お題【マウスの飼育】
図書館の自習室でよく見かける美人。
彼女の周りはいつも席が少し空いていて、美人だから近寄りがたいのかなとか、最初のうちは安易に考えていた。
でもある日その理由に僕も気付いてしまった。
彼女は時折「しゃべる」んだ。
もちろん自習室は私語厳禁で、本当にペチャクチャやっていたら追い出されてしまうだろう。
ただ彼女のやり口は特殊で、声を出さず唇だけパクパクと動かすんだ。
これじゃあ誰も注意できない。
この痛いというか気持ち悪いっていうか電波系というか、美人なのにもったいないとは思いつつも僕も他の皆同様、彼女から少し離れた場所に陣取る日々だった。
そんなある日、というかまさに今日なんだけど、試験前のせいか自習室が満杯で……いや、彼女の隣が一つだけ空いている。
絶対に集中できない席。
それでもまあ他の席が空いたらダッシュで移ればいいかなって軽い気持ちでそこに座って……ふと目に入った。
電源入ってなさげなノートPCが。
そりゃ人のPCだから触って確かめたわけじゃない。
でも画面は真っ暗だし、電源ボタンの横のアレ、普通は電源入っている間、点灯しているものでしょ。それまで真っ暗なんだよね。
しかも彼女の持っているマウス……あれ、なんか違和感あるなって思った瞬間、そのマウスがまばたきしたんだ。
彼女の指と指の間あたりにスッと線が現れて、それが開いて目が現れて僕を見つめてそしてスッと線に戻って消えた。
え、なに今の。
僕は全身をぎゅっとつかまれたみたいにこわばって動けなくなる。
きっと新手のいたずら玩具の類だ……自分の中で必死にリアリティのある答えを探したけれど、あのまばたきは、どんな言い訳も同居できないような存在感があった。
そのタイミングで、彼女がくるっとこちらを向いて微笑んだ。
以前の僕なら美人の笑顔見れて超ラッキーとか思ったかもしれない。でも今の気分は本当に最悪。丸腰警官が武器を持ったテロリストを尾行していたらそいつが突然振り向いて武器をこちらへ向けた、そんな気分。
見つかっちゃった、という絶望感。
美人ゆえにまた恐怖の鋭さも相当な威力。
気付いたら僕は走り出していた。
なんとしてでもここを離れたかった。
顔、覚えられてしまったかな……どうしよう。
ビーッ、ビーッ、ビーッ!
次の瞬間、僕は挟まっていた。不審者対策で設置された図書館入り口のゲートに。
慌てて図書館カードを探す。このゲートの通行証。入るときに持っていたのに、どうして今、僕のどのポケットにも入っていないんだ……いろんな意味でもう嫌だ。
どうしてこんな目にあうんだよ。
そんな泣きたい気持ちMAXの時、現実はそのMAXを簡単に飛び越えてきた。
「落としてましたよ」
そうやって手渡された僕の図書館カード。うん。それを持っていたのがあの彼女だったんだ。
「あ、ありがとうございます」
僕は差し出されたカードを受け取ってゲートを通り抜ける。
彼女も着いて来る。
図書館を出て、駅の方へ向かっても着いて来る。
途中、ふらりと路地に入っても着いて来る。
あんなことがなければ美人が着いて来るなんて嬉しいことこの上なしなんだけど……今は、蛇に追いかけられている蛙の気分。
向こうは走っているようには見えないんだけど、こっちが走って、振り返った時に距離がそんなに離れていないのも怖い。
いや、待てよ。さっきのは僕の見間違い、勘違いってやつかもしれない。
実際、彼女は僕のカードを拾って届けてくれた。
いい人なんだよ、きっと……ちらっと横目で彼女を見る。
相変わらずのあの笑顔……そしていつものように口をパクパクさせている。このパクパク、なんなんだよ。やっぱ無理だ。相当怖い。
そうやって彼女に気を取られながら逃げていたからだろうか。僕らは行き止まりの路地へと迷い込んでしまっていた。
振り返ると、彼女は相変わらずの笑顔で口をパクパクさせながらそこに居る。
「何か気付いているでしょ」
正しくは彼女のその言葉がトリガーだった。彼女の声と口の動きとが合っていないことに僕が気付いたきっかけ。
「他の人からは見られない場所よね」
そして嫌な前フリ。
もはや美人という外見は関係ない。
この歓迎したくない流れ。そして僕はもう一つ気付いてしまう。彼女の手首あたりから生えているコードにぶらさがったマウスのようなもの。声はそこから聞こえている。
「君の観察能力を調査したい。飼育対象を君に移させてもらうよ?」
そう言いながらマウスに似たナニカはまばたきして、コードのようなものの先端を彼女の手首からヒュッと抜き、僕めがけて刺してこようとした。
とっさにリュックで受けて、その後はもう無我夢中。
死に物狂いで走って逃げて、少し遠回りして家へと帰った。
まず最初にしたことは、図書館カードに個人情報の記載がないかどうかの確認。それから家にあったマウスを全部捨てた。古いのも、コードがついていない光学式のも全部。
うちにあった分は全く関係ないだろうけれど、マウスというものをもう視界に入れたくなかった。
幸い、あれ以降、彼女の姿を目撃したことは一度もないんだけれど……マウスを使っている人のそばに近寄らないよう気を付けるというのは、地味にしんどい。
<終>




