第6話 むすんでひらいて
研究所へ連行された須藤は、面談室のような場所に案内された。壁も床も真っ白で、家具らしいものは、スチール棚がひとつだけだった。テーブルを挟み、須藤は新島博士と向かい合っていた。取り調べだと言うことは、すぐに察しがついた。
「博士、ひとつ弁明させてください」
とは言ったものの、どこから手をつければいいのやら、須藤は悩んだ。
まず、博士はじぶんのことをどこまで疑っているのか、それをたずねてみた。
「今のところは、なんとも言えない」
「それなら、話は早いです。自作自演の動機がありません。メリットは皆無ですから」
「皆無……私には、そうは思えないのだが」
返答の意味が、須藤にはよくわからなかった。
「さきほどは『なんとも言えない』と、そうおっしゃったじゃないですか」
「傷ついた動物が、園内で見つかっている。きみも知っているね」
話題が突然切り替わった。須藤はいぶかしがりつつ、知っていると答えた。
「そのうち2件は、きみが発見している」
「ちょっと待ってください。その話題は今、関係がありません」
ほんとうに、関係がないのか――そう言いたげなまなざしが返ってきた。須藤はようやく、博士がなにを疑っているのか、その点を理解した。背中が冷たくなったあと、カッと熱くなった。
「俺は、動物虐待の犯人じゃありませんよ」
「これだけ広い自然公園で、2回も発見者になる確率は、それほど高くない」
同一人物が2回発見したケースは他にないと、博士は指摘した。須藤は、そもそも犯人なら発見者にならないだろうと、そう反論した。博士は、うなずかなかった。
「この手の事件は、被害者が発見されないと意味がない。私は、発見者のなかに犯人がいるのではないかとにらんでいる」
「そういう直感的な捜査は困ります。動物が発見されるようになったのは、俺が来るまえなんでしょう。俺が犯人じゃない決定的な証拠です」
博士も、さすがにその点は認めた。しかし、須藤の嫌疑は、かなり濃いらしかった。時期的な不一致がなければ、今にでも有罪判決が下されそうな勢いだった。博士が「なんとも言えない」と答えたのは、須藤にアリバイがあるからに過ぎなかった。
「アリバイのない発見者は、何人くらいいるんですか?」
「5、6人はいる。彼らからは、すでに話を聞いた。不審な点はなかった」
「俺にも不審な点はありません」
「いや、きみにはある……きみの経歴についてだ」
火照っていた須藤の背筋が、凍り付いた。しばらくの沈黙。
「……なにを、おっしゃっているんですか?」
博士は椅子をうしろへ下げて、両腕を組んだ。
ゆっくりと、細切れに先を続けた。
「きみはもともと、動物カメラマンではないね」
「ええ……それは履歴書にも、きちんと書いたはずです」
博士は、先を続けようとした。須藤は先回りして、なぜキャリアのことを知っているのか、それをたずねた。自然公園に就職する以前、須藤がなにをしていたのか――それを把握しているのは、採用担当者だけのはずだからだ。面接のときに現れたのは、事務方の役員とここの園長で、新島博士とは顔も合わせなかった。
「面接で会わなくとも、履歴書には目を通している。人事委員だからな」
「そういうことでしたか……でも、それなら弁解……いえ、弁解というのは、おかしいですね。俺は、面接のときも正直に答えましたが、もともと動物は撮っていませんでした。試用期間を設定されたのも、そういう事情があったからです。ただ、それでも採用したのは……たいへん言いにくいんですが……自然公園のほうです。採用された俺に疑いをかけられても、困ります」
「以前は、なにを撮っていたのだね?」
人間です、と須藤は答えた。ウソではなかった。モデルカメラマンかとたずねられたので、そうだと告げた。どうやら博士は、須藤の過去について、正確な情報を持っているわけではないようだった。少し、強気に出ることにした。
「俺も試用期間とはいえ、ここの職員です。反対に質問させていただきたいことがあります……俺が入浴中、2階へ上がったのは、博士だけです。ホールで階段を見張っていた人物がいました。博士は、なんのために2階へ上がったんですか?」
「クリスを捜していたんだよ」
「クリスくんなら、1階のホールでクロスワードパズルを解いていました」
「わしが来たときは、いなかった」
しまったと思った。クリスのアリバイに関しては、自信も証言もない。
さらに新島博士は、より鋭い反論を用意してきた。
「そもそも、きみに罠をかける理由がないだろうに。私はただの老いた研究者だよ」
「博士は、メモリーカードをやたら気にしてましたよね? あれはなぜですか?」
「窃盗犯ともなれば、気にするのは当然だろう」
そこへ突然、女性の声が割り込んだ。
「いいえ、ほかにも動機がありますよ、新島博士」
ふたりはハッとなった。
ドアのところから、ひょっこりと狐のお面が現れた。
