六章 太陽との出会い
今まで転校をしてきても、友達を作らなかった僕は、どの学校でも給食はいつも先生と食べていた。ときどき一緒に食べようといってくれる人もいたけど、それも全て無視して。
先生は気を遣って、食事中でも話しかけてくれたけど、どの話題にもうまく返せなくて、そうすると子供なりに気まずくて、申し訳なくて、自然と給食も美味しいと思えなかった。
いつも途中まで食べて、残そうとして、だけど食べ物を粗末にすることの罪悪感から、無理に残さず食べて、後で気持ち悪くなってトイレでリバース。
友達なんかいなくてもいい。作って後で辛い思いするなら、一人でいたほうがいい。ずっとそう思ってた。
の、はずなのに。
教室を見渡すと視界に入ってくる、談笑しながら昼食を食べているクラスメイトを見ては遠い目をしていた。
最初は気にならなかった『何で先生と食べてるんだろう?』『誰か一緒に食べてあげなよ』『ダメだよ。冷たく無視されるだけだよ』といった陰口や奇異の視線も痛くなっていた。
自分が招いた結果だから、無理にでも納得してどんなことがあっても耐えてきた。前の学校も、その前も、その前も前も、前も前も前も。
しかし、考えてしまっていた。
皆はあんなに楽しそうなのに、なぜ僕はこんなにも味気ない生活を送っているのか。
楽しく過ごすには友達が必要なのか?そんなわけない!友達なんていなくたって生きていける。友達がいなくたって死なない。
なのに…。なんなんだ…。なんで僕は…
――寂しいと思っているんだろう。
友情なんて幻想だ。こちらが友達だと思っていたって、向こうはそう思っていなかったのかもしれない。
転校した後も連絡をくれて繋がっていてくれた人なんて誰一人いやしなかった。こちらから手紙を書いたって、返事はないまま。
偽りだったんだ。僕の存在は相手にとって友達じゃなくて、ただのクラスメイト。
裏切られて、現実を突きつけられて、絶望するだけだ。そんな思い、もうたくさんだ。
だから人を拒絶したのに。どうして…。おかしい…。寂しいなんて…。
僕は…友達はいらないのに…。友達がいたって…つらくなるだけなのに…。
なのに、なんで友達がいなくてもこんなに苦しくなっているんだ…。
毎日毎日先生との給食。先生は何も悪くない。悪いのは自分だ。だけど先生と食べていても何も楽しくない。
友達とならきっと楽しい。だけど僕には友達がいないし、友達もいらないと思っている。
八方塞がりだ。もう諦めて現実を受け入れるしかない。
…どうしたら、楽になれるんだろう。
自殺する?ダメだ、家族に迷惑をかけることになるし、きっと父さんも母さんも、蒼空も悲しむ。
いや、そもそも悲しんでくれるのか?僕なんかいなくたって…なんにも…。
僕はいったい何を考えているんだ!おかしい、もう末期なのかもしれない…。
「う…うわああ…ああ…あ…ああああ…」
給食のスープに涙が零れ落ちた。
何をしているんだ。こんなことをすれば、先生が心配する…やめろ…止まれよ…涙。
クラスがざわめく。ダメだ…こんな空気…耐えられない。
僕は教室を飛び出した。
廊下を走り抜ける。今は何よりもあそこから遠ざかりたかった。
教室から。先生から。クラスメイトから。この世界の全てから。
涙はいつのまにか止まっていた。
わき目もふらずに飛び込んだ先は、体育館裏。
日の光も入らなくて、雑草が繁茂しきっており、地面も湿っている。
僕みたいな独りの人間にはお似合いだ。
ふと足元を見ると、一輪のたんぽぽが咲いていた。誰にも気づかれず、ぽつんと、ひっそり寂しく。
僕もこのまま誰にも気づかれずにいたい。
今ごろ、先生やクラスメイトはどうしているだろうか。何があったのかと思って、僕を探しているだろうか。
いや、そんなことはあるわけない。あるとしても、先生は事務的にしか探さない。クラスメイトはおそらく今までみたいに僕をほうっておくだろう。
本気で僕を心配している人間なんているわけがない。
仮に僕を見つけたら先生はきっとどうしたんだと聞くだろう。だが、それを話したところで、現実に何かが変わるわけじゃない。
