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平行世界の、君と僕  作者: 蟻足びび
18/26

第十八話

その日から、私は少し変わった。ほんの少し、確かな進歩が見られた。

話しかけてくれた()()とだけではあるけれど、人と目を合わせるということが出来るようになった。初めて、人を一個人として、考えることができた。

今まで止まっていた私の人生が、足りない歯車を得た、という感覚。

その歯車は、『私に向けられた笑顔』であった。

他人(ひと)とは違う、中身のある笑顔。”鈴”という存在を肯定する、生きていることを証明する、好意と慈愛に満ち満ちた笑顔。

あの一瞬は不覚にも、「友達っていいな」とさえ思ってしまいそうになった。


でも結局は、学校での立ち位置も私の心境も、表立ったところは何も変わっていない。

彼女には彼女の友達がいて、結局は皆平等の笑顔で。私だってきっと、単にその中の一人で。

そんなの他人行儀じゃないか、とも、思ってしまう。

だから、私は結局、開き直れないでいた。気持ちが渦巻きざわめく。


そういえばひとつ、変わったことがあった。

私が本を読んでいると時々、視線を感じることがある。もちろんその視線の主は()()であるのだけれど、私はしばらく様子を見るように無視をする。

皆が帰宅して、教室がガランとしてしまってもそこにいるときもあった。帰りたいので、仕方なく、


「何?」


と低い声で返すと、彼女は心底嬉しそうに笑い、


「何読んでるの?」


と尋ねてきた。


芥川龍之介の『羅生門』。読んでいる本は”芥川龍之介全集”という昔からのお気に入りの短編集で、『文豪』と呼ばれる”志賀直哉”や”夏目漱石”などの作品に惹かれるようになっていったきっかけは、紛れもなくこの本であった。

何度も読んだ証として、ページの外の一辺が湿り気でうねってしまっている。

羅生門は、とてもミステリアスなストーリーである。ここでの詳しい紹介は避けるが、『下人(主人公)の行方は、誰も知らない』という締め方からわかるように、中途半端で丁度よい終わり方をするため、妄想や想像に浸るチャンスをくれる、滲みるような物語だ。


......と。しっかり説明するでもなく、突き返すわけでもなく、私は彼女の質問に真摯に答えた。


「『羅生門』よ」

「へー。ありがとうっ」


それを聞くや否や、感謝の言葉を口にし、手を振って走っていってしまった。私は呆然と、忙しく走り去っていく彼女の背中を見送る。


___私、難しい本は読まないんだよねー。


あの日、彼女が私に言った言葉。

毎回毎回題名を聞いては走り去る。難しい本にいきなり馴染み、友達になるのはすごく難しいことで、得意ではないという彼女にとっては、きっと興味も無いのだろうし、耳に残ってすらいないのだろう。

いや、なにも頭をかしげることはない。

彼女は私とも()()()()()()()()()()()()のだ。可哀想な存在だから。一人ぼっちで気の毒だから。

彼女の優しさが、私の胸に槍を刺す。思いやりが、重い槍へと変貌する。

そんな私がだんだん哀れに思えてきた。

無視されるのも、仲間はずれにされるのも、私にとっては好都合。幸せを感じることのできる時間を与えてくれるから。

でも、『気遣われている』という感覚は、私のプライドを蝕んだ。


やはり、誰も彼も変わりはしない。みんなみんな、空っぽ。

あの日の笑顔も、あの日感じた小さな嬉しさも、きっと私の”期待”が生んでしまった錯覚だったのであろう。

友達やら恋人やら、そんな概念を押し付けてくるいつもの光景に、いつの日か私は怒りを覚えた。

希望を抱きそうになってしまった私という人間が、嘆かわしい。消えてしまいたいくらい恥ずかしい。


『人間失格』


ふとその単語が、頭をよぎる。

そんな題目で本を書いた太宰治は、私のように自分のことが嫌になってしまったのか。

”小説を書くのが嫌になったから死ぬのです”。そんな言葉を残した彼は、自分のことを『人間失格』と(のたま)ったのか。私のように、世界に息苦しさや疎外感を感じたのか。


私は、深く考えないでおこうと、絶望も忘れひたすらに感情を閉じこめた。


この胸の、今まで抱いたことのない感情に、薄々気づきながら___





桜が散った頃。

彼女が何週間かぶりに私のもとに来た。椅子に座る私を、見下ろすかたちである。

ぜぇぜぇと肩を上下させて満身創痍な様子で、なんとかそこに立っている。

目の下には()()を作り、顔が青白く、超絶健康思考の彼女からは考えられない有様だった。

それでも。


「鈴ちゃん、遅くなってごめんね」


と切り出す。残った気力で、なんとか言葉を紡ごうとする。

無理しないで、と言いたくなるような弱々しさの裏には、鋭く尖った意志が見え隠れしていた。

なんだろう。と不意に私は身を固くする。

少し前の『人のことは考えない』という誓いが、早くも崩れ去ろうとしていた。


期待をしてしまっている。希望を持ってしまっている。望みを捨てきれずにいる。

だめだ、何が起ころうとも私に変化などを求めるのは醜い。


懊悩としている中。『バンッ』と私の目の前に何かが置かれた。

あまりの音に、クラスの視線が集まる。ザワザワしていた教室の騒々しさはこの一撃で静寂に包まれたが、そんなことはお構いなしと、彼女は続ける。


「これ、読んで」


彼女が、すぅと差し出したのは”紙の束”であった。十センチを上回るほど積み上げられたそれ。

あまりの出来事に脳天がひっくり返りそうになる。

一枚目に『文豪小説』と記されたそれは、ずっしりとした質量を感じられる。


「羅生門の続き、私はこう思うの」


そういって、きれいな手付きで一枚目をめくる。

そこには、綺麗な字で、整えられたレイアウトで。『羅生門』という見出しが紡ぐ、多大な感想と疑問点、それから主人公の生涯についての自分なりのストーリーを、つたない文章で(つづ)ってあった。


