第一章
暑い、とにかく暑い。
七月十四日日曜日。時刻は十三時を回っている。朝から二〇度に近くまで気温上がっていたせいか現在の気温は三十九度。地面からゆらゆらと陽炎が立ち昇り、真夏日寄りと履いたサンダル越しでも熱気が感じられるほどだ。普通なら家の扇風機の前で唸っているところである。
俺は道角を曲がり商店街の中に入っていく。小籠包で有名な中華店や、新鮮な魚を卸している鮮魚店、ほかにも様々な店が立ち並ぶが、それをスルーして俺は八百屋の前で立ち止まった。建物は古く、あちこちに錆が目立つが、いつも人当たりの良い大将が店前でどんと構えている。
俺は週に二度はここに訪れる。それも大体決まった時間の同じ曜日に。妹に言われるがままに。
つまり何が言いたいのかと言えば、俺――夜来刻刃は現在、おつかいを頼まれてここにいるということなのだ。
「大将、お疲れっす!」
「おー刻刃じゃねーか! また今日も有佳ちゃんに扱き使われてんのか! がははは!」
大柄な大将は盛大に唾を飛ばしながら笑い出す。俺は飛んでくる唾に若干引きながら苦笑いを浮かべるしかない。
「いや、今日は来客があるらしくて俺がパシリに使われたんだよ……」
「そうかそうか……! ぐははは!!」
大将は一頻り笑った後、よしっ、と手のひらで拳を叩いた。
「刻刃! 特別に半額にしといてやるから好きなの持ってけ!」
「本当に!? いいの?」
「ああ、いいさ。持ちつ持たれつ、だろ? お前んのとこは偉くご贔屓にさせてもらってるからな」
「そっか。恩に着るよ、大将!」
「ああ! ……で、何がほしいんだ?」
俺は妹――有佳から渡されたメモを取り出し大将に見せると大将はぎょっとしたが、宣言どおりちゃんと提示価格の半分の値段で売ってくれた。大将は最後に「しばらく来なくていいぞ……」と肩を落としていたが、大丈夫だろうか。
手に大袋四つを抱えた俺は夏の暑さでふらふらになりながら帰宅した。
夜来家は東京都世田谷区の閑静な住宅街にある。自分で言うのもなんだが我が家は古風な建物だ。今や都市計画によって東京ではあまり見なくなった日本家屋。といっても平屋ではなく有佳が生まれて間もなく二階を増築しているので純粋な日本家屋とは言えないが、他は手を加えていないので、ひさしの長く突き出た瓦屋根に伝統的な日本庭園はそのままで残っている。
普通の家庭ならあり得ない光景だろうが、事実ここまで十七年間も生活してしまえば、これが普通になって当然だ。
だが、俺も疑問に思わなかったことがないわけではない。今でも思うことは幾つもある。
例えば、なぜ東京都の都市計画に呑まれず、この近代住宅が立ち並ぶ世田谷区に我が家だけが伝統的な日本家屋として存在しているのか。
なぜ我が家の近辺には無数の監視カメラが存在するのか。
これは前に父親に聞いたことがある。しかし返ってきた答えは『代々受け継いできた家を大事にしたいからだ』という如何にもそうなありきたりなものだった。監視カメラについては『たまたまじゃないか?』とお茶を濁されてしまった。結局その後も聞かれず仕舞いで終わっている。
「ほんと、ウチって解らないことだらけだよなぁ……」
俺は玄関から靴を揃えて上がると居間を通って台所にある冷蔵庫に買ってきた野菜を詰め、二階の自室に直行する。
数時間ぶりに帰ってきた部屋は妹が掃除をしてくれたのかやたらに綺麗だった。
ふと机の上には小さなメモ紙が置いてあることに気づく。
「ん?」
【部屋はちゃんと片付けておくこと! いい? 私はちょっと出かけてきます。あと洗濯物かけたままになってるから取り込んでおいてね】
「はいはい。……解りましたよー……っと」
俺はメモ紙を無造作に机の上に戻すと、そのままベッドにダイブした。
これから起こる事件を予期せぬままに――――。