第三章
「ん……痛ったぁ……」
俺は頭を抱えながら起き上がった。先ほど蹴られた後頭部がズキズキと痛む。どうやら後頭部を強打して気絶させられていたらしい。あの人間味の全くない身のこなしといい、急所を解っているような迷いのない動きといい、あの少年は一体何者なのだろうか。
ふとガサッという音とともに手に何かが触れた。
「――――っ⁉」
「お……、お兄ちゃん……?」
「な、何だ……ゆ、有佳か? 無事か?」
「うん。お兄ちゃんこそ身体、大丈夫なの?」
「ああ、別段これといって問題は……ちょおまっ⁉」
振り向いた先に大きなシルエットがあって俺は大きくのけ反った。暗闇に目が慣れていないのも手伝って気づかなかったが、有佳はずっと俺の近くにいたらしい。吐息が鼻にかかるほど俺たちの距離は近かった。
「あ……、あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわあわわわ⁉」
「ゆ、有佳、落ち着け……な?」
慌てふためく有佳の肩を押さえて言い聞かせる。有佳は置かれている状況に気がついたか、すぐに大人しくなった。呼吸を落ち着かせた有佳は呟く。
「……ごめんなさい、お兄ちゃん」
「別にいいさ。それよりも――――」
一定の間隔で床に突き刺さっている鉄の棒。真夏だというのにひんやりと冷たいコンクリートむき出しの床。まして照明の類は一切ない。察するにイメージ通りここは牢屋というやつだろう。その多くは罪人を閉じ込めておく場所だが、この場合は自分たちに都合の悪い者を閉じ込めておく場所だろうか。
「どうしたものかな……」
正直、自分家の地下にこんなものができていて、訳の解らない男に殴られて監禁されるなんて思いもよらなかった。向こうからすれば俺たちが不法進入してきたと考えたのだろうと思うが、普通に考えれば不法進入はあの男のほうだ。まして牢屋に閉じ込めるなんて一般人のやることではない。
「お、おおお、お兄ちゃん! だ、誰か来るよ‼」
「‼」
有佳の呼びかけに振り向いた先には丹色の光が一つ、コツコツという足音ともに近づいてきていた。よく見ると丹色の光は火の灯された提灯である。提灯は俺たちの目の前にくると立ち止まった。それと同時に隔てていた鉄の格子がゆっくり上がる。
「な…………っ!」
その提灯の持ち主の顔を見えたとき、俺はどこかで覚悟していた現実を突きつけられた。
「お、お父さん…………⁉」
「刻刃、有佳……やはりお前らだったか」
有佳は驚きのあまり、ぽかーんと開いた口を閉じることができないでいる。
俺はこの地下空間こそが、俺たちをあの客間に一切近づけさせなかった理由であることを悟った。
***
俺の父親――夜来刻正は正直かなりの強面である。ずっしりした筋肉質な体格にワックスでガチガチに固めた髪型、口喧嘩にせよまともに戦って勝てそうもない威圧感。俺は未だかつてこの父親ほど見た目が恐い人に会ったことはない。まさに存在凶器である――――とは口が裂けても言えない。
あのあと俺たちは牢屋から出され、父親に先導されるがまま、とある部屋に案内された。入ってまず目につくのは真っ赤なカーペット。入り口から手前にある縁談用なのか迎え合わせになったテーブルとソファ。そして奥の書類が積み上がった机に革製のデスクチェア。そうこれに近いもの、イメージするなら――――
「――――学校の校長室みたいだね! お父さん!」
どうやら有佳も同じことを考えていたらしい。
「そうか? はは! 確かに。ここは俺の部屋だ。まあ、適当なところに座ってくれ」
刻正はテーブルを挟んで俺たちと向かい合わせになるようにソファに腰をかけた。俺たちも続いて腰を下ろす。途端に俺は我慢できなくなって口を開いた。
「父さん!」「お父さん!」
どうやら有佳も同じだったようで声が重なる。刻正は、やれやれと額に手をやってから俺たちを制した。
「待て待て。お前たちが何を訊きたいのかは解る。しかしそういっぺんにこられては答えられるものも答えられなくなるじゃないか。順を追って話させてもらうぞ、いいな?」
刻正の真剣な表情に俺と有佳は頷くしかない。
「その前に一つ訊ねるが、お前たちは何故ここに入ってこられた?」
俺と有佳は顔を見合わせる。
「それは……」
「ねぇ……?」
「ん? どういうことだ?」
全く見当のついていなさそうな父親を前に俺たちは苦笑いを浮かべるしかない。
「父さん。ものすごい爆音が上まで聞こえてたんだよ」
「それでお兄ちゃんと音のする客間に入ったら、ね?」
途端に刻正は頭を抱え、何やらぶつぶつ呟いていたが、ため息まじりに、解った……と呟いた。
