序章
助走、それから加速、そして勢いを殺さず一気に踏み込む。
音もなく駆ける黒い影は片足で大きく蹴り出すと、民家と民家の間を悠々と飛び越える。
常人にとってはあり得ない身のこなしだが黒い影――――彼にとってはさして特別なことではなかった。
何せ物心ついたころには自分の背丈くらいの塀なら飛び越えることができたのだから。
「緊急召集とは、頭には困ったものだな」
彼は民家の上を次々と飛び移りながら、息の乱れは感じられない。
「おそらく若頭への世襲絡みのお話なのだろうが……ん?」
彼が神妙そうな表情を浮かべていると懐にしまっていた携帯端末が音を立てる。彼はそれを取り出し、画面に表示された名前に肩を落としながらも耳にあてがう。
「……何の用だ、雅弥。俺はいま急いでそっちに向かって……のわッ!!」
ドカーンッ! と耳をつんざくほどの爆発音。あまりの爆音にさしもの彼も仰け反ってしまう。
「お、おま、……またやってんなぁ?」
『あ、にいさま! 今の音、聞こえましたか? すごいでしょ~、へへっ!! これは対近距離戦闘用ポケット煙幕音弾といいましてサイズの小ささにこだわりつつ音の大きさと煙幕の濃さを強化してみたものなのです。思った以上の成果で大成功―――』
「―――大迷惑だっ! お前がそんなだから俺は毎回頭に平謝りしなくちゃならなくなってるっていうのに……あ――……、はあ……」
『ゔ……ごめんなさいです』
「解ったら少しは自重しろ。俺ももうそろそろ、奉行所に着く……俺も手伝ってやるから少しは片付け始めてろよ」
そう言って彼は通話を切ると再び深く大きなため息を吐いた。
***
その広さ六十畳を超えるだろうかと思われる大広間。
物音一つしない厳かな空間で埋め尽くさんばかりの人間が畳の上に正座で同じ方向を向いていた。誰もが皆、口を閉ざして息を潜めている。
その視線はすべて中央で胡坐をかいている強面の男に向けられていた。その男はただ座っているだけなのに他人にものを言わせない凄みを放っている。
しばらく沈黙の後、最前列に座っていた細身の男が意を決したようにおずおずと口を開いた。
「頭、そろそろ世代交代の時期かと思われますが……」
その男の発言を皮切りに様々な声が飛び交う。
「……頭もそろそろ世代交代をお考えになる時期だよな」
「……ええ、そうね」
「……頭も任務で前線にでて大暴れ……なんて歳でもなくなってきたし」
「……でも、頭のご子息……若はウチの仕事どころか存在さえも知らないんだろ」
「……え、じゃあ我らはどうなる?」
「ええい! 黙らんかっ!!」
頭と呼ばれた強面の男は立ち上がりざまに床に足を打ち付けた。
盛り上がっていた空気は一気に騒然とする。
「解っている……しかし、彼奴には真っ当に生きてほしいのだ。…………刻刃……」