11.結婚式
もうすぐ正午を知らせる教会の鐘が鳴る。
憂鬱なまま、私は控室にある鏡の中の自分を見つめていた。
すっかりウエディングドレス姿になっている。緩やかに伸びる茶髪はいつもよりも飾り立てられて、お化粧もいつもよりも華やかになっている。
それなのにため息をついてしまうほど憂鬱なのは、結婚相手のせいだ。
ポール・ベルチエ伯爵。
私が、間違えて陛下に告白するきっかけとなった男。
結婚式の日取りが決まってからも、イヴェール邸にやってきてお茶をした。
だからわかる。
一見すると爽やかな男性なのに、瞳の奥には常に欲望が渦巻いている。
それが私をぞわりとさせて、不快感となって伝わってくるのだろう。
これからあの男と式を挙げなきゃいけないのが、何よりも苦痛だった。
「ラシェル、入るぞ」
「……お父様」
「エスコートに来た」
入ってきたお父様は私の姿を見ると、首を傾げる。
「もしかして、マリッジブルーか?」
「……そんなところよ」
本当はいますぐにでもお父様にベルチエ伯爵に対する嫌悪感を伝えたいけれど、それは無理な話だ。ベルチエ伯爵は善人として有名で、後ろ暗いところも少ないし、何より私が一方的に嫌っているだけのこと。
それに、結婚式当日になって花嫁が逃げ出したら相手の顔に泥を塗ることになる。きっと私に対する評価も変わって、さすがにもうお父様たちから見捨てられてしまうだろう。
「そんな暗い顔をしていたら、せっかくの晴れ舞台が台無しだぞ」
お父様の言葉に、私は淑女の笑みを浮かべた。
――そして、ふと思った。陛下と婚約していたとき、気づいたらこの淑女の笑みが剥がれていたことに。
自然に、笑えていたことに。
結婚式会場の扉の前。
あとはこの扉を開けて、お父様と一緒にバージンロードを歩き、ベルチエ伯爵と結婚の誓いをするだけ。
扉が開く。
お父様と一緒に白いバージンロードを歩いていく。
バージンロードの色が白なのは、これから新たな人生の幕開けとして新しい色に染まれるようにという、アルコンスイエル帝国特有の習わしだ。
私がこのバージンロードを歩き終わった時には、もうイヴェール家の証である緑から、別の色に染まることになるのだろう。
ベールの下に顔を隠しているのが幸いだった。憂鬱な表情を隠してくれている。
足取りが重くなるが、花嫁にはよくあることだからか、お父様が歩幅を合わせてくれる。
「やあ、待っていたよ。イヴェール嬢」
ぞわりとする声に顔を上げると、ベルチエ伯爵がこちらに手を差し出して待っていた。
もう一歩、もう一歩で、彼の傍に行ってしまう。
もう、後戻りができなくなる。
バージンロードに終わりが見えて、お父様の腕からベルチエ伯爵の手に、自分の手を重ねないといけなくなった時。
バンッ、と大きな音がして、式場の扉が開いた。
「何事だ!」
せっかくのムードを台無しされたベルチエ伯爵が怒鳴るが、すぐに顔を青ざめさせる。
「……へ、陛下? なぜ、ここに?」
狼狽えたように声を出す伯爵の呟きに、私は勢いよく振り返った。
そこには漆黒の髪に金色の瞳のこの国の皇帝、アルベリクス・ドレ・アルコンスイエル陛下が立っていた。
見間違いかと思って、何回も瞬きするが、いくら見てもそこには陛下がいる。
「その結婚、待ってもらおうか」
「……へ、陛下になんの権限があって、結婚式の妨害をされるのですか? もうイヴェール嬢はあなたの婚約者ではないのですよ」
伯爵が絞り出した声で訊ねる。
「確かに私とラシェルの婚約は、もう解消されている。彼女とは、もう何の関係もない」
金色の瞳と目が合い、胸がむず痒くなる。
「だが、彼女がそなたのような性根の腐った男と結婚するのだけは、元婚約者として見過ごせはしない!」
隣でお父様が「性根の腐った? ベルチエ伯爵が?」と困惑している。
陛下の金色の瞳は鋭く、伯爵をにらみつけている。その勢いに誰も口を開くことができない中、侮辱されたことを悟った伯爵がわなわなと口を開く。
「陛下、お言葉が過ぎますぞ! いったい何の根拠があって、そんなことをおっしゃるのですか?」
「根拠ならあるとも」
陛下が懐から、なぜかぐちゃぐちゃになった一枚の紙を取り出す。
