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お題【町内会より】

 天井が狭い。

 積み上げられたダンボールが視界の大部分を遮っているせいだ。

 このダンボールと同じくらい山積みなことがあるけれど、今はちょっと横になりたい。

 ガスも水道も電気もなんの連絡もしていないのは、今朝、業者が来る直前まで荷造りしていたから。つまり寝ていない。しかも昨晩だけじゃない。ここ何日かずっと……ああ……俺はとうとう引っ越しを終えた。もう、寝ていいんだよな。


 ことん。


 まどろみの中に8割がた埋もれていた俺の耳が、すぐ近くで何かの音を拾った。でも、起き上がるのは面倒だったし、無視してそのまま寝ることにした。


 次に気がついた時にはもう昼過ぎだった。しかも翌日の。

 腹は減ってるがヤカンも箸も何も出していない。このダンボール峡谷のどこかに隠されているはずなんだけど……いいや。探すの面倒だし、とりあえずコンビニでなんか買ってこよう。

 靴を履いて、ドアノブに触れる。ふと、視界に入った郵便受け……ドアに直接ついているタイプのを、開けた。

 昨日聞いた音の正体らしき真新しい封筒を、そこに見つける。


『町内会より』


 そう印字された封筒。

 すごいなぁ、それが第一印象。

 だって引っ越しに関してご近所さんへのごあいさつみたいなこと、全くやっていないし。

 引っ越し業者見たらすぐに投函できるよう普段から準備しているのだろうか。だけどとりあえず食い物が先。封筒は郵便受けに戻してアパートを出た。


 確か駅の方向に少し行ったところにコンビニがあったっけ。

 お、最寄りのポスト発見。

 ふーん、こんなところに公園があったんだ。

 あれ、ここはお米屋さん? 店の前に置いてあるのは自動販売機じゃなく脱穀する機械なのか。

 この街には、前に住んでいた街にはなかったものがけっこうあったりするんだな。

 うわ、あそこに立っているのは井戸端会議ってやつか。

 若干緊張しながらも、立ち話しているおばさんたちに軽く会釈する。


 そしてようやくコンビニに到着。

 家からの所要時間はおよそ6分……カップ麺にお湯を入れて持ち帰るには、麺の伸びがけっこう気になる微妙な距離だ……前に住んでたとこはコンビニめちゃくちゃ近かったんだけどな。あ、いつものクセでお湯入れちゃった。


 コンビニを出て、小走りでちょっとだけ走ってすぐにあきらめる。

 汁物はヤバイ。

 熱湯が指にかかったら、カップ自体を落としてしまうかもしれない。

 どうしたものか。

 そうだ! こういう時こそ逆転の発想だ!

 部屋に戻る前だろうがどこだろうが、3分経ったら食べはじめちゃえばいいんだよ。

 賢いぜ、俺。

 自然にゆるむ表情筋を慌ててぎゅっと引き締める。

 井戸端会議の横を通過するからだ。

 独りニヤニヤしながら歩いてたらちょっとアレだもんな……その時、気付いたんだ。

 おばさんたちの腕に白い腕章がついていることを。

 『町内会』と書かれた腕章……あの封筒を思い出す。

 帰ったらちょっと見てみるかな。

 腹の虫が相槌のようなタイミングで鳴る。

 それにしても腹減った。

 そういえば公園があったな。あそこで食べてもいいじゃないか、と思った矢先、スマホのタイマーがぶるぶる震える。おいおい公園はもうちょっと先だよ。ちらっと周囲を見渡すと幸いなことに誰も居ない。背に腹は変えられぬ。麺は固めが好き派の俺は、空腹に負けることにした。


 まずコンビニ袋を左手の手首にかける。

 それからカップ麺を左手だけでしっかりと持つ。

 コンビニ袋から割り箸を取り出し、右手だけでなんとか袋を剥き、口にくわえて、割る。そして右手に装備したら……ぱっと食ってしまおう。ささっと……はふはふ、ふー。

 美味ぇ。

 傍らのガードレールが、立ち食いそば屋のカウンターみたいに思えてくる。

 うん、人も車も全然来ないし案外気にならない。

 というか、最近のカップ麺は美味いな。

 気がついたら汁も含めて完食していた。

 公園も、自分の部屋でさえも、そんな遠くないってのに、こんな路上で俺はいったいなにやってるんだ。

 食べ終わったら途端に恥ずかしくなってきた。

 行きの三倍のスピードで帰宅した俺を待ち受けていたのはダンボールの山脈。


「……片付けないとな」


 そうは言ってみるものの、すぐに片づけを始める気にもなれない。

 だって、どこに何が入っているか全くわからないんだぜ。

 自然と笑ってしまう。目印つけとくとか、なんとかならなかったのか自分……いや、ならなかたったよな。そんな脳内の一人ツッコミにまるで合わせたかのように音が響いた。


 ことん。


 なんだろこのタイミングで。というか、今の笑い声とか聞かれちゃってた?

