同窓会のふたり
20時スタートとして集まった男女10人。
ビルの一階にある和モダンな雰囲気の居酒屋は、10人が入れば満杯になるため、本日は貸切のボードが立てられている。
今日は、中学の同窓会だった。
私がそれを正式に知らされたのは2週間前で、同窓会当日は仕事だったけれど、翌日は休みという好条件に恵まれた。
お酒はあまり得意ではないので、少し飲むくらいなら問題はないが次の日は使い物にならなくなる。そんな私を考慮した友達が、私のスケジュールを把握した上で開催した。
「久しぶりー」
キャイキャイと挨拶が飛び交う中、いつもより少しだけお洒落をした服装と、少しだけ濃い目に造られた顔。耳元で揺れる、見る角度で色の変わる羽をつけた蝶のイヤリングは1番のお気に入りだ。
色とりどりの服装と声、記憶の中より大人びた人たちの中に、彼を見つけた。
少し抑えめに抜かれたダークブラウンの髪は、ワックスで軽く後ろに流されている。ブルーブラックのシャツにグレーの9部丈のスラックスは、彼の細い身体に沿っていて、スタイルの良さを際立たせていた。目元に飾られたシルバーの細身のメガネ。
相変わらず、ただそこに立っているだけで私の心臓を貫く彼は、私の初恋その人だった。
「久しぶり、邑弥くん」
「久しぶり」
一重の冷ややかな視線が私に注がれる。目を合わせることができるほど成長できていない私は、視線を逸らしながら挨拶をかわす。
周りの友達の意識が、私たち2人に集中していることには気が付いていたけれど、私は彼から離れることにした。
私は今だに彼が好きなのだ。
中学2年生の時同じクラスになった。初めは、色が白く私より細身だった彼を異性として意識することはなかった。特異点になったのは、体育祭の準備をしていたある日の放課後。
体育祭実行員として働いていた私は、抱えると前が見えなくなるほど大きなダンボールを運んでいた。本当は、もう1人の男子生徒が運ぶはずだったのだけれど、ほかの仕事を頼まれてしまい、私に白羽の矢が立ったのだ。
階段を登ったりおりたりする場所ではないので、二つ返事で請負、準備室へと急いだ。
運べないほどではないが、思ったより重かった荷物に、早く終わらせたいと思った私は、少しだけ歩くペースを上げたのだけれど、それがいけなかった。
溝につま先が引っかかってしまい、つまづいたのだ。
勿論、荷物のせいで重心は前にあるので、そのまま前へ倒れこむ。
受け身を取ることもできず、少しでも衝撃を回避しようとぎゅっと目を瞑る。
すると、「危ない」という声と共に、腹部へ強い圧迫感を感じ、後ろへ引き戻された。
勢いが良すぎたため、そのまま後ろに倒れこんだ私の背中は暖かい何かにぶつかった。
誰かに助けてもらったのだと気づいたときには、私の腹部に回っていた腕は取り払われ、背中のクッションも消えてしまった。その代わり、抱えたままだった荷物を取り上げられ、視界が開ける。
そこにいたのは、黒縁眼鏡をかけた、私より白くて細い彼だった。
「大丈夫?清水さん」
「う、うん。ありがとう」
重さを少しも感じさせない彼に、持ってもらったのは本当に私が先ほどまで抱えていた荷物なのかと疑ってしまうほどだった。
「これ、俺が運ぶよ。準備室でいいの?」
「あ、いや大丈夫だよ。私の仕事だし」
「じゃあ、俺の代わりに前見ててもらってもいい?前は見えないから」
そう言ってスタスタと歩き出した彼を背中を慌てて追いかけながら、ドキドキと煩い音を鎮めようと必死になった。
高校、大学と別の学校を選んだのは、私が彼に嫌われていると思っていたからだ。
友達の1人に、彼を好きなことがバレてしまい、あっという間に同じ学年全員に広まってしまった。
それからというもの、周りが面白がって私と彼を2人きりにしようとしたり、からかってくるせいで、私は彼に嫌われてしまった。
あれから、15年。
私は今も、あの頃の気持ちを抱いたまま、大人になってしまった。
各々好きな席に座り、飲みたいドリンクをオーダーする。
ほとんどの人がお酒を頼むなか、彼はウーロン茶を選んだ。今日は、車で来ているらしい。
そんな彼の会話を、盗み聞きしつつ、レモンサワーを頼む。
その瞬間、彼から視線が送られた気がした。
「清水は今何の仕事してるの?」
「IT関係のOLだよ」
「ITかー。そういえば、パソコンとか得意だったもんなー。キーボード見ずに入力してるの見て、驚いたの覚えてる」
「清水さん、その時計バンド変えれるやつだよね。可愛い」