それに目を落とし、毅然とした態度のまま語りだす。
「ベルチエ伯爵。――そなた、平民の女性と付き合っているだろう」
「なっ」
「そして、ラシェルと結婚したらその女性を邸に迎え入れて、愛人として囲おうとしている。……いや、愛人を囲うために大人しく従順な貴族令嬢と結婚しようと考えているのだろうな……」
会場がざわりと騒ぎ出す。
私も初めて知る情報だった。そもそも興味もない人の情報を調べようとは思わないので、知らなくてもおかしくはないけれど。
伯爵の顔が青ざめている。だけど私の視線に気づいてはっとしたのか、すぐさま取り繕うような態度になる。
「それはただ遊びで付き合っているだけで、結婚したら別れて妻一筋になると決めています。イヴェール嬢のような麗しい令嬢ならなおのこと。……付き合っていた平民とは、もう結婚が決まる前に別れていますよ」
「それは嘘だな」
負けじとベルチエ伯爵が言い返すが、陛下はただ堂々とした鋭い金色の瞳を向けるだけだった。
「情報によると、昨夜も愛人宅で会っていただろう。今日が結婚式だというのに」
「あ、あっちがなかなか別れてくれないんだ」
「しかも、相手のお腹には子供がいるとか」
「なんだと!」
大きな声を出したのは、お父様だった。
お父様は険しい顔で、私と同じ翡翠色の瞳でベルチエ伯爵をにらんでいる。
お父様は妻一筋だから腹に据えかねてつい声を荒げてしまったのだろう。
会場からも同様な視線がベルチエ伯爵に向けられている。いくら政略結婚で結ばれることの多い貴族の令嬢とはいえ、ベルチエ伯爵の行いは非難されてもおかしくない。
「お、お金を渡して別れる話をしに行ったんだ」
「それが本当なのか、本人に確かめた方が良さそうだな」
再び式場の扉が開き、フェリシアン様とともに一人の女性が入ってきた。
彼女はきらびやかな会場に気おくれしながらも、ベルチエ伯爵の姿を見つけるとはっとして近寄っていく。伯爵の顔がさらに青ざめる。
「そなたに聞く」
陛下が女性に問いかける。
「その男は、そなたと別れると口にしていたか?」
陛下の黒髪に金色の瞳。それにピンと来たのか、女性の顔色が悪くなる。
「気にせず申せ」
「…………その、別れるという話は聞いたことありません。昨夜も、私のことを愛している、と」
「そうか。わかった。もう下がれ」
フェリシアン様に連れられて、女性が出ていく。
「ベルチエ伯爵。そなたは、二股しようとしていたのだろう」
鋭い瞳を向ける陛下の瞳。
ベルチエ伯爵の青かった顔が、みるみる赤く染まっていく。
ツカツカと近づいてくると、彼は思いっきり私の腕を掴んできた。
嫌悪感でぞわっと鳥肌が立った時、ベルチエ伯爵の身体が吹っ飛んだ。
何が起きたのかと状況を把握しよとする前に、お父様が庇うように私の前に立つ。その拳は慣れていないことをしたからか、赤く腫れている。
「娘に触れるな、愚か者が」
その頼もしい姿を見て、私の目尻から涙が零れた。
「すまない、ラシェル。私が無能なばかりに、こんな男との縁談を進めてしまって。……それにその鳥肌。ああ、身体も震えているな。よほど、この男との結婚が嫌だったのだな。気づいてあげられなくて、すまないことをした」
その労わってくれる姿を見て、私は気づいてしまった。
私はいままで、両親はただ娘を政略の道具としか見ていないと思っていた。大切なのは後継者である弟だけだと。
もしかしたら、それは私の勘違いだったのかもしれない。
もっと早くにベルチエ伯爵との縁談を断っていたら、お父様はちゃんと聞き入れてくれたのではないだろうか。
「ベルチエ伯爵」
陛下が、ベルチエ伯爵の傍に立つ。
「その手首、切り落とされる覚悟はできているな?」
「ひ、ひぃ、お助けください。いくら他の女性と関係を持っているからと言って、それだけで手首を切り落とすのはやりすぎではありませんか?」
「いや、それだけではない。そなたには他の罪もある。そなた、邸の使用人に暴力を振るったり、貴族の当主としての立場を利用して好き勝手やっているだろ?」
「っ、な、なんでそれをっ」
「勇気ある人から罪の告発があったのだ。これからじっくり取り調べをして、そなたの罪を明らかにしてもらおうか」