「まずお前らに隠し事をしていたこと、それを謝る。すまなかった、この通りだ!」
「「‼」」
俺たちは一瞬言葉が出なかった。この父親が俺たち家族はおろか、誰に対しても頭を下げたところは見たことがなかったからだ。
「お父さん、顔を上げて」
「あ、ああ……」
少々俺は唖然としながらも刻正に続きを訊ねる。
「父さん、それで何を隠してたんだよ」
刻正は重々しく頷きながら、
「……この期に及んで図々しいお願いなんだが……今から話す内容、ここで見たもの全ては他言無用にしてほしい。そして俺はできればお前たちを巻き込みたくなかったことを覚えておいてくれ」
俺と有佳は頷く。それを確認すると刻正は続けた。
「俺はここで影奉行・夜来派の第二十代頭首をしている」
「カゲ……ブギョウ?」
カゲブギョウ。何だか古めかしい響きのある聞き覚えのない単語だ。
「ああ、影奉行は古くから日本各地区ごとに存在する財閥を擁護することを生業とする組織のことだ。当然、擁護する財閥の数だけ影奉行にも各派閥が存在し、中でも俺たちは関東地区を縄張りとしている」
「ちょっと待って! ハバツ? ヨウゴ? 縄張りって……え、ええええ⁉ 意味が解らないよ⁉」
有佳は一気に詰め込まれた新しい事実と新しい単語に頭が追いついていないらしい。いきなり訳の解らない御託を並べられて、はいそうですか、との飲み込むほうが無理な話だ。
しかし言わんとしていることは理解できた。
「つまり、父さんがその影奉行のボスみたいのだってことだよな?」
俺がそう呟くと刻正は無言で頷いた。
「しかし、言ったな。できればお前たちを巻き込みたくなかったと。影奉行は真っ当で綺麗な仕事ではない。任務は法律ギリギリのこともやって退けなければならないから常に危険が付き纏う。今までも何人か殉職している」
「だから父さんは隠していたのか」
「そうだ。影奉行は世襲制だからな。しかしこれも言ったはずだ、他言無用だと。言わば影奉行の存在そのものが極秘なのだ。詰まるところ、これに関する全てのことをお前に知られなければ世襲の因果は断ち切ることができる、そう考えていた」
そういうことだったのか。父さんや母さんは影奉行のことを隠して世襲から外れることで俺たちを危険から遠ざけようとしていた。だから客間の秘密を隠していたのだ。
それなら今までの父さんの言動に合点がいく。東京都の都市計画に当てはまらなかったのも、家の周りに監視カメラが多いのも全ては財閥の力が働いているからだろう。
――――って、え? セシュウセイ……?
「世襲制って……こ、子供が親の家業を継ぐことだよな?」
「ああ、夜来派では《頭首は夜来直系の血統であり、影奉行の存否を認めた者》とある。このどちらも満たさなければ頭首になれないのだが、逆に言ってしまえば、満たさなければならなくていいということだ。だからこそ俺はお前に知られたくなかったのだ」
つまり俺は大変なことを犯してしまったことになる。父さんの十六年あまりの努力を無にしただけでなく、知らなければ足を踏み入れることのなかった裏世界に片足を踏み込んでしまったらしい。なんだかどっと疲れが沸いてきた。
「はあ……父さん、ごめんな。勝手なことして」
「いや、俺のほうこそこんなことを背負わせることになってしまって、すまない」
不意にずっと黙っていた有佳がぽつりと呟いた。
「お父さんはちゃんと私たちのためにずっと嘘をついてくれてたんだ……」
「しかし、それも今日で無駄になったというもんだがな」
そう言うと刻正は複雑そうに笑う。親としての自分と影奉行頭首としての自分。どちらも自分であるだけに今どんな顔をして良いのか解らないのだろう。
そんな父親を見ると俺は胸がチクリと痛かった。
「まあ、明日にでも夜来派の連中に紹介せんとならんし、夜は家にいるようにしてくれ」
「ああ、解った」
俺はそう答えると同時にふと、気になることができた。
「なぁ、父さん。俺たち夜来派は関東地区を縄張り……つまり関東にある財閥を擁護しているんだろ?」
「その通りだ」
「つまりそれは――――」
「ん? 小波コンツェルンだが?」
***
都心のど真ん中に位置する超高層ビルの最上階。
時折入り込む少し冷たい風が不安感を掻き立てる。時計の針も零時を回っているが、外では忙しなく車が行き来していた。少女は独り、開いていたガラス戸から外に出ると、だだっ広いバルコニーの手すりに肘をかけた。
「はぁ……なんでわたし、こんなところにいるんだろうなぁ……」
そう呟きながら少女は空を見続ける。
少女の目には薄ら涙が浮かんでいた。