「............これは?」

「私、必死になって読んだの。鈴ちゃんとお話がしたくて、どうしたらって考えたらね、鈴ちゃん、本が好きなのを思い出して。これだ!って思ったの。必死に読んで、思ったことを記して、考えて、鈴ちゃんでもわからないような裏話とかも、たくさん調べてね。そしたら、こんなになっちゃった。『一緒にお話したい』っていう気持ちだけで書き綴ったものだから、読みにくいとこともあるかもしれないけれど」


でも、だから。


「これ、読んでほしい」


それは凄まじくずるいお願いだった。

今まで私に本の題名を聞いては書店に急ぎ。それを読んでは感想を書き、こうしてまとめて。

そんな彼女の健気な行為を見抜けもせず、私は冷たく冷徹になりきった。

それでもなお、めげずに私のところへ出向き、時には追い返されながらもひたすらにがむしゃらに食らいついて。追い返されるたび悲しい顔をして帰って、それでも私の方がめげて口を開くたびに、彼女は表情をパッと明るくした。

辛いはずなのに。きっと無傷では無いはずなのに。懸命に、明るくいようとした。

私への気遣いというよりも、私への好意が生んだ行動であり、正真正銘、彼女の”本心”だった。


そんな気持ちなどつゆ知らず、「私は孤独でいい」と罵った。私ではなく彼女を罵っていたのだ。

それは、醜く、耐え難い行為だった。


目の前の彼女は、今にも枯れそうな笑顔で続ける。


「これを読んで、またそれに感想がほしい。こんな量全部読めなくてもいいから、少しでも話題にしたい」

「同じように考えてるところも、すれ違いも、時にはある。それを、全部分かり合う必要はないんじゃないかな」


目を見て、目の奥まで見られて。


___友達は、喜びも悲しみも分かち合えるんだよ。


いつかの言葉の、その裏を返したような言葉。


「本を読んでて、鈴ちゃんのおかげで本を読めて、色々学べたこともたくさんあった。それを、鈴ちゃんと共有したいなとも思えた」


___本って、面白いよね!


「難しい本でも、すらすら読めた。こんなふうに思ってるのかな、とか想像しながら楽しめたよ。鈴ちゃんはどう?私が好きなものに、興味を持ってくれる?」

「......」


質問されているわけじゃない。そうわかっているので、考えない。


「鈴ちゃんは、こうやって、好きなものを語り合ったこと、ある?」

「............」

「楽しいよ、友達。話して笑って、思いを共有して分かち合ってわかりあえなくってそれが面白くて」


私は真剣に、黙々とその紙に目を通す。涙で潤んでいる目で、でもそれが気づかれてしまわないよう、雫で濡らしてしまわないよう、堪えて。

書いてあることはとっても面白くて、思いもしなかった展開に、なるほど、とも思えて。


「楽しいと、思わない?」


ぴょんとはねて姿勢を直し、精一杯の笑みを見せてくれる。


そして気づいた。私はこの紙を見ることに、他人(ひと)の考えに浸ることに。

楽しいと、感じている。

本を読むことくらい、本について人と語り合うことが、素晴らしいと感じている。

ぽたっ、ぽたっと、二枚しかめくっていない紙束に、あつい雫が垂れ落ちる。

限界だった。全身が温かかった。赤い目尻をおさえ、歯を食いしばっても、涙が止まらない。

そのまま、めくり続ける。宝物が涙で濡れてしまうことにも構わず、一枚、また一枚と目を通していく。

その時の私はきっとおかしかった。泣いているのに笑って、「可笑(おか)し」とつぶやいたりして。

すごくすごく幸せな時間だった。

初めて感じたぬくもり。これの正体にはすぐ気づいた。完全に負けた。

大人とは違い、同じ目線で、純粋なこころを持つ彼女に、白旗をあげさせられた。

読む手を止め、乱暴に涙を拭い去り、ぷはぁと息を吐いて、涙声のままできるだけ明るく。


「友達なんて、いらないと思ってた。友達なんて、無価値だと思った。一緒に傷つくことも、痛みを分かち合うことも、うんざりだった。誰からも見られなくなって、一人に浸り始めてからも、私は変わろうとしなかった」


でも。


「”一緒に楽しむこと”は、素晴らしいことだって、わかったわ。」


本と出会って幸せを知って。居場所を見つけた気になって、居座ってしまっていた。

彼女と出会って『幸せ(ともだち)』を知って。居場所を見つけた気持ちにさせられ、笑わされた。


ありがとうは言えないけれど、これは言える。

初めて人と笑いあえた、きっかけとして。友情を知った思い出として。

嬉しさと感謝でごちゃまぜになった感情を、素直に一言で表すとしたら、きっとこうなのだ。


「本って、すっごぉ〜〜〜〜〜〜く、面白いよわね!!」


泣いて笑ってぐちゃぐちゃな私を見て、()()は、一瞬ぴたっと固まったあと。こっちまでくすぐったくなるような、太陽のような笑みを浮かべ、すこぶる可愛く、とびっきりの満足顔で。疲れ切ってヘトヘトな体をも動かし、


「うんっ!」


と、私の体を精一杯優しく抱きしめたのだ。








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