表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣医師 紗美原めぐみの事件簿  作者: 稲葉孝太郎
第4章 天使の喇叭
8/13

第8話 二重螺旋

 寮のベッドに寝そべる――須藤すどうは、今日の事件について、考えをめぐらせていた。

 クリスがキャット・キラーである可能性は、最初から却下していた。

 けれども、ほかに合理的な推理があるわけでもなかった。

 催眠術でも使わないかぎり、辻褄が合わない。それが、須藤の結論だった。

 

 コンコン

 

 ノックの音。リズムの速い叩き方に、須藤は聞きおぼえがあった。

「クリスか?」

「須藤さん、まだ起きてます?」

「ああ、入っていいぞ」

 ノブが回る。須藤は起き上がって、ベッドからおりた。

 左目の横にガーゼを貼ったクリスが、隙間からのぞきこんだ。

「すみません……よろしいですか?」

「他人行儀だな。べつに怒ってない。入れよ」

 部屋の中央にある簡易テーブルに、須藤はクリスを座らせた。

 それからインスタントコーヒーをふたつ淹れて、クリスに手渡した。

 妙におどおどしている。ムリもない。

 須藤は、なるべくプレッシャーをかけないように話しかけた。

「ケガは、大丈夫か? 痛くないか?」

「須藤さん……僕……」

 クリスはカップを持ち上げかけて、泣き始めた。

 須藤はびっくりして、腰を浮かせた。

「どうした? 一人前の建築士が、泣くもんじゃないぞ」

「僕……キャット・キラーかもしれないんです……」

 須藤は身を引いた。その台詞の奥に潜む恐怖感。そして、曖昧さ。

 相手が気持ちを落ち着けるまで、須藤は黙っていた。

 クリスは睫毛の涙をふき取り、ようやく泣くのをやめた。

「すみません……取り乱してしまって……」

「いや、かまわない……さっきの台詞は、どういう意味だ?」

 クリスは、事件当時の記憶がなくなっていると答えた。

「それは、俺も聞いた。頭を打って、記憶喪失になったんだろう」

「……ちがうと思います」

「心当たりがあるのか?」

 クリスは、しばらく無言になった。

 須藤は、ひたすらに続きを待つ。

「……記憶がなくなったのは、初めてじゃないんです。2回ほど、はっきり記憶が飛んだことがありました。そのときも、虐待された動物が見つかっています」

 病気か、と須藤はたずねた。

 クリスは、首を左右にふった。

「医者に診てもらいましたが、なにも……」

「そういう病気は、簡単に見つかるもんじゃないだろう」

 クリスは顔をあげた。年相応の、不安に満ちた表情だった。

「もしかして、多重人格なんじゃないでしょうか。それで、もうひとりの僕が……」

 言葉を挟もうとした瞬間、ふたたびノックの音がした。


 コンコンコン

 

 丁寧なノックの音。聞いたことのない調子だった。

「どなたですか?」

紗美原すずみはらです」

 須藤とクリスは、顔を見合わせた。すぐにドアを開ける。

 白衣姿の紗美原が、ほんとうに立っていた。

「こんばんは」

「こ、こんばんは」

 紗美原は、クリスにも挨拶した。キャット・キラーの調査状況について、確認しに来たのだろう。そう推測した須藤は、クリスの精神状態も考慮して、あとにしてもらえないかとたずねた。

