第四章《下》
コンコンというドアをノックする音。そのあとに聞こえてきたのはやはり、いつも耳にする妹の声だった。
「お兄ちゃん? 準備できた?」
「ああ、入っていいぞ」
俺がそう言うと有佳はドアを開けるなり俺を見て、
「お兄ちゃん、似合わないね」
「それを言うか!」
俺は父――刻正に渡された平安装束もどき(正式には影奉行装束と言うらしい)を身に纏っていた。昨日地下に潜り込んだときに遭遇した少年が身につけていたものと同じものだ。
そして有佳といえばこちらも同じものを着ているが、俺のものと違うのは上の羽織物の上にもう一枚、腰のあたりから布が巻きつけてあり、袴のようになっていることだ。
「あははっ! お兄ちゃん少し元気出た?」
どうやら有佳は俺のことを気にかけてくれていたらしい。
「ああ、気にさせて悪かったよ」
「ほーんと、手のかかるお兄ちゃんなんだから!」
「はいはい、そうですねー」
俺はお節介焼きな有佳を半ばスルーし、階段を降りていく。後ろでブツブツ文句が囁かれている気がするが触れないでおこう。
そのまま例の客間から地下の入り口に入ると以前とは違って壁を伝うように照明が点けられていた。明かりが灯され見えるようになると改めて螺旋に下る階段がどれだけ深くまで続いているか理解できる。まさに圧巻の一言に尽きるだろう。
そうして階段を降りて地下空間に着くと目の前には見覚えのある少年と見た目小学生くらいの髪の長い少女が立っていた。
「お前は……!」
思わず俺が一言言いかけた瞬間、
「この度の無礼、誠に申し訳ありませんでした!」
少年たちは顔面を床に打ち付ける勢いで土下座した。
「「へ……?」」
俺も有佳も少年たちの予想外すぎる行動に唖然とする。
「え、いや……まぁ、顔を上げてください」
有佳はしゃがみ込んで少年たちを宥める。しかし少年は納得できないと頭を振った。
「我々は若や有佳さんに酷い振る舞いをしてしまった! どうか罰を!」
「にいさまの責任なら雅弥も同罪なのです」
「いえ! 雅弥に全く過失はありません! 全ての責任は私にあります! どうかっ!」
俺と有佳は目を合わせる。有佳はこくんと頷く。
俺は、ふぅ……と溜まっていた空気を吐き出した。
「なぁ、お前ら……名前は?」
「新城紡祁と申します」
「同じく新城雅弥なのです」
「そうか。じゃあさ、紡祁、雅弥――」
「「はい……っ‼」」
「俺たち、影奉行とか今まで全然知らなくて素人もいいところだから色々教えてくれないか」
まさかの言葉だったのか少年――紡祁は言葉が出ないようだった。
しかし、俺からしてみれば心からの言葉である。
「いったいそれはどういう……?」
「素直に言葉通りの意味だよ。俺も……もちろん有佳も、そんな真剣に謝られちゃ怒る気もなれないしな。確かに俺たちは父さんたちの子だけど、影奉行に関してはお前らのほうがずっと先輩だろ? だから色々教えてくれると嬉しいなって。仲間として」
有佳も笑顔で頷く。
「紡祁さん、雅弥ちゃん、それでいいかな?」
「若……、有佳さん……!」
紡祁は膝を立てて俺を見上げる。
「勿論です! お役に立てるよう精進します!」
***
「さあ、こちらです」
紡祁たちに案内されるまま歩いてきたが奉行所は一体どれくらいの広さがあるのだろうか。まっすぐ進んできただけなのに、かなり歩いたような疲労感を感じる。
「ここは?」
「みんなで集まって話し合いをする大広間なのです! ちなみに雅弥はここで対近距離戦闘用ポケット煙幕音弾を投げて怒られたのです!」
雅弥は無垢な笑みを浮かべて、えっへんと誇らしげに胸を張った。
「それ何も自慢になってないだろ……」
「こいつ、こういうやつなんで……」
「ゆかちゃんも今度投げませんかー?」
「いいねぇ! 一緒にお兄ちゃんたちに投げちゃおっか!」
有佳と雅弥は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「「え……?」」