 すぐにドアの覗き穴から外を覗いてみるが、人影はない。

 恥ずかしさよりも気持ち悪さの方が少し上回る。

 そんなドキドキを抑えながら郵便受けを開くと、封筒が増えていた。また『町内会より』の封筒。

 まさかさっきのおばさん連中があとをつけてきたとか?

 いやいや、そんな怖い想像はしたくない。もしかしたら郵便受けの差し入れ口にひっかかっていて、それに気付かなかった俺がドアを閉めた勢いで中に落ちただけなのかもだし。とにかく中を確認だけはしておこう。


 一通目を開ける。

 町内会からのお知らせ的なこと……ゴミ出しのルールとか、町内清掃当番とか、そういったことが書いてある……へぇ、この町内会は餅つき大会とかしちゃうんだ。

 少しだけホッとした気持ちで二通目を開く。そして、背中にぞわりと寒気が走る。そこには綺麗な字でこう書かれていた。


『路上での立ち食いはご遠慮ください』


 やっぱり投函は今のタイミングだったのか?

 もう一度だけ覗き穴から外を確認したが、そこには相変わらず誰も居なかった。気味が悪い。

 しかし、それはまだほんの序章に過ぎなかったのだ。

 それからというもの『町内会より』という封筒は頻繁に投函されるようになった。


『駅前スーパーは本日、一人用惣菜が特売です』


『小包、右隣の方が預かってますよ』


『今日は雨が降るから洗濯物は取り込んでいった方がいいですよ』


『あと5分早起きすれば遅刻しませんよ』


『寝る前にはちゃんと歯を磨きましょうね』


 さすがにこれは異常だ。

 監視されているのだろうか。

 投函の音が聞こえるたびダッシュでドアを開けて外を確認したが、一度たりとも人影を見たことがない。白い腕章の人に話を聞いてみようと思ったけれど、あれから一度も遭遇しないし。

 業者を呼んで隠しカメラとか盗聴器とかを探してもらった方がいいかもしれない?

 ため息を付いた直後、また投函の音。

 その音に驚いて持っていたタバコを落としてカーペットがちょっと焦げた。しかもその時の内容がハンパなかった。


『カーペットが焦げますよ』


 そこまで話したとき、ダチがぷっと吹き出した。


「おいおい、それは盛りすぎだろ。まあ、面白かったし泊めてやるけれどさ」


 俺は今、ダチの家に居る。

 カーペットのやつを読んだ直後、財布とスマホと何日か分の着替えだけ持ってあの部屋を飛び出したってわけ。

 それが根本的な解決にはならないことなんて百も承知。それに一週間も経たないうちに、ダチも「まだ居るのかよ」オーラを漂わせはじめてきたし。何度目かの「いつまでいるんだ?」に対し、俺はある提案を返した。


「町内会からの封筒がなかったら一万払うって本当だろうな?」


 さすが一万円。

 ダチは快く偵察役を引き受けてくれた。

 一万円は正直キツイ。だけどこのままあの部屋を放置するのはもっとキツイ。鍵を渡したダチから連絡があるまで、胃がじんわりと重かった。


 スマホが鳴った。俺は即座に電話に出る。


「どうだった?」


 そう聞く自分の声がちょっと震えているのがわかる。


「封筒、郵便受けにギッシリだぞ。中見ていいか?」


 封筒が増えている……予想はしていたが。自分の言ったことが嘘ではないことが証明されたというのに、ひとかけらも嬉しくない。俺はなんとか声を振りしぼって「いいよ」と答えた。


「もう一週間ですよ。お友達が嫌がってますよ……だって。うわ、これマジヤバイな。気持ち悪ぃ。つーかこれもう町内会関係なくねぇ?」


 通話の向こう側で興奮した声。そしてまた別のを開封したのだろうか、紙を破く音。


「あ」


 その言ったあと、ダチは急に黙りやがった。


「おいなんだよ。気になるじゃないか」


 さっきまで高かったはずのダチのテンションがだだ下がりなのが、電話を通してでもわかる。


「いや……なんていうか……あのさ」


「なんだよ? 言ってくれよ」


 ああ、もどかしい。一緒に行くって選択肢もあったんだよな、と思った瞬間。


「お祓いとかってどこ行けばいいんだっけ」


 ダチの声も震えていた。一緒に行かなくて良かったとすぐに思い直……え、ちょっと待て。やっぱ気になる。今、お祓いって言ったよな?


「どうしたんだよ。なんて書いてあるんだよ。何? おい、声、小さいってば!」


 何かぶつぶつと言ってはいるようだが、よく聞き取れない。


「おい! なんて書いてあるんだよ!」


 ダチは答えない。

 もしかしたら何か答えているのかもしれないが、何を言っているのかわからない。

 急に、大きなブレーキ音が聞こえたと同時に、通話が途切れた。


 いったい何が起きたんだ?

 ダチのことが心配なのに、体が動かない。


 ことん。


 そのタイミングで、背後で、そんな音が聞こえた。




<終>

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