八章 手紙とライオン
家に帰ってからは、自分の部屋のベッドの上でゴロゴロ。
北海道ほどではないけど、四月の気温ではまだまだリビングで過ごすには寒い。
こうしてぬくぬくと毛布と布団被っているのは、とても心地よくて眠りたくなる。
特にこの毛布というヤツはなんでこんなに柔らかいんだ。もふもふと頬ずりしてその感触を楽しむ。
今日は天日干しにしたからお日様の匂いもする。どこかでこの匂いはダニの死骸やフンによるものだとか聞いたけど、こんなに良い匂いにしてくれるなら少しくらいダニに吸血させてやってもいい。
うーん、なんか飽きてきたな。学校帰りに寝るのもいいけど、夜眠れなくなっても困るので、ベッドから脱して机に着く。
勉強しようなんて気になるほど僕は勤勉家ではないので、引っ越した直後にもらった結衣ちゃんからの手紙をまた読み返そうと思う。
秘密の宝物をしまった引き出しの鍵を開けて、封筒を取り出し、その中から折りたたまれた複数の便箋を出す。
結衣ちゃんはこうして一度にいくつも手紙を送ってくる。しかもちゃんと一つ一つ絵柄の異なった便箋に。
一枚目は星マークを散りばめた可愛いらしい手紙、二枚目は空と雲が描かれた明るい便箋、三枚目は虹色の鮮やかな便箋、四枚目は海と砂浜が描かれた夏のような便箋、五枚目はじゃれあってる二匹の猫が描かれた便箋。
それぞれの紙面に並んだ文字眺めてるだけで、心がはずんで自然と笑みが漏れる。
ああ、結衣ちゃんの字だ、って。女の子らしいまるっこい形の文字。ギャル文字の一歩手前のようにも見えて、彼女があんなふうになってしまったら、精神的ダメージ大きいけど。
『し』を『U』とか『ん』を『W』とか、日本語冒涜も甚だしい。かな文字開発という、大和の偉業をなぜこうも簡単にねじまげてしまうのか。
まずは一枚目。『かいとくん』への『へ』には斜線が二つ。これはなんていう意味があるのか知らないけど。
でぃあー かいとくんへ
お元気ですかー?ゆいはちょー元気だよ!あっ、でもかいとくんがいないからちょっぴり寂しいかな。
手紙ってはじめて書くからなんて書いたらいいのか分かんないよー(´;ω;`)
あっ、ちなみに上のかお文字かわいいと思わない?ケータイいじってたら見つけたんだけど、手紙でも使ってみましたー。
このωの部分がポイントだよねー。いいアクセントだよねー。ねこさんの口みたいだよねー。
そういえばあいちってどんなところ?「あい」を「しる」と書いてあいちなんだから、きっとだれもがあいをしってるのかなー。
ほっかいどーはまだまださむーい(>_<)。かぜひきそー。きっとあいちはみんなのあいであったかいんだろうなー。うらやましー!
あっ。まだまだつづくよー。
これは二枚目だよー。一枚目よんでなかったらそっちへゴー!なんだかんだ言って二枚目です。ゆいもけっこー書けるもんだね!
どくしょかんそーぶんはいつもお母さんにやってもらってるのになー。あれ書き方わかんないよねー。
思ったこと書きなさい、って言われても「おもしろかった」で終わっちゃうのに、げんこーよーし三枚とかしんじられないよ。
夏休みのしゅくだいってほんと大変!いつも31日までのこっちゃうよー。それにくらべてはる休みはいいよねー。
しゅくだいないもん!あそびホーダイだよね!うぅ、かいとくんともあそびたいのにー。
なんでこんなにとおいのさー。って、もう三枚目になりそう!
