第十二話
とぼとぼと、三人で暗い道を歩いている。
なぜか僕が真ん中に歩いており、その両隣に佐々木姉妹が並行しているのだが......
「おい、お前ら、なんか怖いよ......?」
「ふん!おにーちゃんはいいんですぅ。ライトノベル主人公めっ。ねえちゃんがおにーちゃんをすうぃなぼ......べっ......」
「僕、最強の勇者とか、伝説の魔道士とか、そんなふうに見える!?」
「ジャンル偏り過ぎじゃない......?」
慌てて野乃の口元を抑える菜々。
菜々こそ冷静にツッコんでくれるものの、空気はおもりを担いでいるように重い。
なんか気まずいなー、まだあと十分はかかるぞ。
片手にはさっき買ったラノベがずっしりと重みを伝えている。ううう、色々な重みで肩がもげそうだ。
結局、その帰り道は不思議な空気が漂ったままだった。
が。
「たっだいまぁ〜〜!!」「ただいま〜!」
弾けるような声でお帰りのご挨拶をする二人を見ると、やっぱ笑顔が似合うなと思った。
どこまでも無垢な女の子たちなのである。彼女らといると、なぜか笑顔になれるのだ。
『太陽のような明るさ』を、彼女らは備えていた。
「ただいま」
...............
しかし、返事がなかった。いつも馬鹿なんじゃないかと思うくらい陽気に「おっかえりー♪」なんて聞こえてくるくせに、今日はそれがなかった。
おい、大丈夫かよ......
菜々と野乃は気にせず上がっていってしまったようなので、仕方なく僕もそれに続く。二人の分の靴も(仕方ないので)揃えてあげて、自室へと___
階段を上がろうとした時、その一段目に見慣れないものを見た。
「立て札?」
随分原始的なことをする。江戸時代とかそこらの時代の偉い人々は、こうやって命令を伝えていたらしい。
いや実際はホワイトボードに棒がくくりつけられ、佇んでいただけなのだけれど。
そこにはかわいらしい文字で、『リビングに来い』とだけ記されていた。
「もしや、その場所には僕のヒロインが人質になってて......あるわけないな。それにしても、なんだ、どうしたっていうんだ?」
行ってみないとわからないのだけれど、ああ書かれると恐怖心を煽られてしまう。
お化け屋敷で、『そこ曲がったところに、出ます』と書かれた札があれば、きっとそこに渋滞ができてしまう。予測できない恐怖は一瞬で過ぎるが、予測できる恐怖は最大の恐怖が去るまで、消え去ることはない。一種のパラドックスだ。
が、それには大抵の場合、好奇心が伴う。そして、人間は『怖いもの見たさ』と呼ばれる感情によってそこに引き込まれる。もちろん、僕も例外ではない。
恐る恐る、リビングまで歩く。
ドアを目の前にした時、ふと思った。
「僕、これより怖いものさっき見たわ」
すとん、と緊張がほぐれた。が、先程の重い空気を思うと、やはり楽にはなれない。
彼女らは、僕を怒ってるみたいに見えたから。
ゆっくりと、ドアを開ける___
ッパァーッン!!
「は?」
腑抜けた声が溢れた。
そして、この後起こった出来事に、僕は涙をこらえ得なかった。
「せーのっ」
「「「佐々木家へようこそ!!!!」」」
「おいおい......ずるい、だろうが......」
「っはーーい!和の婿入りを祝して!」
「「ち、違う!」」
僕と菜々の声が重なる。
「あれぇ?ねえちゃん。別に、『誰と』とは言ってないっぽかったけど?もしかして___」
「そっれ以上、言わなくってい〜〜〜!!」
明らかに茹で上がってぷるぷると震え始めてしまった彼女を一瞬見たお母さんは今度は攻撃目標を変えたらしく、
「お相手は野乃さんかもですねえ」
「は、はっ!?違うわ!おにーちゃんだよ!?嫁になんて行けないっ!!」
「母さん、まだ野乃は子供ですし......」
「ののと、子供!?おにーちゃ、そんな、恥ずかし___」
「言ってないよ!?妹がたとえどれだけ可愛かったとしても、漢佐々木和、そんな妹をえっちな目で見たりしない!」
「っふ〜ん!そうなんだ、おにーちゃんはそうなんだ」
野乃の機嫌が傾いてしまった。どうやら不正解だったらしい。
信じてもらえないのはお兄ちゃん不甲斐ない......
