第4話 こどもとおとな
1時間後、須藤は自然公園の獣医室にいた。
診察台のうえには、タヌキのような生き物が、麻酔をかけられて横たわっていた。目を覚ますまで、あと30分ほどかかると、紗美原は言った。
「それで、どうなったのですか?」
細い指が、最後の包帯をケースにおさめた。
「アリバイは、あったのですか? なかったのですか?」
「……ありました」
須藤は、染崎のアリバイを、順番に説明した。
「俺たちが犬の声を聞いたのは、だいたい18時半頃でした。そのとき、染崎は同僚と、食堂にいたんです。そこへクリスが飛び込んで来たのを、同僚が証言してくれました。染崎が俺たちと別れたのは、19時過ぎ。そのあとすぐに寮へ戻ってきたところを、目撃されてます。放送室は寮の反対方向ですから、細工をする時間はなかったはずです」
「なるほど、新島さんがあっさり引き下がったのは、じぶんがアリバイの当事者だったからですか。しかし、あらかじめセットされていた、という可能性は?」
「それも確認しました。あの放送室は、21時頃に閉まります。管理人さんは、室内を全部チェックしたそうです。そのとき、タッチパネルはオフになっていたと聞きました」
「スリープモードではなく、電源がオフになっていたのですね?」
「そうです。染崎は寮へ戻ったあと、外出していません。タッチパネルに自動オフ機能はないので、ほかのだれかが操作したとしか、考えられません」
紗美原は、こくりとうなずいた。
ただ確認しただけで、さも当然であるかのような仕草だった。
「その話を私にして、どうなさるおつもりだったのですか?」
「その……なんというか……紗美原さんなら、パパッと推理してくれるかな……と」
紗美原は、くすりと笑った。
「私は獣医ですよ。それに……」
「それに?」
「須藤さんのほうが、よっぽど探偵らしいじゃありませんか」
紗美原の指摘に、須藤は恥ずかしくなった。
カメラマンの仕事をほっぽり出して、探偵ごっこをしていたからだ。
紗美原は、
「あなたの推理をお聞かせ願えますか、名探偵、須藤さん?」
と、やや芝居がかった訊き方をした。
須藤は赤面しながらも、あるひとつの仮説を持ち出した。
「これはあくまでも仮説ですが……クリスがあやしいと思うんです」
「なぜですか?」
「クリスのほうは、アリバイがないんです……野犬を探すために寮を出ていたんですから、当たり前と言えば、当たり前なんですが……」
アレは口実で、放送室にいたのではないだろうか。須藤は、そう疑った。砂漠館で別れたあと、クリスがどこへ行ったのか、須藤は知らなかった。
しかし、納得のいかない点が、ひとつだけあった。
「だけど、クリスには動機がないんです……そう、動機がない」
帰り道、須藤の考えは、堂々めぐりを続けた。
染崎には動機がある。だが、アリバイもある。
クリスには動機がない。だが、アリバイもない。
このジレンマに陥った須藤は、よく眠れないまま、次の日をむかえた。
シャワーを浴び、朝食をとって外出したときは、まだ開園前だった。早朝の撮影もいいかと思って、飼育エリアにむかっていると、なにやら男の声が聞こえた。砂漠館からだ。のぞいてみると、染崎とクリスが言い争っていた。
「証拠はあがってるんですよッ! 白状してくださいッ!」
「いい加減にしてくれないかな。物証を持って来てよ、物証を」
「上層部に掛け合いますッ!」
「どうぞ、ご自由に」
須藤は、あわてて止めに入った。
ふたりは、彼の仲裁を拒否した。
「須藤さんは、僕たちの関係を知らないから、そういうことを言えるんです」
「おっと、新島くん、それなら昨日、須藤さんには伝えておいたよ」
「なんですってッ!?」
今にも取っ組み合いになりそうだ。須藤は一喝しようと、口を開けた。
