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七日連続怪談夜話  作者: 三文士
5/7

寿限無の話

みなが寄り集まって怪談話をしている。そして次に話が回ってきたのが一人の男。


へえ。



あたくしでございますか。



いやあまあそれほど大した話も出来ないんですがね。



商売がら、夏でもなきゃこんな話はしないんですよ。



まもっとも、夏でもこの話だきゃ、あんまりしないんですが。



今夜は特別です。



あたくしの商売はご存知の通り噺家でございます。



落とし噺をお客様の前でして笑っていただいて、お給金を頂戴しています。



必要なのは扇子と手拭いくらいのもんで、他に道具は要りません。



まこれらは別になくたってどうにでもなりますが、あたしらにとってのホントの商売道具は二つ。



「声」と「噺」



ま、声の方は鍛えたり天性のもんだったり色々なんですがね。



噺の方は特に大事なんでございますよ。



なんたって噺は師匠から教えていただく物ですからね。



その辺で勝手に覚えてやるワケにはいかないんですよ。



ちゃあんと、教えいただいた噺しか高座にかけられないきまりになってるんです。



だから持っている噺の数で、その噺家の技量が決まるてえもんです。



まあとにかくこの、噺を覚えるってのが大変な事でして。



短い噺だって身振り手振りや間のとり方、細かい動作一音一句まで全部決まっているもんなんです。



これが長い噺になるってえともう、ゾッとしない。



あたくしなんてのはご覧の通りおつむりのデキがよろしくないもんですから、噺を覚えるのにはそりゃあ苦労いたしました。



細かい所を間違えて、よく師匠にドヤされたもんです。



そんな、あたくしがまだ入門して間もない頃のお話です。



数え十七の時分に今の師匠、五代目のところへ入門いたしましてしばらくは雑用と師匠の身の周りの世話ばかりをしておりました。



そうして半年以上が経過してようやく噺をひとつ教えていただける事になりました。



まあ始めの頃ですからごく短い簡単な噺になります。



あたくしが最初に教わったのは「目黒のさんま」という噺で。



これは子供さん向けの本にも載ってるくらい有名な噺でございます。



しかしそんな簡単な噺でも一音一句となると案外に難しいもんで。



あたくしも随分と師匠のキセルに頭を小突かれました。



あたくしがあんまりにも覚えが悪いもんですから、業を煮やした師匠は



「そんならおめえ、テープにでも録って覚えろ。」



てんで、特別に許可をいただきました。



その頃からしたら考えられない事なんですがね。



まあそんなこんなで師匠の噺をテープに録って、日夜稽古をしておりました。



ある日ふと、一体自分はどんな風に聞こえてんだろうと気になりまして。



そんなら一丁あたくしもテープに録音してみようと思いつきました。



今考えてみれば甚だ馬鹿な思いつきなんですがまだ子供だったんですね。



よしゃ良いのに慣れない手つきで録音してみたんですが、違うテープか反対の面にすりゃいいものを間違えて師匠の噺の上から録ってしまいました。



聴いてがっかり気付いて二度、なおがっかりというワケで。



途方に暮れて困っていたんですな。



仕方ないから自分の不味いデキの噺を聴いていたんですがふと、妙な事に気が付いたんです。



部屋で喋ってんのはあたくし一人の筈なのに、どうにも違う声がする。



よくよく聴いてみれば、ホンの掠れそうな声で



「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末雲来末…」



と「寿限無」をやっている声なんです。



聞き間違いやなんかじゃない。



間違いなく寿限無をやっている。



その薄気味悪いったらないですよ。



そこは寄席にある座布団の倉庫みたいな部屋だったんですがね。



四畳半ないくらいの小さい処でして。



窓もない裸電球一つの場所ですからもう、怖いのなんの。



途端に背筋がぞおっとして。



あたくしは「うあああああ」っと情けない声を出して部屋を飛び出したんです。



まあ当然周りの方は驚かれて騒ぎになります。