「こんばんは」
おなじイタズラをされたことがあって、須藤には正体がわかった。
「紗美原さん!」
須藤の声に合わせて、紗美原はお面をはずした。それをバスケットボールみたいに、ひとさしゆびの先でクルクルと回した。茶目っ気のある仕草に、新島博士は眉をひそめた。
「紗美原くん、盗み聞きかね?」
「失礼しました。おもどりになられたとうかがったのですが、研究室のほうへお見えにならないので……それにしても、須藤さんを取り調べとは、穏やかではありませんね」
「取り調べではない。話を聞いているだけだ」
新島博士は、のらりくらりとかわした。その煮え切らない態度は、須藤にも気にかかっていた。クビにするつもりなら、もっと高圧的な態度に出ても、良さそうだと思った。
紗美原は、四角いテーブルの一辺に腰を下ろした。彼女の右に須藤が、左に博士が座っているかっこうだ。そして、博士に代わり、質問を始めた。
「さて、須藤さん、正直に話していただきましょう……今日の午後、あなたがこの研究所を訪れたことは、裏が取れています。監視カメラに映っていましたからね。あのメモリーカードの中には、なにが写っていたのですか?」
「ほんとに大したものじゃないんですよ。ただの子猫です」
紗美原は、こくりとうなずいた。
まるで予期していたような返しだった。
博士は、
「紗美原くん、ここは私に任せて欲しい。例の話はあとで……」
と割り込もうとしたが、紗美原はこれを拒否した。
「須藤さんから患者たちを預かったのは、私です。私に預けていただけませんか」
ふたりは、じっとにらみ合いになった。どちらに天秤が振れるかで、須藤の運命が決まるのだ。口のなかが渇くのを感じながら、須藤は息を殺した。
「……きみは、お父さんにそっくりだな。好きにしたまえ」
折れたのは、新島博士だった。
須藤は胸をなでおろした。
紗美原はお礼を言いつつも、やや不満そうな面持ちだった。
「私は父のやりかたを、好んでいるわけではありません。ただ、須藤さんを取り調べるには、証拠が足りないと考えただけです。須藤さんも当園の職員ですから、公正な取扱いが必要です」
わかったわかったと、新島博士は身ぶりで示した。
「しかし、確認しておかねばならないことが、ひとつある」
「なんでしょうか?」
「今回の事件のトリックだよ。自作自演でないとすれば、メモリーカードはどうやって、須藤くんのポケットに入ったのだね? こればかりは、ここで解決してもらわなければ、困るよ」
トリック――そんなものが、あるのだろうか。
新島博士はロジカルに、今の状況を整理し始めた。まず、スタッフの寮でなにがあったのか、それを簡潔に説明した。
「以上の証言からして、須藤くんの自作自演か、それとも私の犯行か……このどちらかになる。私が須藤くんの入浴中に、メモリーカードを引き抜いて、あとからこっそり彼のポケットに入れたか、それとも須藤くんが自分で入れたか……二者択一ではないかね?」
「いいえ、ちがいます」
紗美原は、はっきりとした口調で否定した。
「ふむ……どこがちがう?」
「出入りの組み合わせです」
出入りの組み合わせ――博士は、その意味をたずねた。
「非常口です」
「非常口なら、須藤くんが確認した。内側から鍵がかかっていた、とね」
博士はそう言って、須藤に目配せをした。
須藤は、その通りだ、と答えた。
「それが、組み合わせの錯誤なのです……出たのではなく、入ったのだとしたら?」
紗美原の一言に、須藤はハッとなった。
「犯人は、非常口から2階に入ったってことですか?」
「はい」
「外から入るとき、どうやって解錠します?」
「昼間に開けておくのです。2階にいたのは新島先生と須藤さんだけ、という前提は、これで崩れました。犯人は、非常口を使って2階へ上がり、須藤さんの部屋に侵入してメモリーカードを抜き取ったあと、クローゼットかどこかに隠れていたのでしょう」
「待ってください。犯人は、どうやって脱出したんですか? 俺が博士に催促されて2階へもどったときは、だれもいませんでした。クリスは廊下を捜していましたから、逃げようがありません」
「そのとき、非常口をもういちど確かめましたか?」
須藤は、息が詰まった。
首を左右にふった。
「須藤さんは、犯人が非常口から入るタイミングのとき、脱出を疑い、犯人が脱出したタイミングのとき、それを疑わなかった……ボタンの掛け違いです」
「い、今から寮にもどって確認しましょう」
紗美原は、焦る須藤を引き止めた。
「鍵はふたたび、内側からかけられていると思います」
「ふたたび? それって、もしかして……」
紗美原は悲しげな表情で、須藤の言葉を継いだ。
「犯人は、あの場でメモリーカードを捜すフリをしていただれかです。非常口から出たあと、寮の表玄関から入り、合流する……須藤さんのポケットにもどすタイミングも、そこしかありません」