表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣医師 紗美原めぐみの事件簿  作者: 稲葉孝太郎
第5章 復讐の獅子
10/13

第10話 ふたりの過去

 三たび、取調室――須藤すどうは、新島にいじま博士から事情を聴取されていた。

 酒向さこうも同席していて、2対1だ。

 あらかた説明を終えた須藤に対して、新島博士は、念入りな確認をしてきた。

「きみは秋乃あきのくんについて、まったくの無罪を主張するわけだね?」

「ジープに乗っているとき、ライオンが遠距離から現れたのを、目撃しています。そのとき秋乃さんは、怪しい行動をとっていません。すぐに本部へ連絡して、事件を防ごうとしていました」

 どうして同乗していたのか、とたずねられた。

「ライガーの写真を撮るためです。檻のなかでは、いい写真が撮れませんでした」

「しかし、カメラを持っておらんではないか」

「トラックに置いてきたんです」

 新島博士は、室内の子機で、どこかに電話を入れた。

「ああ……うむ……まちがいないのだね? ……わかった。ありがとう」

 カチャリと、受話器を置く音がした。

 博士はふりむいて、

「トラックの整備員は、カメラを見ていないと言っている」

 と告げた。

 須藤のなかで一瞬、時間が止まった。

「見ていない……というのは?」

「そのままの意味だ。トラックに忘れ物はなかった」

 そんなはずはありません、と、須藤はくいさがった。

「だれかがまちがえて持っていたんだと思います」

「ううむ……しかし……」

 そこへ、酒向が助け舟を出してくれた。

「カメラを持っていたなら、だれかが見てるんじゃないですか?」

「……なるほど」

 新島博士は、もういちど電話をかけた。

 すると、あのとき搬送を手伝った職員から、目撃証言がとれた。

 博士は椅子に座って、ふぅとタメ息をもらした。

 酒向は、軽くせきばらいをして、

「今回は事故ですし、だれが悪いというわけでもないと思いますが」

 と言った。

 新島博士は、眉間にしわを寄せた。同意しかねる、というよりも、あからさまな事なかれ主義に、苦言を呈したかったようだ。

「酒向くん、それで報告書を上げられるのかね?」

 酒向は肩をすくめた。

「ライガーが運動の途中で、ほかのライオンに襲われた。事実はこれしかありません。ほかのことをつけくわえるほうが、憶測を呼びます」

「まだ現場も見ておらんわけだろう。事情聴取の段階で、そんな……」

 そのとき、取調室のドアがノックされた。

 新島博士は、取り込み中だと答えた。

「園長から、ご連絡です」

 女性の声だった。事務員だろう、と須藤は思った。

 園長と聞いて、博士もさすがに用件を聞いた。

 事務員はドア越しに、事情聴取をいったん打ち切って、理事会のほうへ回すように、と伝言した。これには、博士もホッとしたようで、

「やれやれ、そうしてもらえると助かる。研究するヒマもない」

 と言って、席を立った。

 須藤も解放される。

 部屋を出たところで、クリスとばったり出会った。

 クリスは設計責任者として、次に呼ばれる予定だったのだ。

「僕の番ですか?」

「事情聴取は中止だ」

 クリスは肩をすくめて、コーヒーでも飲みますか、と言った。

「そのまえに、探し物がある」

 須藤は、カメラが行方不明であることを知らせた。

 クリスは驚いて、捜すのを手伝うと言った。

「ま、どうせトラックのなか、ってオチだと思いますけどね」

「そうだといいんだが……」

 クリスの楽観は、残念なことにハズれた。

 駐車スペースでトラックを見せてもらったが、カメラはどこにもなかった。

 グローブボックスも空だった。

 だれかがかたづけたのではないかと思い、職員に何人かあたってみた。

 クリスもツテを調べてくれたが、皆一様に知らないようだった。

 須藤は落胆した。なんとかじぶんを落ち着かせ、トラックから研究所まで、走行ルートを辿ってみた。なんの成果もなかった。研究所に到着しようというところで、紗美原すずみはらと遭遇した。

 白衣には血がついていなかった。

 シャンプーの香りがする。いったん着替えてきたことは、明らかだった。

 須藤はかるく会釈した。

「お疲れさまでした……助かったんですよね?」

「はい。皮膚の移植が必要だったので、たいへん手間取りました」

 須藤は安堵した。

 だが、軽くなったのは、心の半分だった。

 カメラを捜していることを、須藤は紗美原にも伝えた。

 紗美原は、

「パソコンなどで、どこにあるかわからないのですか?」

 とたずねた。

「GPS機能はあるんですが、追跡までは……」

 写真のデータに、GPS位置情報を追加する。その機能はついていた。しかし、カメラの位置情報を、そこから割り出せるわけではなかった。カメラは、衛星から位置情報を受信するだけで、発信はしていない。

「そうですか……須藤さん、すこし手伝っていただきたいことがあります」

 須藤と紗美原は、クリスと別れた。

 そのまま研究所の建物に入った。受付を通り過ぎ、研究スペースも通過して、上の階へあがった。絨毯の敷かれた廊下を、奥へ奥へと進んだ。研究施設だと言うのに、ずいぶんとものものしい。地位の高い人物がいることに、須藤は気づいていた。

 最奥には、木製のとびらがひかえていた。紗美原は、ひと呼吸置いた。


 コンコンコン

 