そしてそれを聞き付けた師匠が真っ赤になってあたくしの首根っこを掴み



「馬鹿野郎!なにやってんだ!」



と、お叱りを受けました。



数え十七たってまだ子供ですから、怖い目にあった上に師匠から怒鳴られたらどうしようもありません。



もうその場にへたり込んでとうとう泣き出してしまいました。



ちょうどその場に居合わせた師匠の弟弟子にあたる方が大変お優しい方でして。



泣いてるあたくしに



「どうしたんだい?急に悲鳴あげたりして、わけを言ってごらんよ。」



と宥めてくだすった。



ようよう泣き止んだあたくしはもつれながらも何とか皆に説明をいたしました。



すると。



「寿限無」の一言聞いた途端、何人かの師匠の顔色が変わりました。



皆さん同じように、さぁーっと青ざめたんですなあ。



さっきまでタコ入道みてえだったウチの師匠も同じで



「おまえ、ちょっとそのテープを聞かせてみろ。」と仰いました。



あたくしは不味い落語を聞かれるからイヤだったんですが断れる雰囲気でもなかったんで仕方なくテープを流しました。



そうして例の声がする箇所になり案の定あの薄気味悪い寿限無が聞こえた瞬間、どよめきが起こったんですな。



師匠はテープを停めて取り出すと、突然ぐいいと引っ張り出して二度と聞けない様になさいました。



そうしてあたくしに一言



「馬鹿野郎。あんなトコで噺の練習なんざするんじゃねえ。」



そう言ってとぼとぼと楽屋に戻られました。



てっきり間違えて師匠の噺を消しちまったのを怒られるかと思ったんですが、なんだかスカを食らったようで。



どうやらあの薄気味悪い声を皆なんだか知ってるんじゃねえかと思いまして。



とりあえず他の師匠方に聞いてみたんですが皆さん「知らぬ」「存ぜぬ」の一点張りで。



そのくせヒソヒソとなんだか内緒話をしてるんでこっちもムキになっちまいましてね。



ウチの師匠にも何度か尋ねたんですがこれも暖簾に腕押しで。



しまいには



「しつこいぞ!そんなことしてる暇ぁあったら稽古しやがれ!」



とまた怒鳴られてしまいました。



こうなるといよいよ納得がいかない。



稽古にも身が入りません。



とうとうあたくしは意を決して、またあの部屋に行ってみたんです。



まあ部屋はいつもと変わりなくホコリっぽい処で。



それでも何か解りゃしないかと、神社で買った交通安全のお守りを必死に握りしめながら部屋を探索しておりました。



しかしあんな事があったばかりなのでやっぱり怖いものは怖い。



自然と、歌かなんか口ずさもうとしたんですが緊張のあまり出てこない。



苦心してようやく口から出てきたのがよりによって



「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末雲来末…」



なんですからもうイヤんなっちゃいましたよ。



すると、なんだか隅の方から声が聞こえた様な気がしてふっと見やると。



積まれた座布団の上に人影が見えるんですな。



ボヤっとですが、着物を着てる様だ。



もう怖いんですが情けない事に足が動かない。



口では寿限無を言ってるんで前みたいに悲鳴も上げられない。



不思議なのはどうしてだかこの寿限無が止められないんですな。



しかも同じところで一旦止まってまた始めに戻る。



「…ヤブラコウジブラコウジ、パイポパイポパイポノ……寿限無寿限無」



というワケで。



どうにも先に進まない。



そうして人影も段々にハッキリ見えてくるわけですな。



着物をきた若い男でずっと下を向いて寿限無を呟いてる。



そして、徐々に徐々に顔が上がってくる。



うわぁ、イヤだ、見たくねえっ、と思ってるんだけど身体が自由に動かない。



俗に言う金縛り状態でして。



そうしてとうとう、男の顔が完全に見えた。



今でも忘れられません。



男は紫色の顔して白目を向いてる。



舌がデロンと口から這い出しておりまして端々から血を垂らしてる。



コポコポと嫌ぁな音させながそれでも



「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末雲来末…」



って呟いてるんです。



そうして今まで座ってたのがやおら立ち上がってこっちに向かってくるんです。