そのときだった。
「まあまあ、おふたりとも、もうすぐ開園時間ですよ」
ふりかえると、ひとが立っていた。マングースのようなお面をかぶっていた。
けれども、その白衣は、見紛うことなき――
「紗美原さんッ!」
須藤たちは、お面の主の名前を、一斉に叫んだ。
紗美原はお面をはずして、須藤たちに「おはようございます」と挨拶した。
須藤は困惑して、
「お、おはようございます……なにをしてるんですか?」
とたずねた。
「3Dプリンタで作ってみました。最近の技術は、すごいんですね」
「そういうことじゃなくて、どうしてここに……」
ワンワン ワンワン
須藤は、飛び上がりかけた。
スピーカーに目をむける。だが、鳴き声は違う方向から聞こえた。
新島は、
「と、鳥だッ!」
と叫んで、一匹の鳥をゆびさした。
親子連れがいたときの、あの黒い鳥だった。
その鳥が、犬のように鳴いているのだ。
どういうことだろうか? あのときは、全然ちがう鳴き声で──
紗美原は、種明かしをした。
「あれは、クロオウチュウ……およそ18種類の鳴き声を持つ鳥です」
須藤は吃驚した。
「どうして、そんな数の鳴き声を?」
「エサの少ない冬に、ほかの動物の警戒音をマネるためです。天敵が来たと勘違いした動物は、エサを落として行ってしまうのです」
「それを横取りするわけですか……でも、今は春ですよ?」
「クロオウチュウは、あいてを騙すときだけでなく、ほんとうに天敵が来たときも、警戒音を発します。そう、このお面のように」
紗美原さんがお面をかぶると、ふたたびクロオウチュウは犬のように鳴いた。
「そのお面は……もしかして、ミーアキャット?」
「はい、クロオウチュウは、ミーアキャットのモノマネで有名な鳥です」
「あの夜、ミーアキャットなんて、どこにもいなかったですよ?」
「須藤さんたちは、懐中電灯をお持ちではありませんでしたか?」
須藤は、クリスが持っていたことを伝えた。
同時に、トリックも分かった。
「そうか……光に反応して、でたらめに声を出していたのか……」
直接照らさなかったとはいえ、不自然な灯りが見えたはずだ。
天敵の種類が特定できないから、次々と声音を変えていたのだろう。
「そういうことです。須藤さんは、ムクドリなどの声も聞いた、とおっしゃいましたね。もしあれが環境音なら、次々に入れ替えないといけません。不可能ではありませんが、不自然な中断や間が生じたはずです」
須藤は唖然とした。
しかしそのとなりで、須藤よりも震えている人物がいた――クリスだ。
「そんな……僕は……僕は……」
困惑したクリスは、駆け足で砂漠館を出て行った。
引き止めようとした須藤に、染崎はわけ知り顔で、こう言った。
「あいつなら、こうせざるをえませんよ。まちがった推理で、俺に濡れ衣を着せようとしていたんですからね。人生最大の失敗、ってやつじゃないですか」
言い方にトゲはあったが、須藤も反論できなかった
紗美原はスッとお面をはずし、染崎のまえに歩み寄った。
「染崎さんの感想は、それだけですか?」
「それだけ、と言うのは?」
「染崎さんにも、責任があるとは思いませんか?」
「……なにをおっしゃりたいんですか?」
「あなたは、あれがクロオウチュウの鳴き声だと、最初からわかっていたはずです。私の推理を聞くまでもなく」
「!」
当たり前のことだった。砂漠館担当の染崎が、クロオウチュウの特性を知らないはずがないのだから。
「なぜあの夜、ふたりに真実を伝えなかったのですか?」
「……」
「あなたは、こう考えたのではありませんか。不十分な証拠のまま、新島さんが上層部に訴えれば、そこで恥をかかせることができる、と」
染崎は帽子を脱ぎ、悲しげに頭をかいた。
「新島がこどもっぽいなら、俺はおとなげない……そんなところですかね」