだな、ラシェル」
「え、ええ。アルベリクス様」
◇
舞踏会の会場である皇宮の大広間に続く扉の前。
通常の扉とは違い、皇帝などの皇族が出入りするための特別な扉だ。
この扉から中に入ると、もう後戻りはできないだろう。
――本当にいいのだろうか。
告白するのを間違えました。陛下ではなく、フェリシアン様に告白するつもりだったのですと、伝えた方がいいような気がする。
いまからでも遅くないだろう。間違いとは言え、嘘をついていたことがバレたら剣を抜かれるかもしれないが、貴族令嬢をそう簡単に殺したりはしないだろう。それに、騙したままの形になってしまうのは気が引ける。
そっと顔を上げると、金色の瞳と目が合った。
ふっ、といつもは険しい瞳が和らいでいて、胸の奥がざわつく。
「緊張しているかもしれないが、私が傍にいるから大丈夫だ」
「……あの、実は、私……」
言葉が出てこない。私の言葉を待つように、陛下が身を屈めてくる。
こんなに近い距離で陛下を見たのは初めてだ。いままではいつも威圧感を振りまいていて、反抗しようものなら即剣を抜く暴君だとしか思っていなかったけれど。
少し、イメージが違うかもしれない。
いまなら嘘をついていたことを謝れば、許してくれるかも……。
そう思って口を開こうとすると、その前に陛下が口の端を持ち上げる笑みを浮かべた。
「そうだ。これから婚約者になるのだから、これだけは言っておく。――私は、嘘が嫌いだ」
ひっと喉の奥が鳴った。
「だから何があっても、私に嘘は吐くなよ。そなたを、斬りたくはないからな」
さらに喉の奥がひぃっと鳴る。
ああ、これはもう駄目だ。
間違いでした、で、謝って許されるとは思えない。
これは、もう腹をくくるしかない。
「はい、もちろんですわ、アルベリクス様」
私は淑女の仮面を貼り付けていた。
「この国の皇帝にして、唯一の光。アルベリクス・ドレ・アルコンスイエル皇帝陛下のご入場です!」
扉が開き、響き渡る口上とともに、陛下と私は会場に入場した。
舞踏会などで皇族がいるのは、大広間の二階部分になるスペース。ここには皇帝や皇族など、限られた人間しか足を踏み入れることはできない。
そこに私も立っている。緊張から頭がくらっとするが、陛下の傍でそんな醜態は晒せない。
静寂に満ちていた会場内。いつも陛下が入場するとみんな一様に口を閉じて静かになるのだけれど、今日はすこしざわついていた。
バルコニーになっている部分から下を見下ろす形になるが、そこには見たことある貴族からまだ名前の知らない貴族まで多くの人々がいて、みんな一様に驚いた顔をしている。
彼らの視線は、陛下ではなくその隣にいる私に向けられているようだ。
陛下が女性を伴って舞踏会に参加するのははじめてだからだろう。
「さて、建国祭二日目だが、本日はそなたたちに嬉しい知らせがある」
貴族たちが、固唾を飲んで言葉の続きを待つ。
「本日、私はこちらの令嬢――ラシェル・イヴェール嬢と婚約をした」
婚約。その言葉を聞いた人々が、また騒ぎ出す。
だがそんなことにおかまいなく、陛下は言葉を続けるのだった。
「今日はさらなる祝祭だ。皆、存分に騒げ。そして、祝え」
陛下の言葉に、顔を見合わせた貴族たちがもう自棄とばかりに、さらに大きな声を上げる。
「おめでとうございます、陛下!」
「嬉しい日でございます、陛下!」
口々に言葉を口にする貴族たちはどこか安堵しているようでもある。
陛下の婚約者選びが難航していたのは誰もが知っていることだろう。
その陛下が、自ら婚約者を伴って現れたのだ。
これは幸い。祝え祝え。
――とでも、思っているのかしら。
私は緊張していて、それどころではないのだけれど。
「さて、そろそろ降りようか?」
「下に行かれるのですか?」
「ああ。せっかくの舞踏会だからな、一曲ぐらい踊らねばな」
陛下は舞踏会などの行事があっても、ほとんど皇族の席にいるか、すぐに帰ってしまうかのどちらかだった。昨日も挨拶のあとに姿を消していて、誰かとダンスを踊っているのも見たことがない。
「いままで、私には婚約者がいなかったからな。でも、今日はそなたがいる。一番目にダンスを踊るのは当然だろう」
「そうですね」
陛下のエスコートで会場内に降りると、気づいた人々がまたすこしざわつく。
陛下と一緒に歩いていると、人波がすぐに引いていく。
それに居たたまれなさを覚えながらも、会場の中央に立った私たちを待っていたかのように、ファーストダンスを告げる、音楽が鳴りだした。
「ラシェル。私と踊る栄光をそなたにやろう」
「はい、アルベリクス様」
差し出された手に、私の手を重ねた。