ふらふらヨタヨタとしながら。



もうダメだっ、と思って目をつぶろうとしたその時でした。



部屋の襖がピシャ!っと開いて



「アニさん!いけねえ!ソイツぁ俺の弟子なんだ!連れていかねえでくれ!」



って師匠が大声で叫んだかと思うとなんかをざざあっと撒いたんですな。



後から聞いたんですが、この時撒いたのは塩だそうで。



その途端、例の人影はフッと消え身体の自由も戻ってきました。



あたくしはもう必死で



「うああああ」



と師匠に飛びついて泣きました。



でも、今度ばっかり師匠も怒るようなことはせず



「よしよし、怖かったなあ。ええ?どしたい。男がそんなに泣くんじゃねえ。」



と優しく頭を撫でてくださいました。



しばらくしてやっと落ち着きを取り戻しまして、そこからはやっぱり師匠のお説教をちょうだいします。



「おめえあれ程言ったのになんだって稽古もしねえであんなとこ行ってたんだ。」



「だって、師匠や皆さんがあたくしがどんなに聞いたって教えてくださらないから。」



と、あたくしは半べそをかきながら訴えました。



するとそこに居合わせ例の師匠の弟弟子さんが



「寿限無のことだね。兄さん。もういいんじゃないかい?この子だって随分怖い目にあったんだ。教えてあげなよ。」



そう促され、師匠も渋々重い口開いたんです。



「あたしもおまえくらいの歳の頃に、ちょうど大師匠ンとこに入門したんだ。そん時あたしのすぐ前に入ったばかりのアニさんがいてね。」



「アニさんはそりゃあいい人だったけどもいかんせん要領の悪い人でね。」



「とにかく噺は覚えらんねえわ、途中でよく噛むわでね。よく大師匠に『てめえなんざ向いてねえ、とっとと故郷へけえれ!』って怒鳴られてたよ。」



「それでもよっぽど落語が好きとみえてね。めげずによく稽古してたんだ。ま、下手くそだったけどね。」



「それである日、アニさんの姿が見えなくなった。」



「楽屋の連中はみんな逃げたんだろうって噂してた。でもあたしは違うと思ってた。」



「あんなに落語が好きな人が逃げるわけねえってね。」



「そいからしばらくして、寄席ン中でちょいと騒ぎが起きたんだ。」



「なんだか臭えってさ。」



「で、どうやら臭いの元を辿っていった先が例の座布団部屋だったんだよ。」



「しばらく使ってなかったからね。なんだろうって襖開けた奴ぁ腰抜かしたよ。」



「部屋ン中で、アニさんがうずくまって死んでたんだ。」



「舌ぁ噛んでさ。それが喉に詰まって窒息したんだと。」



「みんなは下手を悔やんで自殺したんだろうって。」



「でも違う。あたしには解る。アニさんは舌を噛みちぎっちまうほど稽古してたんだ。そんだけ噺が好きだったんだよ。」



そう言って師匠は目に涙を浮かべておいででした。



「で、そん時アニさんが大師匠から教わってた一番最初の噺が『寿限無』ってえわけだ。」



「だから死んでも、寿限無の稽古してんだろうな。」



しかし合点がいかないのはどうしてみんなが揃って口を噤んでいたかです。



いくら人が死んでるからとは言え、あんまり頑な過ぎるんでは?と師匠に尋ねたところ。



「それがなあ。大師匠が死ぬ間際に」



『噺家が舌ぁ噛んで死んだなんて洒落にもならねえ。恥ずかしいからこの事は二度と寄席では口にしねえでくれ。』



「って遺言を残して死んじまったのよ。」



「いくら何でも遺言を反故にするわけにはいかねえ。オマケに師匠の言うことだ。ま、万事そういうワケなんだ。」



とあっけらかんとして仰るんです。



噺家なんてのは、皆さんが思っているよりズイブン難儀な稼業なんです。



それ以来、ウチの一門では弟子に寿限無は教えなくなったそうで。



あたくしの話は以上でございます。



お粗末様でございました。



いえいえ、拍手も木戸銭も今夜はけっこうでございます。



先にも申しましたがあたくしもれっきとした噺家でございます。



落とし噺をお客様の前でして、笑っていただいて、お給金を頂戴しています。



御覧なさい今夜の話じゃ



誰一人、笑っておりません。








五夜目になります。少々長めです。お時間のある方どうぞ。

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