後ろ姿だけでもわかる。きっと陛下は怖ろしい顔をしている。
ベルチエ伯爵がこの世の終わりかのように青ざめているのが、何よりも証拠だった。
ベルチエ伯爵は、陛下が連れてきた騎士に連行されていった。
今後彼がどうなるかはわからない。正直興味もない。
だけど、これであの男との結婚は破談になるだろう。
胸を撫でおろすとともに、ほっとしたのか足の力が抜けた。
倒れそうになった私を、慌てて駆けつけてきた陛下が支えてくれる。
金色の瞳と目が合い、しばらく見つめ合う形になる。
「……アルベリクス様」
「すまない、遅くなって」
「いえ、アルベリクス様なら、来てくれるだろうと信じていました」
建国祭のあとから、私はこの国の皇帝――アルベリクス様の情報を収集するようになった。
それが何を意味するのか理解していなかったけれど、こうして再会してよくわかる。
私はアルベリクス様に惹かれている。
離れていた期間が長かったからか、そう感じるのかもしれない。
けれど、この気持ちは嘘ではない。
それにアルベリクス様も、私のことを――
「……はあ、だから会いたくなかったのだ」
陛下が口角を上げる笑みを浮かべる。
「そなたにこうして近づいただけで、もうそなたを手放したくなくなってしまう。……私は、どうしたらいいんだ」
アルベリクス様は泣きそうになりながらも、何かを決意したかのように口を開いた。
「……なあ、ラシェル。私の言葉を聞いてくれるか?」
口にしようとしている言葉はなんとなく察することができた。
だから私は決意を込めて頷いた。
「もう一度、私の結婚を前提とした恋人になってくれないか?」
「もちろんです」
「そうか、嫌だよなぁ。そなたは、フェリシアンのことが……って、え!?」
金色の瞳が丸くなっている。
私は淑女の仮面ではなく、純粋な笑顔を浮かべた。
「アルベリクス様と別れてから、ずっとあなたのことを考えていました。いまどうしているのだろうか。もう私のことは忘れてしまったのだろうか。……だからこっそり、情報を買ったりして……あ、いまのは忘れてください」
「情報ってなんだ?」
戸惑うようなアルベリクス様に、私は唇に指を当てて誤魔化す。
「秘密です」
せっかくいい雰囲気なのに、私の趣味が慕っている相手の情報を集めることだと知られたら、気味悪いとおもわれてしまうかもしれない。だからいまはまだ秘密にしていたい。
「そうか。ふっ、だが、良いことがわかったな」
私を抱えたまま、陛下が笑う。ぞの慈愛に満ちた微笑みを見て、近くに居たお父様が口をあんぐりとあけている。
「私とそなたは両思いだ。そうだろう」
「ええ、そうですね」
「ならこれはもう、付き合うしかないな。というか、婚約をすっ飛ばして、いますぐここで挙式をするか?」
少し気が早い気がするけれど、それもいいかもしれない。
そう思ったのだけれど、お父様が「陛下と娘の結婚は一大行事です。もっと盛大に祝わないと」とかなんとか騒いで、結婚式は半年後に行われることになり、この日の出来事は幕を引くことになった。
◇
約半年後――。
この日、首都はいままでで一番の賑わいを見せていた。
なぜなら今日は、この国の皇帝が最も愛するの女性と結婚をする日だからだ。
挙式は盛大に行われて、一週間もお祭り騒ぎが続いた。
そして、これまで暴君と恐れられていた皇帝は、結婚式で妻である私に対して慈愛に満ちた笑みを浮かべていたことから、一気に名声を回復することになる。
きっとこれからの未来、アルベリクス様は国一番の愛妻家として歴史に語られることになるだろう。
アルベリクス様には囲い癖があるし、私にはこっそり情報を集める趣味があるけれど……。
これからは、幸せな未来が待っているに違いない。
そう確信するのであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
すこしでもお楽しみいただけましたら幸いです。
こちらの作品はもともと短編として考えていたのですが、思ったよりも長くなってしまいました。
あきらかに短編で収まる内容ではないですよね……。
まあ、またなにかしらの物語でお会いしましょう。
槙村まき