僕の悩みや孤独は僕でなきゃ分かるわけがない。悲しい目をして知ったかぶって、わかるとか根拠もなしに同情されたところで、自分が惨めになるだけだ。
給食終了と五時間目の授業のチャイムが鳴った。
…冷静に考えてみると、自分はなにやってるんだろう。
給食を残し、授業までサボろうとしている。不良もいいとこだ。先生にも迷惑をかけて…。
なんで、こうなったんだろう…。僕はいったいどこで間違えてしまったのか…。僕はなにか悪いことをしたのだろうか…。なんで、こんな目に合わなくちゃいけないんだ…。
胸からわきあがる冷たい痛みに、体中に刺すような悪寒が走る。
肩を抱いてその場に座り込み、僕は交差させた腕の中に顔を埋めた。
「…嫌だ…嫌だよ……こんな…どうして…嫌だ…嫌だ…嫌だ…あ…ああ…うああぅ…っ・・…ああっ…」
情けない声が嗚咽と共に漏れた。
再び目から溢れた涙で袖が濡れる。冷たい…。涙ってこんなに冷たいんだ。
風が吹いている。四月の風はまだ冷たくて、非情に僕の体を叩く。
この湿り気のある冷えきった地面の上で寝転がって、風に吹かれながらそのまま眠ったら、誰にも気づかれずに楽に死ぬことができるだろうか。
ああ、せめて死ぬ前に、ずっと友達でいてくれる、そんな人に会いたかっ―――
「あ――っ!こんなところにいた!」
女の子の声が聞こえてきた。
どうやら誰かが僕をみつけたらしい。そんなことする必要なかったのに。
「ねぇ。ねぇ、かむいくん!」
背中を軽く二発叩かれる。僕の名前を知ってるってことは、同じクラスの人かな。
「ねぇ、顔をあげてよ。泣いてるの?」
そうだよ。そんな顔を見せられるわけないだろう。まして女の子になんか。
僕は無視を決め込んだ。
「ねぇ…なんか言ってよぉ。無視しないでよぉ」
体を揺さぶられる。
やめろ。この反応を見たらわかるだろう。放っておいて欲しいんだよ。
「ね、なんかあるなら、ゆいがはなし聞くよ?」
面倒くさいな。たまにいるんだ。やたらとずうずうしく、甘言振りかざして人の心に侵入してくるやつ。
まあいい、無視し続ければあっちも諦めて去っていくだろう。
……というか、今、授業の時間じゃ…。まさかこの…『ゆい』…だっけ?この人サボってきたのか?
「うーん、えいっ!」
うわっ、何か背中に温かい感触が!抱きつかれてる!?そう思ったときには既に僕のお腹には腕が回されていた。やめろ、その感触が――っ
「なにをするんだっ!」
ホールドされた腕を振り解いて、僕は立ち上がりその犯人の姿を見た。
小柄で華奢な体、切りそろえられた前髪、背中の真ん中あたりまで伸びた長い黒髪。
ワンピースの上にカーディガンを羽織っただけの、柔らかい格好。
日本人形のようなのだが、それの独特の不気味さを取り除き、代わりに洋風なイメージを注いだような姿の女の子だった。
「もう、いきなり飛び上がらないでよぉ。危ないじゃん!」
「いきなりなのはそっちだ!勝手に抱きついてきて!」
「だって無視されたらもうきょーこーしゅだんに及ぶしかないよ。で、どう?びっくりした?」
「…あー、はいはい、しましたよ」
「へへー、ゆいの勝ちだね!」
何の勝負に勝ったんだよ。
「あっ、目、赤いよ。もしかして泣いてた?」
「――っ!」
思わず彼女から目をそらす。
女の子に泣いてたなんてバレるなんて恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
く…あんなものに反応して顔をあげてしまった自分が憎い。
「泣いてたんだー。そっか、男の子でもそーゆー時あるよね。だいじょーぶ、みんなにはヒミツにしておくから!」
そういう問題じゃないよ。
「ねぇ、どうしたのー?泣いてたんだから、なんかあったんでしょ?きかせてよぉ」
もう決めた。完全無視だ。何言われても絶対に反応しない。
「ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
言いながら顔を僕の顔に近づけてきた。ち、ちかい…っ。それ以上近づいたら…その…なんか…アレだろうっ!