彼女が指差した私の左手首には、ローズとブラウンのバンドが2重で巻かれている。
「うん、お気に入りなんだ」
バンドをゆっくり撫でながら笑えば、目の前に座っていた同級生が驚いた顔をした。
「清水さんて、そんな風に笑うんだ」
「え?」
彼の言葉の意図が掴めず、首を傾げ聞き返せば、離れた場所から声が上がった。
「あれ?邑弥の時計も同じやつじゃん」
「本当だ!しかも、結菜のバンドと似てない?」
その声につられ、彼の方を見ればあの頃より太くなった手首に、グレーとブルーのバンドが巻かれていた。
「あ、でも結菜のは2重に巻かれてるし違うか」
能天気に笑う彼女の声に、詰めていた息をゆっくりバレないように吐き出す。
手元にある、レモンサワーを半分くらい飲んだ私は、お手洗いに行くため席をたった。
お手洗いは、暖簾をくぐった奥に設置してあり、暖簾のある場所から3mくらい離れて設置してある。個室の室内は、程よく暗く、落ち着くBGMがゆっくりと流れている。距離と音楽のおかげで、外の音は入ってこない。
持って来たスマホをひらけば、複数の通知の中に、LINEが1通届いていた。
「緊張しすぎ、逆にバレるよ」
バカにしたようなその文章に、少しイラっとしながらも用を済ませ、手を洗うついでに少しメイクを整え、ドアを開ける。
すると、暖簾とトイレのほの暗い廊下に、邑弥が壁に背を預け立っていた。
正直、自分が入った後のトイレに入っては欲しくなかったけど、そんなワガママを言えるはずもなく、早々に戻ろうと声もかけずに立ち去ろうとした。
「ねえ」
しかしそんな私の気持ちに気づかない彼は、ゆっくり私を呼び引き止める。
「は、はい」
少し上擦ってしまった返事に、唇を噛む。
彼と私の間は、手を伸ばせば届く距離。
正直近すぎる。
スッと動いた彼から、甘い香りがした。
「もう、帰ろう」
暖簾に背を向ける形で彼が、私の正面に立つ。私の顔は彼に隠れて、誰からも見えないし、BGMの音が大きくて、2人の会話も小声なら聞こえないはずだ。
そっと彼を見上げれば、見慣れたメガネと見慣れないおでこにどきりとした。
甘い香りが強く香る。
私のお気に入りの柔軟剤の香り。
「ダメだよ。帰りたいなら、1人で帰って」
「やだ」
「私と一緒に帰るっていう選択肢があるとは思わなかった」
「どうやって帰るつもり?」
「タクシー拾うよ」
「非効率。送るから、一緒に帰ろう」
駄駄を捏ねる子どもの様な顔で、私を見下ろす彼は、いつもの彼だ。
そっと左手を取られ、バンドを撫でられる。
「清水さん酔ってるから、帰ろう」
「まだ、そんなに飲んでないから大丈夫」
「酔ってるよ。じゃなかったら、あんな顔しない」
「あんな顔?」
「お気に入りって言いながら、甘く笑ってた」
その言葉に、一気に酔いが回った気がした。
このバンドは、今年のホワイトデーに彼からもらったもの。
私は、バレンタインに彼がつけているバンドをプレゼントしている。
種類は違えど、同じメーカーのものだ。
「それは、自分だとわかんない」
「分かんないのは酔ってるからだよ」
「酔ってる、かもしれないけど、まだ帰らないよ。怪しまれるし、もう戻るね」
そう早口に言い、彼の手を外して戻る。
ドキドキと煩い心臓は、お酒のせいだけじゃない。
彼はいつも、私が彼を好きなことを逆手にとって、自分の意のままに操ろうとしてくる。
私たちは、付き合っているわけではない。
そして、きっと友達でもない。
私と彼が再会してのは大学時代。
今から、8年前・・・
当時、私には別の大学に彼氏がいた。彼は、私の友達の友達で、紹介という形で知り合った。
彼が邑弥と同じ大学だと知ったのは、出会って間も無くだったけれど、大きな学校だったので、知り合いな訳はないと彼と付き合う事にした。
正直、邑弥を忘れたかったというのも一つの理由だった。高校のときは、別の学校でも通学の電車は同じで、彼を見かけることが多かった。
流石に、大学に入ってからはそういう事はほとんど減ったけれど、お互い実家から通える大学を選んでしまっていたので、時々見かける事はあった。
そんなある日、大学のゼミの飲み会が行われ、鍋が美味しく酒も豊富な店を選んだのだけれど、忘年会シーズンということもあり、周りの席も他大学の学生で溢れていた。
そんな中、自分たちの席に向かう私に、声がかかった。
「結菜!」
「え、あれ?偶然じ・・・」
酔っていた彼氏が、大声で私の名前を呼び、大きく手を降っていた。