三枚目です。かいとくんはにまいめだと思うよー。いみしらないけどね。
でも、ドラマ見てるとおかあさんがイケメンのこと「にまいめはいゆうだわー」とか言ってるから、たぶん良いいみだよ。
つまりゆいがいいたいのは、かいとくんは/////ってことだよ。って、書けるわけないでしょはずかしー。
でもね、ゆいはかいとくんがひっこしてきた日はすっごくどきどきした。なまえきいただけで、どんなおとこのこだろーって。
それでひとめみてみたらなんて/////んだろう、きゃー、かけるわけないよ!でも、このけしゴムでけしたあととまえのやつはいっしょだよ。
ともだちになりたいなー、ってずっと思ってた。
でも、なんかはずかしくてさ。かいとくんはおぼえてないかもしれないけど、ゆいははじめてあったときキミにはなしかけてたんだよ。
なのに、かいとくんむしするんだもん。ちょっぴりかなしかったんだ。ゆいとなかよくしたくないのかな、って。
そしたらさ、はなしかけづらくなっちゃって、ずっとキミのこととおくからみていただけだった。
だけど、それじゃなにもかわらないんだっておもったの。あきらめちゃダメなんだって。
なかよくなりたいなら、じぶんからどんどんぶつかっていかなきゃって。
そうおもってたところに、かいとくんがきゅーしょくのじかんにとびだしていって。いましかないっておもったの。
ゆいもとびだした。せんせーにおこられてもいいから、かいとくんとふたりきりになれるじかんがほしいなって。
いまおもうとおかしなことしたとおもうけど(-_-;)。いきなりキミにだきついちゃったりとか。
あのときはゴメンね。めーわくだったよね。でも、かいとくんもわるいんだからね!むしするのよくないよ!
あの日からいっぱいあそんだよね!あれから一年たつなんて早いよねー。いっしょにいたじかんがたのしかったからかな?
またあそぼーね。それまでげんきでいるんだよー。またあえるおまじないもしたんだから、きっとまたあえるよ。
それじゃーねー☆♪
ふぉーえばーふれんど ゆいより
何度読み返しても飽きない。
勉強の苦手な結衣ちゃんは、漢字がほとんど書けなくておおかたひらがなだけど、それがなんだか可愛かった。
手紙に顔文字を使うなんていうのも、彼女だけしかいないんじゃないだろうか。
ただこの消しゴムの消し後、きっと濃く書いたせいだろう、凹凸がはっきりしていて本人は隠したつもりが何が書いてあったかまるわかりだ。
この部分を目が通り過ぎるときから、なんだか顔が熱くなる。「かっこいい」だなんてさ。
自分の容姿を自己評価するのもおかしいけど、僕は昔から女の子のようだとよく言われる。
背はそんなに小さいほうではないけど、北海道に住んでいた頃は、近所のおばさんに「あらま、かわいいわねー。女の子みたいじゃなーい」と頭をなでられた。
一男子である僕としては、それがなんだか悔しかった。七五三の時も間違って女の子の着物着せられて、屈辱的な気分を味わわされた記憶がある。
そんなこともあって僕は自分の容姿があまり好きじゃなくて、妹と入れ替われたら、と思ったこともあった。
けれど、こんなふうに照れ隠しが入っていても、「かっこいい」と言ってもらえるのは嬉しかった。
こんなふうに心を温かくしてくれる人が、はじめての本当の友達と言える人で良かった。
「またあそぼーね」という言葉が、次があるという証明だ。ゆいちゃんがそこまで意識していたかは分からないけど。
また会えるおまじないまでしたんだ。離れてもまた会いたいと思ってくれたんだ。僕はそんな人間になれていたんだ。
あんなに冷めていて、ひねくれていた自分に、そんな言葉をくれる人に会えただけで幸せだった。
自意識過剰かもしれないけど、少しくらいこんなふうに夢心地でいたって、悪くないよね。
「あっ、起こしちゃったか」
母さんの声が聞こえる。仕事から返ってきたのかな…。
って、あれ今何時だろう。机の上の据え置き式のデジタル電波時計に目をやると午後七時。
どうやら机の上で伏せったまま寝てしまっていたようだ。上半身を起こすと、背中に被せられていた毛布がバサリと落ちた。母さんがかけてくれたのかな。