「クリスさんの濡れ衣を晴らしに来ました」

 あっけに取られた須藤をよそに、紗美原は部屋のなかへ入ってきた。

 男部屋らしい散らかり方で、恥ずかしくなる。

 とりあえず、席を勧めた。

「須藤さんの席が、なくなってしまいますよ?」

「俺はベッドで十分です」

 どさりとベッドに腰かけて、紗美原の説明を待つ。

「昼間は、大変だったようですね。なにがあったか、教えていただけませんか?」

 須藤は、自分の目で見たこと、新島にいじま博士から聞いたことを、詳細に伝えた。

 紗美原は確信に満ちた表情で、かるくうなずいた。

「これではっきりしました……クリスさんは無実です」

 その結論には、須藤も納得した。

 問題はトリックだった。

「犯人は、クリスにどうやって紙袋を持たせたんですか?」

 記憶がないのだ。催眠術かもしれないと、うっかり口走ってしまう。

 笑われるかと思いきや、紗美原は「名推理です」と評した。

「さ、催眠術だって言うんですか?」

「エンジェル・トランペットという植物を、ご存知ですか?」

 須藤は知らないと答えた。

「エンジェル・トランペットというのは、釣り鐘状の花をつける植物で、その根には、幻覚性のアルカロイドが含まれています。大量に摂取すると、記憶障害を起こし、いわゆる催眠状態になることもあります」

「クリスは、キャット・キラーの手で洗脳されてた、ってことですか?」

 紗美原がうなずくと、クリスは身震いした。

「今回の件で、ひとつだけわかったことがあります。キャット・キラーは、動物虐待を趣味とする異常者ではありません。植物から麻薬を合成することのできる、知能犯です」

 須藤は、思い当たるふしがあった。キャット・キラーの使用ルートは、すべて研究所へ向かって収束している。このことを、紗美原にも伝えた。

「なるほど……おふたりには、伝えないといけないことがあります」

「なんですか?」

野逢のあ自然公園の秘密……犯人の動機です」

 須藤は、息を呑んだ。慎重に言葉を選ぶ。

「それって……企業秘密なんじゃないですか?」

 紗美原は、表情をくずさなかった。

「いいえ、政府の報告書にも、きちんと記載されています」

「だったら、『秘密』じゃありませんよね?」

「須藤さんは、野逢自然公園の設立企画書に、目を通されたことがありますか?」

 須藤は、ないと答えた。そもそも、須藤は無職のとき、エントリーシートを乱発していただけで、業界分析すらしていなかった。紗美原も、それはとっくに理解してくれているはずだった。

「この自然公園は、遺伝子の保存を目的としています」

「はい。あのクラゲも、絶滅危機に瀕したから、ここで飼育されているんですよね」

「では、遺伝子改造については?」

 須藤は、ベッドが軋むほどおどろいた。寝耳に水だったからだ。

「遺伝子改造……? 違法な実験でもしてるんですか?」

「もちろん、合法です。公文書の設立趣旨にも、『遺伝子の保存および改良によって、生物の多様性維持に貢献する』と、はっきり書かれています」

「だったら、なんでそれが『秘密』なんですか?」

 遺伝子組み換え食品なら、須藤たちも知らず知らずのうちに摂取している。

 世間に隠すようなことではない、と須藤は思った。

 紗美原は言葉で答える代わりに、ひとさしゆびと親指で輪っかを作った。

 須藤はそれを見て、目をほそめた。

「……お金?」

「そうです。遺伝子改良は、莫大な富を生む可能性があります。日本は今、製造業で海外に大きく苦戦しています。その代替産業として、バイオが注目されているのです」

 ノーベル賞に繋がったiPS細胞はその代表例だと、紗美原は言った。

「だんだん見えてきました……この自然公園は、バイオ産業の拠点なんですね?」

「はい……正確に言うと、ペット産業の拠点です」

 須藤は、背筋に電流が走った。

「まさか……そんな……」

「お察しのとおりです……自然公園で虐待された動物は、外から迷い込んだものではありません。研究所で生み出された、遺伝子改良ペットです」

 人間に警戒心を持たない鳥、成長しない子猫、模様と色を事前に指定できる犬――どれも魅力的な商品ばかりだった。

「ようやくわかりましたよ……俺のメモリーカードが、なぜ盗まれかけたか……」

 あの子猫は、遺伝子改良ペットだったのだ。

 紗美原は、最後のピースを付け加える。

「産業スパイ……それが、キャット・キラーの正体です」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