それに、驚きつつも、笑いながら話しかけた私は、彼の横に見知った顔があるのに気が付いた。
おそらく彼も驚いたのだろう、私を見つめながら、大きく目を見開き固まっている。
周りの音が止む。
彼、邑弥を見つけた瞬間、彼氏に対して抱いていた感情が全て無になってしまったのを感じた。
邑弥と彼氏が友達だと知ったその次の日、私は彼氏に別れを告げた。
おそらく、何かを感じたのだろう彼は、何も言わず別れを受け入れた。
どこから手に入れたのか、未だに分からないし、教えてもらえないけれど、その数週間後、邑弥から私の携帯にメッセージが入った。
「会いませんか?」
私はそのメッセージに、1日かけて悩んだ返事を返した。
「わかりました」
それから、私と邑弥の友達とも恋人とも取れない関係が始まった。
手を繋ぎ、ハグもして、キスも一度だけした。
けれど、身体の関係は一度もない。
そういう雰囲気になったこともない。
一度だけしたキスは、酔っていた彼の好奇心で、キスをしたあの日以降その話をした事はなかった。
何事もなかったかの様に、席に戻り会話に混ざる。
レモンサワーを飲み干す頃には、いつの間にか彼が戻っていて、楽しそうに話していた。
店員さんを呼んだ私は、ストロベリーリキュールのソーダ割を頼んでいた。
彼の視線は感じていたけれど、あえて無視した。
けれど、一応お水も一緒に頼む。今日は、悪酔をしそうだった。
粗方、料理を食べ、お酒も進んだ頃、私は2杯目のお酒を飲み干すところだった。
氷が溶けて薄くなっていたそれを飲み干し、次のドリンクを注文しようとメニューを手にとる。
「次は、ソフトドリンクにしたほうがいいよ」
左隣から聞こえてきた声に、ビクッと反応し隣をみる。いつの間にか、邑弥くんが隣に座っていた。彼が元いた席には、先ほどまで私と話していた彼女が座ろうとしていたので、今入れ替わったのだろう。
「水飲んでるから、大丈夫だよ」
「でも、顔赤いし、声がふわふわしてる」
「でも、ちゃんと話せてるよ」
私は酔っていた。そうで無ければ、周りに同級生がいるこの空間で、彼とこんな風に会話をするはずはなかった。
そしてそれは、彼にはバレていたし、聞き分けのない私に苛立っていた。
だから、実力行使をすることにしたらしい。
酔っ払いの私には効果抜群だった。
「結菜、いい加減にしろよ」
「煩いな。別に邑弥くんに迷惑かけてないでしょ。ほっといて!」
そして私は、それにまんまと乗せられてしまった。
私たちの会話に聞き耳を立てていた、友人たちから会話が止んだ。
その事実に気がついた私は、不思議に思い周りを見渡せば、案の定全員がこちらを向いていた。
「なに?」
その疑問に答えてくれたのは、私にずっと話しかけてくれていた男の子だ。
「2人って、付き合ってんの?」
「・・・は?」
彼の言葉を理解するのに数秒を要した私は、本気では?と声をあげてしまった。いまの会話のどこでそんな風に思うのだろうか。
懸命に会話内容を思い出し、私は自分が失敗したことに気がついた。
彼は、私をなんて呼んだ?
「結菜」
ゆっくり静かに、言い聞かせる様に彼が言葉を紡ぐ。
「結菜」
サッと冷めた酔いに、ドッドッドと煩い心臓の音。
そっと伺う様に隣に顔を向ければ、にっこり笑った彼がそこにいた。
そして、その顔を見て、直ぐさま理解した。
彼はずっと怒っていたのだ。
私が、彼との関係をバラしたくないと、彼に他人のふりをしようと持ちかけたあの日から。
友達でも恋人でもないこの名前のない関係を、もて余し始めた私に、彼が言った言葉を拒否したあの日から。
怒っていたのだ。
私はそれに気づくことなく、いつも通りに接していた。
帰ろうと言われた時に帰っておけばよかったと後悔しても、もう遅い。
私の大好きな顔で、私の大好きな声で、彼は私に最後通牒を突きつけた。
「結婚するんだよ、俺たち。ね、結菜」
「まぁ、説明は確かにできないけど、君は一生俺を好きで、俺は君にそばにいてほしい。だったら、結婚すれば良いのでは?」
「な、に言ってるの。そんなの無理に決まってるじゃん!!真面目に考えてよ」
「真面目に考えてるんだけど」
「現実味の無い話しないで。有り得ないでしょ!」
「・・・有り得ない、ねぇ」
静かにそう言った彼の目の色を私は覚えていない。
そして私は、彼の計画通り外堀を埋められた。
私が書類上でも彼の物になった後に、あの同窓会を持ちかけたのが邑弥だと知った私は、彼がどこまで計算していたのかを考え、やめた。
知らないほうが幸せなこともある。