お題【ゆめのくに】
気が付いたら長い階段を前に立ち尽くしていた。
幅広い大理石の階段。
後ろを振り返ると荘厳な門がある。自分はあちら側から入ってきたのだろうか。
階段が進む先には古代の街並み。ただし贅の限りを尽くして完璧な美に管理されている街並み。
使われている素材が豪華なだけじゃなく、全てにおいて美しかった。造詣、バランス、調和、それでいて派手でも下品でもなく。噴水の水、優美な樹々に花、無機質と有機質の美しいものだけを集めて造られた古代都市。ギリシャ神話の神々が住むとしたらここをおいて他にないと思えるほどの。階段は、その街の中を通る道の一つへと伸びているのだ。
そこへ自分が足を踏み入れてよいものなのだろうか。自分という存在がこの完璧な街の美を乱してしまうのではないだろうか。そんな屈辱的な、しかしそう思えてならぬほどの圧倒的な美を前にした満足感とが入り混じった複雑な気持ちをもてあましているうち、僕は目を覚ました。
覚まして初めて、それが夢だったのだと気付く。
するとあの街は僕が作り出したものなのだろうか。自分の知識と記憶の中にあんなものを構築できるだなんて……僕だけの王国の、国王にでもなった気分。ちょっと興奮していたからかもしれない。その時、背中にぞっとした寒気のようなものが走ったことを、そんなに深く考えはしなかった。
気が付いたら長い階段を前に立ち尽くしていた。
幅広い大理石の階段……どこかで見たような。ああ、昨日見た夢だ。するとこれも夢の中なのか?
あれ、でもここは洞窟の中だ。それも妙に蒸し暑い、というか階段に添って等間隔に並んでいる柱がどうにも大きな炎のようにしか見えない。
炎の柱? 映画ですか、とか考えた時、また目を覚ました。
目を覚ます直前、なにげなく自分の腕を見たのだが、玉のように汗をふいていた。そう、目覚めた僕のこの腕の汗と同じように。……どういうことだ? 夢じゃないのか?
その妙なリアリティが気になったから、ちょっと調べてみることにした。
夢占いでまず階段を探す。
階段を降りる夢はあまりよくないらしいが、僕はまだ降りてはいない。降りなければよいものなのか? そこまでは書いてない。
そして何よりも僕はあの夢の中で、夢の中だということを認識できていた。妙なリアリティがあったよな。
思いついたキーワードをいろいろ試しながら調べ続けるうちに「明晰夢」という単語にたどり着いた。ただ、その情報はあまり面白いものではなかった。
明晰夢を見た人が死の恐怖に怯えるみたいな物語もつい読んじゃったりして……いやいや、夢の終わりに変なアナウンスなんてなかったんだ。あんまり気にしないことにしよう。
僕は大学へと向かい、友達にその夢の話をしてみた。
だけど、そんなに盛り上がることもなく「ふーん」で流されてしまう。確かに、僕の表現力ではあの夢の壮大な町や、炎の柱の洞窟、そして僕自身が感じたリアリティなんかはうまく説明できなかったし。
だから僕もその夢のことは忘れてしまっていたんだ……今の今まで。
そう、僕は今、三回目である階段の夢を見ているのだ。
今度の階段は昨日までの階段よりもずっとずっと長かった。そして昨日までとは何かが違った。
なんというか空気が違う。
言葉にできない圧迫感というか……不安になって自分の体を動かしてみる。うん、動く。だけど何かほんのわずかだけワンテンポ遅いような違和感があるんだ。あえて例えるならば、昨日までは僕自身の夢だった。だけど今日のは、なんか他の人の夢に紛れ込んでしまったかのような。
しかも今日の階段にまとわりついている雰囲気は、湿っている感じがする。それから遠くに波の音……海?
「いらっしゃいよ」
声が聞こえたのと同時、背中にぞくりと悪寒が走る。声と悪寒、どちらが先かわからないが、まさかこれが例のホラー話のアナウンスってやつなのか?
「あなたは、こちら側へ来るべき存在なのよ」
気が付くと一人の女性が立っていた。年齢は僕と変わらないくらい。
初めて見る顔……さほど綺麗っていうわけじゃない。目と目の間が離れていて、唇も厚ぼったくて、顔の真ん中が心持ちとがっているような……いわゆるサカナ顔。でも、不思議なことに、その顔がとても魅力的に感じてしまうんだ。
彼女は、ひきずるようなとび跳ねるような独特な歩き方でこちらに近づいてくる。それと共に、大きな音が聞こえる。これは、合唱? 意味はわからなかったけれど、なんだか心地よい感じがする。もうずっと昔からそれを僕も唱えていたかのような。
「あなたの血に聞いて。どちらを選ぶのか……」
彼女はまだ何か言っていた。だけど、その声を上書きするかのように大きな音が耳もとで響いて、かき消されてしまう。
ああ、詠唱までもが僕の耳の中から離れてゆく。僕はそれを寂しいと感じていた。
目を覚ますと枕元で携帯が鳴り続けていた。とりあえず出てみる。学校で昼に会っていた友達からだった。
「あのさ、お前、昼間ちょっと調子おかしかったからさ。なんか悩みとかあるなら聞くぜ」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ」
心配してくれるなんて本当にありがたいと思った。でも今はもっと大事なことがあったから、早々に電話を切ったのだ。
もう一度あの夢の続きを見たくって。
えーと……明晰夢を見るには夢日記を書くとかだっけ……ということで僕は今これを書いている。
ここまで書き上げた。その間もずっと、あの呪文のようなものを思い出そうとしていた。確か最初は「ふんぐるい」……それから「むぐるうなふ」。いいぞ、思い出してきた。ふんぐるいむぐるうなふくとぅるう
あいつと連絡がつかなくなってから三日目の夕方、俺は心配になってあいつのアパートまで見に来たんだ。
鍵は閉まっていたけれど、大家さんに事情を話したら開けてくれた。
部屋に荒らされた形跡はなく、あいつがいつも履いていた靴だって玄関に置きっぱなしだった。だけどあいつは居なかった。どこにも居なかったんだ。
机の上に何枚かのルーズリーフが置いてあって、そこへは夢の話が書きなぐってあっただけで……しかもちょいちょい意味不明。大家さんが警察を呼んで、どんどん事件っぽくなっていくのをぼんやり眺めている俺の耳に、なぜか波の音のようなものが響いた。
<終>