「夕飯作ったから食べにきな。今日は父さんに教えてもらって作った、あんたの好きな豚の角煮があるよ。それから、ほい」
机の上に絵に描いたような形の封筒が置かれる。
「愛しの結衣ちゃんから手紙来てたよー。読むのは飯食ってからね」
「愛しのって…結衣ちゃんはそんなんじゃ―――」
「あれー、そうなのー?あんた去年学校から帰ってくるといつもあの子の話してたじゃない。ホントは好きなんじゃないのー?」
母さんがいじわるそうな笑みを浮かべて僕の頬をつついてきた。うざい。
「違うったら!ホントにホント!」
「焦って否定してるあたり本気っぽいね。顔も赤いし。若いっていいねーヒューヒュー」
そう言いながら母さんは僕の部屋を出て行った。
くっ、我が母ながら憎い…。子供をからかって楽しがるなんていやーな大人だ。
若いっていいねー、って母さんもよそのお母さんと比べたら十分若いほうだと思うんだけど…。確か今年で二十九だったはず。
『うわー、三十路なんかなりたくねー』とか嘆いていたっけ。そんなに嫌なものかな、歳を取るって。
僕なんか早く大人になって、働いたり、車運転したり、お酒飲んだりしたいなーなんて思ったりするんだけど。あと……結婚とか。
結衣ちゃんの手紙の中身は気になるものの、食事の時間に遅れたりすると母さんは「飯いらねぇのか!いらねぇならこうしてもいいんだよなあ!!」と言って作った料理を床にぶちまけて死ぬほどキレるから大人しく夕飯にすることにする。
告げてくれたとおりに、食卓の上には豚の角煮が電灯に照らされてぬらぬらと美味しそうに光っていた。
他のメニューは、ごはんとあわせのお味噌汁、海草のサラダ、野菜炒め。きわめて一般的で家庭的な晩御飯だ。
だが、母さんがここまで作れるようになったのは奇跡的なほどだ。離婚するまではずっと父さんが家事炊事をやっていて、母さんは横になってテレビを見ているだけだったのに。
別れることになっても母さんが心配だった父さんが、自分の知ってる料理や家事の知識をすべてノートに残して母さんに教えたおかげだ。
それがなければ僕はきっと今ここでインスタントラーメンをすすっていることだろう。
僕が椅子に座ると、母さんもエプロンをはずし、髪を解いてやるきモード解除して向かい側に座った。
「さっ、いただきますだよ。手をあわせろー。さん、はい」
『いただきます』
うちの家訓でご飯は家族一緒に――って、いっても二人しかいないけど――食卓につき手をあわせていただきますをすることになっている。
僕はさっそく豚の角煮をごはんの上に乗せ、それと一緒に口の中へとふくんだ。
煮汁と肉のうまみが炊きたてのお米とマッチして舌が幸せだ。さすが父さん直伝だけある。
母さんはというと、すぐにごはんを食べると言うわけでもなく、テレビをつけて適当にチャンネルを流している。
「おっ、動物番組やってんじゃーん。あは~ん、ワンちゃんかあいいよ~。チワワの赤ちゃん~」
飯食ってるこっちの気が散りそうなほどの、ロリ系ボイスを出しながら母さんが身悶える。声だけ聞いてると小学生にしか思えない。
普段は粗雑で乱暴な口調だが、かわいいものを見たりして心がリラックスした状態になると、母さんはこのように赤ちゃん言葉になる。
よく化粧品販売とかの電話がかかってくるといつも「あの~、あたちそういうのわかんな~い」といって上手にかわしている。
電話の向こうの人は、家の中をスウェットで過ごしてる三十手前の大人だとは夢にも思ってないだろう。
「あー、ねこたんだよ~。アメショーかわいいよアメショー。ちゅーしたいよー、あたまをなでなでちたい~」
「かあさーん。ごはん食べないの?」
「だってかわいいじゃーん。かいときゅんも見てよーねーねー。あのもふもふのけにもふもふちたいよー」
その「かいときゅん」という呼びかた体中がむずむずするからやめてほしいんだけど。
あまりにうるさいので、僕もテレビのほうに目を向けると、赤ん坊の犬と猫が兄弟のようにじゃれあっていた。