すると、母さんが『パンッ』と手を打ち、
「はいはい、そこまで」
「「「始めたの誰だよ!!」」」
そんな僕たち三兄妹のハーモニーは無視して、
「じゃあ、コップ持って!」
しぶしぶ、という形でそれぞれグラスを手に取る。せっかくの乾杯が台無しじゃないか!
ともあれ、ここは楽しく行きたい。
「行くわよ」と、お母さんが口元をニヤつかせ、いやらしく僕たちをじろじろみる。
酒場にこうゆう人いそう。持ってるのは四十三度のウイスキーだろう。
母さんが今持ってるのは、ノンアルだけどね。
「「うん!」」「おっけーです」
僕たちは楽しそうに返す。みんなが、母さんの号令をまだかまだかと、待つ。
「改めて。和、佐々木家へようこそ。ここまで色々と大変だったと思う。私達の想像を絶するような体験を、きっとしたんだと思う」
いたわるような目で、心から言っていると誰もがわかる口調で、言う。
「でもね、和。私はとっても嬉しく思ってる。どうしてか、私が産んだ子のように思えるんだよ。君を息子だと思うことに、なんの苦労もいらなかった」
僕を産んだのは母さんだよ。間違いなく、あなたは僕のお母さんだ。
気づくと僕の頬は、なぜだか涙で濡れていた。
耳を疑うような次の言葉を、聞き逃してしまうんじゃないかって思うくらい、感情が渦巻いていた。
「実は、私は、一人子を亡くしているの」
「......え?」
何?よく聞こえなかった。
「元気な男の子だったのよ。君みたいな子だった。菜々が生まれてすぐだったかな、あの子が逝ったのは。最後の瞬間の、ほんとに寸前まで、菜々の面倒を見てくれてたの。妹ができたってね、喜んでたんだよ。」
そんなの、聞いてない。知らない。知りたくない。
「あの時。ベビーカーを押していた琉生が手を離してしまった時、私、どうしていいかわからなかった。もう無理だって思ったの。菜々は助からない、ってね。でも琉生ったら、無我夢中で走っていった。坂道を猛スピードで下っていくベビーカーを、追いかけていった。」
追いつくわけないのにね。あの子まだ幼稚園に通う子だったのよ。と母さんは付け足す。
「幸い、ベビーカーは電柱にぶつかって止まったわ。でも、琉生は止まれなかった。それで、頭を強く打って、ね。私は___いいや、そんな話はいい」
「君を初めてみた時思ったんだ、すごく似ている子だなって。会いに来てくれたのかな、って思ったのよ」
そんなわけないということは、彼女が一番わかっているようだった。
そして___
儚く、風前の灯火のような表情で言い切った。
「和。あなたに会えてよかったわ」
再び、この台詞を。一回目に言った時と、きっと全く同じ気持ちを込めて。
悲しみを押し殺し、寂しさを噛み砕き、苦しさを握りしめて、語ってくれた『思い出』であったことが、肩を震わせる母さんを見ればわかる。無理やり作る笑顔も、逆に悲壮に映った。
苦しさに圧し殺されそうな僕は、不意に、菜々たちを見やる。
が、意外にも、菜々と野乃はうっすら笑顔を浮かべていた。純粋な、笑顔を。でもどこか、寂寥に満ちた、笑顔を。
「おにーちゃん、大変だね」
野乃は、なんの思慮も挟まず言葉を放った。
なんて答えたものか考えたけれど、僕は素直に返事をすることにした。
「ああ、そうだな」
僕たちは、くすす、と笑いを漏らした。
「はい、じゃあ!」
まだ感傷冷めやらない母さんが、真っ赤な目をして、声を震わせ、無理やり楽しそうに振る舞った。
僕たちはこの日、この瞬間、本物の家族になった気がした。血を繋ぐことはできないけれど、言葉を、気持ちを”繋げる”ことは出来る。
『琉生兄ちゃん』が繋げてくれた僕たちの絆。強く、強く、胸に刻み込もう。
___きっと、絶対、忘れないよ
届くはずのない言葉を、必死に紡ぐ。
___僕は、かっこいい『兄ちゃん』みたいに勇敢になれないけど
でも、一つだけ、たった一つだけ、『兄ちゃん』にできなかったことが、できる。それは___
___『兄ちゃん』みたいに、母さんを悲しませたりはしない
これだけは、僕の譲れない想いになった。
「僕に、やらせてください」
きっと僕がやるべきだった仕事を、請け負う。
そして。
とびっきりの笑顔で、出来る限りの元気な声で、こう叫ぶ。
「乾杯っ!!!!!」
「「「かんぱぁい!!!」」」
カツンッ、と、心地よい音が部屋中に響いた。