 丁寧なノック。ただ、どこかしら手慣れたところがあった。

 どうぞ、という声が聞こえて、紗美原はドアノブを回した。

 豪勢な調度品――ではなく、意外な光景が広がった。病室だった。

 病院そのものではないけれども、寝具や椅子、棚の具合は、病室のそれだった。

 パジャマを着た威厳のある男性が、ベッドから上半身を起こしていた。

「なんの用だね?」

 50代だろうか。もともとは口髭があったのだろう。剃りあとが見えた。

 須藤は、紗美原の患者かと思ったが、そうではなかった。

「園長、お話があります」

 にわかに緊張感がただよう。

 須藤は、この男の人相に、どこか見覚えがあった。

 面接のとき、中央に座っていた人物だ。

 やつれているせいで、須藤はすぐには思い出せなかった。

 男は、大きく息をついた。

「職員としてかね? それとも、娘としてかね?」

 須藤は驚愕した。

 紗美原の横顔を見る。彼女は、いつになく真剣な表情だった。

「前者です……なぜ、調査の打ち切りを命じられたのですか?」

 男は、じっと紗美原の顔を見つめた。

「もちろん、不祥事を起こさないためだよ」

「不祥事の隠蔽は、事故の解明に繋がりません。再開の指示を出してください」

 男は、笑いもせず、怒りもせず、首を左右にふった。

「ライガーが、他のライオンに襲われた……マスコミが知ったら、どうなる? 明日の記事になることは、確実だ。私は野逢のあ自然公園の園長として、対処せねばならぬ」

 男はそこまで弁明して、須藤を見やった。

「きみは?」

「新任カメラマンの、須藤ともうします」

「ああ……メモリーカードを紛失した青年か」

 情報が筒抜けになっている。須藤は、そう思った。

めぐみ、きみがこの青年を連れて来たということは、彼がキャット・キラーでないと、そう確信しているわけだね?」

「もうひとり、新島クリスくんは、リストから除外しています」

 男は、あいかわらず感情の読み取れない顔で、うなずき返した。

「園長……あなたは、今回の事件を予期していましたね?」

「なぜ、そう思う?」

「輸血用のパックが、在庫票よりも多くありました」

 男は、初めて笑った。渇いた笑いだった。

「で、犯人に目星はついたかね?」

「いえ……しかし、トリックは簡単です」

「業務の一環として、報告してもらおう」

「おそらく、音だと思います」

 紗美原は、それだけ言って、口を閉ざした。

 男は、その先を続けた。

「ネコ科の動物は、人間よりも高い周波数を、聴き取ることができる……ジープは調べたのだろうね?」

「はい……粘着テープのあとがありました」

「しかし、ライオンが音だけで、ライガーを襲うだろうか?」

「もうひとつのトリックは、匂いです。犯人はライガーの肩に、ライオンが嫌うフェロモンを塗ったのです」

「証拠は?」

 紗美原は、くちびるをわずかにむすんだ。

「……ありません。先ほどの手術で、消えてしまったと思います」

 そこまでが、犯人の予定だったのだろう。

 須藤は、そう感じた。

 男は報告を聞き終えると、静かに目を閉じた。

「さあ、もどりたまえ……父ではなく、園長としての指示だよ、紗美原恵くん」

 研究施設を出た須藤たちは、ゆっくりと公園の小径を歩いた。

 いつになく憂鬱だった。

 ライガーが助かったというのに、なぜだろう――その理由に、須藤は気づいていた。

「須藤さん、私に幻滅しましたか?」

 須藤は、首を横にふった。

「いえ……まったく」

「コネ入園だと思われたのでしょう?」

 紗美原の腕前なら、コネに頼るまでもない。須藤は、そう答えた。

 紗美原はほほえんで、

「技術だけで、自然公園のポストは決まりません。私がスタッフになれたのは、多分にコネ……父である紗美原すずみはらたけしが、園長だからですよ」

 と自嘲した。

「どうしてそんなに卑下するんですか? 自信を持ってください」

 紗美原は、ポケットに両手を突っ込んだまま、空を見上げた。

「秋乃さんの過去を、ご存知ですか?」

「はい……同僚から聞きました」

「そのとき、現場には私もいたのです」

 湿気を含んだ風が、どこからともなく吹いた。明日は雨かもしれない。

「秋乃さんの御同僚だったことも、うかがっています」

「同僚だっただけではありません……現場にいたのです。秋乃さんのお父さんが襲われたとき、その現場に……私は助けられませんでした」

 須藤は、くちびるをむすんだ。

 さきほどの言い回しで、うすうす気づいていたことだった。

 ただ……なんとなく……須藤から言い出していいのか、わからなかったのだ。

「なぜそれを、俺に教えるんですか?」

「なぜだと思いますか?」

 須藤は、しばらく考えて――ある憶測にたどりついた。

「俺の過去を知りたいから……ですか?」

「ご明察です」

「紗美原さんは、俺の履歴書を見ていないんですか?」

 見ていないと、彼女ははっきり答えた。

「なぜ、そんなことを知りたいんです?」

「それが、今回の事件の鍵になるかもしれないからです」

「鍵……? 俺のキャリアが?」

 紗美原は、うなずいた。

 須藤は決心する。もっと早く、決心しなければならなかったと、そう思った。

「俺は、戦場カメラマンでした」

「戦闘の撮影ですか? それとも……」

「死体専門です……死体カメラマンなんですよ、俺は」

「なぜその職をお捨てに?」

 須藤は、口をつぐんだ。

 過去の物々交換など、ほんとうに成り立つのだろうか。

 須藤にはわからなかった。

「最初に俺を助けてくれたのは、紗美原さんの推理でしたね」

「……」

「その推理に役立つなら、教えます……俺の過去を」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