ときどき猫のほうが犬に猫パンチを繰り出し、犬のほうはやめてよーといいたげに昔のCMのように目を潤ませている。
なんだか微笑ましくて和む。母さんがとろけるのがわからなくもない。
そういや結衣ちゃんの家に行ったとき、こたつの中に二人でもぐってこの二匹みたいに遊んだっけ。
途中でおばさんに見つかって、『あなたたち何してるの!まだ子供でしょ!』と怒られたけど、未だになぜだか分からない。
ああ、豚の角煮美味しいな、ほんとに。父さんの生まれ故郷は豚の産地らしく、父さんがいた頃はよく豚料理を食べさせられたけど、僕はこれが一番好きだ。
この脂身とほどよくちぎれる肉のすじ。じっくりと煮込まれてやわらかくなった身は、最高級イベリコ豚にも劣らないね。イベリコ食べたことないけどさ。
『さて、次は感動の動物ドキュメンタリーです。今回は下野動物園で生まれたライオンの赤ちゃんとその親子に密着取材をしてきました。VTRをどうぞ』
スタジオの映像から、檻の中でオスとメスの夫婦ライオンと、赤ちゃんライオン二匹の映像へと切り替わる。
「あ~ん、らいおんさんもかわいいよ~。わたしのこころはらいおんはーとだよぉん」
食事中なんだからもう少し落ち着いてくれませんか、母さん。
母ライオンは地面の上にふせながら授乳をしてあげており、父ライオンはその光景を温かく見守っている。
『先月末に生まれたオスとメスの双子のライオン。名前はライアンとアンナ。二匹は両親に愛され、お母さんからおっぱいをもらいすくすくと成長をしていきました』
男女の双子――まるで僕と蒼空みたいだな。僕も小さい頃はあんなふうに、母さんにずっとくっついていたのかな。
『しかし、この家族は最初からこのようにうまくいっていたわけではなかったのです』
そのナレーションとともに少しノイズの入った、ビデオカメラの映像へと切り替わる。
さっきのメスのライオンは檻の中をうろうろして、双子ライオンはまだ生まれたばかりの文字どおり赤ちゃんといった姿で、藁の上で横たわっている。
『なにかお気づきにならないでしょうか?』
問いかけておいて、考える暇も与えずにナレーションは続けた。
『そう。この母ライオンのメイミーは、生後まもない赤ちゃんにお乳も与えずに、ただ檻の中をうろうろするばかり。実はこのメイミー、育児放棄をしてしまっているのです』
その言葉を聞いた瞬間に、さっきまであんなにテンションの高かった母さんの表情が曇り始めた。
『メイミーは、自分の体から突然子供が生まれてきたことに恐怖してしまい、子供を自分の子供だと理解することができずこのように…』
赤ちゃんはお腹が空いているのだろう、物欲しそうにお母さんのほうを向きながらピーピーと鳴くが、メイミーは一切見向きもしない。
そういえば父ライオンはどこへいったのだろう?
そう思っていたところに飼育員さんの話が挿入され、その謎は解けた。
ライオンというのは頻繁に子作りをする動物で、数が増えすぎないように普段オスというのはメスとは別の檻で飼育されるものらしい。
また肉食獣のメスはお産の時やその直後は非常に気性が荒くなり、仲間だけでなく親類縁者までもを拒絶する傾向があるようだ。
だから落ち着くまでは檻の中は母親と乳児だけで生活させるものなのだという。
もし仮に雄ライオンを入れようものなら、自分の夫でも激しく夫婦ゲンカを始めるし、最悪の場合そのとばっちりが子供に向けられ、彼らが噛み殺されてしまうこともあるらしい。
……離婚前に父さんと母さんが喧嘩を繰り返していたのを思い出した。時にそれが僕ら兄妹に飛び火してくることもあった。
僕は母さんに気づかれないように、そっと左の袖をめくり腕を露出させた。だいぶ小さくはなったが、そこにはまだ父さんに力強く掴まれたときの痣が色濃く残っていた。
あの時、初めて父さんを恐怖いと思った。今でもあの時の父さんの顔は忘れない。
ご飯を食べてるときに嫌なモノ見てしまった。母さんもテレビの音声と映像から逃れるように、そっと電源をオフにした。
それから食べた豚の角煮は、大好物のはずなのにちっとも美味しくなかった。