第十七話
友達なんていらないと、心の底から思っていた。
小さい頃から一人で本を読んでいることが多かった。
周りにあるのはひたすらに笑っている同級生の姿。空っぽで。自己愛に溢れていて。
人一倍感性が敏感に育ってしまった私は、そんな彼らを馬鹿みたいだと思い続けていた。
そんな私を見やると、誰もが口を揃え、異口同音に「友達は大切だ」と説く。
いつもいつも一人でいる私を心配して、先生やら両親やらが、私に言い聞かせ続けた言葉があった。
うんざりするほど、聞かされてきた言葉。
___友達は、喜びも悲しみも、分かち合ってくれるの。
捨て犬を観るような目で、気の毒そうな顔で、憐れむような口調で、そう吹き込まれていた。
それになんの意味があるのか。そこにどんな価値を見い出せば良いのか。友達が悲しくなったらこっちっまで悲しくなる。友達の痛みは心に伝わってくる。そんなのは押し付けがましく、鬱陶しい意外の何ものでもない。
もちろん私はそう思っていたし、納得して「友達を作ろう」と思ったことなど言うまでもなく、それでも私は演じ続けた。
___友達は作りたい、です。
猫をかぶって、爪を隠して、素直で順従な一人の女の子であろうとした。
人を見下すのをやめるために人を見なくなって。傷つけられるのが怖いから人に近づかなくなって。
なぜか、努力したことはすべて仇になって返ってきた。私にとって良い収穫などなにもない。
でも、結局何も変わっていなかったのだ。
私の周りに人など根から存在せず、私を気遣ったり、痛みを分け合おうとする人もいなかった。
それを知った時、改めて思った。
”友達”は無価値。
むしろ嬉しくもあった。一人で本を嗜む時間は至福の時間であり、唯一の楽しみだった。誰にも邪魔されることなく、一人の空間を大勢の中で確立出来るというのは、私は、とんだ幸せものだとさえ思えた。
ある時、ふと気づくと、私に”友達”という概念を押し付ける輩も、消えていた。
孤立を深め、交流から遠ざかり、人付き合いに一線を引いた代償が、これだった。
周りには馬鹿ばかり。自分とは明らかに釣り合わない。人と同じ目線に立って、中身のある笑顔で、決して自己満足じゃない『友情』というものが存在するのなら___
いやいやと頭を振り、崇高過ぎる夢を掲げてしまった自分に落胆する。
___それでも。
高校生活に淡い期待を抱き、今は現実から目を背けた。
櫻井高校に入学し、クラスがガラリと変わり、知っている顔を見ることはなくなった。
この学校なら。この実力で、この水準で入学してきた人間なら、今までとは違う刺激を享受できると、多少なりとも期待していたのは確かだった。
今まで見てきた空っぽの笑顔も、いざとなったら誰よりも自分が大好きな自己防衛本能も、もう見ることなく生活できると言う思いも、少なからず抱いていた。
が。そんな期待は即座に壊滅へと向かう。
結局人は変われるものじゃないし、感情は代われて良いものじゃない。
”勉強ができる人”と、”頭のいい人”はちがう。勉強ができても馬鹿は馬鹿で、馬鹿でも勉強くらいできる。
ああ。勉強の偏差値じゃなくて、『心の偏差値』なんて指標があれば、私、こんなに苦労しなかったのかもしれないな。
たかが偏差値と呼ばれる値が七十五を優に越していたとしても、結局テストで測れるのは勉強のみで。つまらない結果に支配され、感化され、自分はレベルが高いと思いこむ”馬鹿”が出没する。ものに優越をつけるのは容易なことだけれど、同時に優越を求める馬鹿を生み出すことも簡単なのである。
そう、まるでこの学校のように。
失望しかけた。この世界に___ではなく、期待してしまっていた自分に。
そんなとき。ふと読んでいた本を閉じると、すぐそこに顔があった。
「あ、やっと気づいてくれた!えと、鈴ちゃん、だよね?」
私が気づくやいなや、ぱぁっと花が咲いたように咲い、そう切り出す。
あまりの唐突な出来事に懊悩としていると、
「えっと、はじめまして!これから仲良くなっていこうね。今この瞬間から私達は友達だよ!よろしくね」
にっししー、とはにかみながら、私に口をはさむタイミングを与えずに一方的に”宣告”する。
「あっ、それと。私の名前は、___」
そう告げて。彼女の雰囲気に相応の頭の赤いリボンをひらめかせ、くるりと回転して歩いていってしまった。
しばらく呆然と彼女の背中を見ていたが、やがてだんだんと現実に引き戻されると、心の中が一気にかき乱された。
___くだらない。子供じみた行為だ。馬鹿みたい。
そんな感情と混じり合い渦を巻くもう一つの思いが、胸を駆け巡った。
でもそれに気づくのは、まだ先のお話。
入学式が終わると、生徒がぞろぞろと帰途につく。私はもうちょっと待ってから、学校を出ることにした。
教室に赴き、名前順並べられた机の中から、廊下側一番うしろの自席につく。部屋は明かりがついておらず、また誰も校舎に残っていないので、しん、と静まり返っていた。
読みかけの書籍の栞に手をかけ、途中でとまっていた物語を再び進める。
本を開くときの高揚感じみたものは、他のどこでも得られないものなので、一瞬だけれども貴重な時間であるのだ。いつもと同じように、徐々に現実からひき離されていって___
どれくらい時間が経っただろうか。ぱたんと本を閉じ、そろそろ帰ろうと伸びをすると......
「鈴ちゃん、やっほ!」
「あわわっ!」
予期せぬ来訪に背中を思いっきり仰け反らせてしまった結果、盛大に椅子ごと倒れてしまった。
「うわ、ごめん!ほんとにごめん!大丈夫っ!?すみません!痛そう......」
恥ずかしい格好のままポカンとしてしまっていたことに気づき、『あんたのせいよ』という睨みをきかせつつ、スカートのホコリをパンパンと落としながら立ち上がる。ほのかに頬が熱くなっている、のは___
恥ずかしさだけじゃ、無い気がする。
「ええと、鈴ちゃん。鈴ちゃんっていつもこうやって本を読んでいるの?」
「そうよ。悪い?」
見ればわかるでしょ、的な意味を込めてぶっきらぼうに答える。
どうせこの子は友達も多いし、ぱぁっと明るい笑顔はすべての人に差別なく振りまいているのだろうし。
インドア派かアウトドア派、どちらだと思いますか?という問題があれば、迷いなく”アウトドア派”に何千万も賭けれるくらいのポジティブオーラをびんびんと放っている。
はっきり言って、一番苦手なタイプの相手だった。属性が違う。闇属性と光属性みたいな相対的な差がある。
きっとこういう子は、こんな私を見ると「友達は大事!」みたいに説いてくるのだ。あの忌々しく鬱陶しい日常が戻ってきてしまうことが恐ろしかった。せっかく振り切ったのに、自ら歩み寄ってしまった気分だ。
だから。ここで彼女が口にすることを、全力で否定して、拒んで、シャットダウンしてしまおうと誓う。
誓う。誓った。のだが___
「本って、面白いよね!」
という、私情も思いやりも気遣いも憐れみも何も含まない無垢なその言葉に、すかーんと気持ち良いスイングで振り切られたような衝撃を受け。
私の誓いは儚くも___可笑しくも瓦解してしまったのだった。