ダメだ…。この子は話すまでこうやって僕をアブナイ状態にしてくるに違いない。
折れて相手してあげることにする。
「なんでそんなに僕に関わろうとするんだ。しかも、いま授業中でしょう?」
「えっ?だって心配するじゃん、ふつー。いちおーね、クラスの皆は教室でじしゅーしてなさいって言われたけど、やっぱほうっておけないじゃん。だから、せんせー今ごろゆいのことも探してるんじゃないかなー」
「君が授業サボってまですることじゃない。先生にまかせておけばよかったんだよ」
「サボりじゃないよ。じゅぎょーをうけるよりもかむいくんを探すのをゆーせんしたんだよ」
それをサボりと言うんだよ。
「で、もう僕を見つけたんでしょ。さっさと先生に報告して、おとなしく教室に戻ればいいじゃないか」
「ううん。かむいくんとここでおはなしする。かむいくんがはなしてくれるまで、ゆいはずっとかむいくんといっしょにいる。せんせーにもだまってるから」
…おかしい。見つかったら普通、知らせにいくだろう。
それなのに僕と授業サボって、しかも僕の話をきくだって?
「ふざけるのもいい加減に―――」
「ふざけてなんかないよ!」
急にすごい剣幕で怒鳴られ、僕は思わず身じろぐ。
「ゆいは本気でキミのこと心配してるんだよ!それをふざけてるって言わないで!泣いてたじゃん!泣くって悲しいってことじゃん。なのに、なんでそうやってつきはなすの?かってにひとりでじこかいけつしようとして、それでダメだからないてたんじゃないの?いま、ひとりじゃないんだよ。ゆいがいるんだよ?なのに―――」
「なにも知らないのに勝手なこといわないでよ!」
今度は僕から彼女の言葉を遮った。
「ぼくが…どんな気持ちでいたか知らないのに…そうやって自分の想像を人におしつけるな…」
「だから、その気持ちを知るためにはなしをきくっていったんだよ?それも嫌なの?」
「…そうだよ。僕は人と関わりたくないんだ。キミだって、どうせ僕がこんなふうに問題を抱えているから、相手をしてくれてるだけだ。だけど、それが解決したらどう?キミはもう僕のことなんてどうでもいいでしょう?そんな寂しい思いをしたくないんだよ…。それなら独りでいい…。もう放っておいてくれ」
……何を言ってるんだ…。人がいなくても寂しいくせに…。せっかく話を聞いてくれる人がいるのに、それも拒絶して。
…でも、これでいい。傷つかないためにはこうするしかないんだ。今までのように。
「……勝手なこといってるのはそっちもじゃん」
「…なに?」
「勝手なこといってるのはそっちもじゃんっていってるの。なんでゆいのきもちをかむいくんがきめるの?ゆいは……ゆいは、そんなこと…しないよ…?」
彼女の声はふるえてさっきよりも勢いがなくなり、顔がゆがみ―――その目から涙がこぼれた。
泣いたところで知るもんか。泣きたいのはこっちだっていうのに。
僕は追い詰めるように言い返した。
「嘘言わないでよ。そうやって言ってきた人はみんな、期待させるだけさせておいて僕を裏切った。みんなわからないよ、どこからそんなこと言える自信がくるの?もっと自分の言ったことに責任を持てって話なんだよ……」
「ウソなんていわないでっ…。ねぇ…もうおわりにしようよ…」
「…そうだね。ぼくも女の子泣かせてまでこんな問答つづけたくない」
「ちがう…」