その瞬間、背筋に悪寒が走った。俺と紡祁は一目散に有佳たちから距離を取る。
「はぁ、はぁ……」
「ふぅ……、似たような妹をお持ちですね……」
「そ、そう……、みたいだな……」
このとき俺は同じく妹を持つ兄として、紡祁にシンパシーを感じたのだった。
そのあと有佳たちと休戦協定を結んだ上で大広間に入った俺は、紡祁の指示で前方の右側に座った。同じくその横に有佳が座る。
「それにしても広いなぁ」
「本当だねぇ」
全面畳の大広間。目測だがその広さは六〇畳を超えると思われる。
「そうですね。ここはウチの奉行所の中でも一番広い部屋ですから。それに夜来派は割と大所帯なんですよ?」
雅弥は腕を組みながらぶんぶんと頷いた。紡祁が続ける。
「影奉行・夜来派は夜来刻正頭首を筆頭に、五つの一族がその名を守っているんです」
「五つの一族?」
紡祁は頷く。
「はい。若や有佳さんのような正当血統である《夜来》、夜来と親戚関係にある《月最》、夜来の古くからの側近家系である《由水》、由水に近い血統で夜来と親交がある《湊》、そして我々《新城》の五つのことですね」
紡祁曰く、影奉行・夜来派は各地区を収める財閥の数だけ存在する影奉行派閥の一つだが、その派閥は一つの一族だけで構成されているわけではないのだそうだ。
もともとの源流は平安時代から続いているらしく、戦乱の時代に和解や分家化などを繰り返し、現在は五つの一族で夜来派を名乗っているのだという。
なるほど、それならこの広間にも、地下空間の規模の大きさにも納得がいく。
「さ、そろそろ集会も始まりますので私たちも定位置に戻りますね」
ゆっくり話し込んでしまっていたが、気づくと他の一族たちも続々と席についていた。
「あ、うん。また話を聞かせてくれ」
「はい! 若にはまだまだ知っておいてもらわないといけないことがありますから!」
そうして紡祁たちが戻ったタイミングで頭首である刻正が全体に正面を向ける形で腰を下ろした。母――佳澄も有佳の隣に座る。
「お母さん、今までどこにいたの?」
「これでも私だって仕事をしてるのよ?」
有佳は、ふふっと笑うと刻正にアイコンタクトを送る。俺も頷いた。
刻正は軽く咳払いをして口を開いた。
「皆に集まってもらったのは言うまでもないが、せがれの刻刃、そして有佳を紹介しておきたくてな」
途端に大広間は歓喜の声に湧く。
「これでとうとうウチは安泰だな!」
「これからもっと気合い入れてかなきゃな!」
「若って何歳?」
「ねぇ、若と頭って結構似てない?」
「いやー有佳ちゃん可愛いなぁ!」
「頭の娘さんだとは思えないな」
「あれは佳澄さんに似だな」
「将来はあんな子と結婚したいなぁ」
でもなんだか関係のないことまで話されている気がする。
有佳を見ると案外満更でもないようで顔を赤くして俯いていた。しかしこれでは集会どころではなさそうだが。
「ええい! 黙れ!」
騒々しい空間が刻正の一声で一掃される。さずがの貫録である。
だが、すぐに父親に頭首の威厳を感じた俺が馬鹿だったと思い知ることになった。
「有佳はお前らなどには渡さん‼」
つまり怒鳴ったのは騒がしかったからではない。父親として娘を渡したくなかったからである。完全に親バカ丸出しだった。
広間に集まった全員が「え、そこ突っ込むの?」と唖然とするしかない。
周りの空気に気が付いたのか、刻正は誤魔化すように咳込んだ。
「……とりあえずだ。刻刃、皆に紹介も済んだようだし、お前に任務を与える」
「任務?」
刻正は重々しく頷くとファイリングされた資料らしきものを滑べらせてくる。
「そこに書かれた人間の護衛任務だ」
「護衛任務……――――⁉」
俺はごくりと生唾を飲んだ。
それはある意味予想できたことだが、今回に限って言えば、あまり気の進まない内容だった。
【任務依頼】
対象者氏名/小波結季
性別/女
内容/護衛
期限/無期限