お題【まねく】
「この店なんかどうだ?」
たった今、客が二人出てきたばかりの趣のある定食屋をあごで指した。
中は盛況のようだし、和風な良い匂いが漂ってきたし、俺はもうかなり腹が減っている。
「いいな……いや、やっぱりやめよう」
同僚の声のトーンが途中で変わった。
あまりにも不自然だったから彼の顔を見ると、酷い表情をしている。
嫌悪と恐怖、相当苦しそうだ。
ちょっと普通じゃない表情だが、と視線の先を追う――じっと一点を凝視している。
入り口横のレトロなショーケース。
年季の入った丼ものや蕎麦、天ぷらなどの食品サンプルが並ぶだけ――あとは。
招き猫くらい?
「もしかして、極度の猫嫌いとか?」
「いや」
そこで同僚は黙ってしまった。
沈黙。
気まずい空気を読まずに俺の腹が鳴ると、同僚は歩き出してしまう。
「すまんな。他の店を探そう」
その時はそれ以上聞けなかったし、同僚は食欲なくしちゃうしで午後もずっと気まずいままだった。
お詫びにと後日、オゴリで飲みに誘われた。
正直、そんなには気にしていなかったのだが、タダメシなら断る理由はない。
同僚が案内するままについていくと、到着したのは完全個室居酒屋。
まさか重たい話かと身構えはしたものの、普通に美味しい料理の数々に自然と酒が進む。
なんか俺ばっかり食べて飲んでだったが、途中から酒と料理とを堪能するスイッチが入っちゃって、いい感じにほろ酔いになり始めた頃、突然そのスイッチが切られた。
「招き猫がダメなんだ」
すぐにはあの日の話だとは気づけなかった。
しかし同僚はそんな俺にお構いなく話を続ける。
「妻の実家の方ではね、招き猫は店には置いていなくてね」
「うん」
「そもそも招き猫じゃなく招鬼猫って呼ぶんだよ。招きのきが平仮名じゃなく鬼っていう字でね」
「招……鬼猫? 角でも生えてるのか?」
「いや。鬼ってのは、そっちの鬼じゃなく、死んでいる人のことを指すんだって。鬼籍って言うだろ。その鬼」
「へぇ」
「招鬼猫を専門で作る職人さんがいてな、わざわざ頼んで作るんだって」
「凝ってんな。額に白い三角模様があるとか?」
「そんなんだったらいいけどな……遺灰を、混ぜるんだとよ。死んだ人の」
「え? 遺灰? マジで?」
「ああ。死んだ人の初盆に、その人が迷わず家に戻ってこれますように、って玄関に飾るんだよ」
「なんだよ。怖い話かと思ったら、いい話じゃないか」
「まあ待てよ」
おいおい、待つのか。
「それは普通の招鬼猫の話でな」
「普通じゃないのがあるのか」
「逆さ招鬼って言うのがな」
「逆さ……」
人死にの話題に登場する「逆さ」という単語の、なんと不穏なことよ。
「まだ生きている人の一部を燃やした灰を混ぜて作った逆さ招鬼はな、お盆に招くらしいんだよ」
「一部って」
お盆に招くという表現も相当に引っかかる言葉ではあったが、生きている人の一部というパワーワードに立ち止まらざるを得なかった。
「髪の毛とか爪とか」
ああそのくらいかとホッとしかけた自分に首をすくめる。
いやいや。誰かの髪の毛とか爪とか焼いて灰を作るって時点で相当怖いよ。
「あー、そりゃ食欲失くすよな」
「まぁな」
同僚はグラスの酒を飲み干し、そこから急に酒のペースが上がった。
見ていると心配になるくらいのペース。
俺はそこから酒をちょっとセーブして、ほどほどの状態で店を出た。
足元のおぼつかない同僚に肩を貸してタクシーを待っていると、同僚が小さな声で何かを言った。
「ごめんな」
そう、聞こえた。
「いや、こっちこそだって」
料金がちょっとお高くついたのだが、本当に全額ゴチソウしてくれたから。
「そうじゃ、なくて」
相変わらず小さな声で、しゃべりかたもちょっとフラついている。
「ん?」
「お盆にさ、妻が、実家に帰るん、だよ」
「あー、前にも言ってたな」
「そんな、タイミングでさ、元カノからさ、連絡、来て」
「お、おいおいぃ」
「つい、魔が刺して、さ」
「マジか」
「ちゃんと掃除、したんだけどさ」
「連れ込んだのかよ」
「元カノ、次のお盆に、死んだんだ。自殺、だった。その踏切に、招鬼猫が置かれてたんだ」
言葉が出てこなかった。
凍りついていた時を動かしたのは、目の前に止まったタクシー。
同僚を押し込むように乗せ、家が逆方向な俺は最寄りの駅へと向かう。
今は一人になりたくなくて。
でも、人混みに紛れても、耳の奥で同僚の声がまだ響いている。
「怖いんだけどさ、もう、別れられないんだよ」
そういや同僚、お盆明けに髪型、やけにさっぱりしていたっけ。
<終>