何が違うんだ。それ以外に終わらせることなんてないだろう。
『ゆい』は頬と目の涙をぬぐった後、
「かむいくんのさみしいおもいを…ここでおわらせよう。おねがいしんじて…ゆいは…ずっとかむいくんといっしょにいるから」
そう言って、
「かむいくんは…これからもひとりでいつづけるの?それでいいの?」
僕の肩を掴んで、さっきのように顔をちかづけて問うた。
「そんなの……良いわけない…良いわけないじゃないか」
僕がこう言うことを期待していたのだろう、彼女の顔が希望を得たように染まる。
しかし、僕はでも、と否定し肩の手をふりはらって、それを砕く。
「人を信じて傷つきたくもないんだよ…。なのに…キミは僕に人を信じることを強要してくる。それは僕にとって辛いことなんだよ!迷惑なんだよそんなのは!なんでそれが分からないんだよ!もう僕を諦めろよ!バカじゃないのか!」
はぁはぁ、と息を荒げて僕はすべてを彼女にぶつけた。
さすがにこれだけ言えば、もうあきらめ――
パァンッ!
と、高い音を僕の頬が立てて、それが僕がぶたれた音だと気づくのに、数秒を要した。
僕は痛む頬を押さえて、驚きの表情を隠さぬまま、『ゆい』を見つめた。
「バカなのはそっちだよ!かむいくんが今、そんなになやんでるのはあきらめたからでしょ!?ゆいはあきらめないよ!あきらめろって言われたってあきらめない!あきらめなかったらなにかがかわるかもしれないんだから!」
「そんなの全てきれいごとだよ!現実はそんなにうまくいかないんだよ!僕があきらめたくてあきらめたと思ってるのか!?」
「思ってない!けどね、こうしてあきらめないって言ってる人がいるんだよ!?かむいくんがずっとひとりのままになることをあきらめないって言ってるんだよ!?なら、もうそれはかむいくんをひとりにさせないって言ってることと同じじゃん!ゆいのあきらめのわるさを見てよ!ぜんぜんかむいくんをあきらめてないじゃん!」
そう言って、『ゆい』はすっと僕の両手を掴んで組ませた後、自分の前に引き寄せ両手で僕の手をを包んだ。
「つらいかもしれない。でも、ゆいをしんじてほしいの。かむいくんがあきらめなければ、ゆいはずっといっしょにいる。もうひとりになんかさせない」
僕の手を包む力をぎゅっと強めて、『ゆい』はその両手に額を当てた。
「なんで…なんでそんなにあきらめないの?なんで僕に…そこまで……」
ずっと気になってた。今までただのクラスメイトの関係。たくさん拒絶した。冷静に考えてみればひどいことだって言った。
なぜそんなヤツにここまでするのか…。理解できない。
――なんでここまで温かいのか。
だって、と『ゆい』は言うと、僕の顔をじっと見つめ、
「ともだちになりたいから」
えっ、と僕が聞き返すと
「かむいくんとともだちになりたいから。キミがてんこーしてきた日から、ずっとそう思ってたんだよ」
「…それだけ?」
「それだけ。他にりゆー、いらないよ。かむいくんと……一緒に遊びたかったから」
拭いきれていなかった涙を目尻に残しながら、笑顔で言った。
やっぱりこの子はふざけている。
それだけで授業をサボれるか?先生に叱られるに決まっているのに。
冷たく突き放した人間にそんなことが言えるか?拒絶されるのが怖くなるに決まっているのに。
一緒に遊びたいと思ってる人間をいきなりぶったりするか?深い仲でも一歩間違えば違えてしまうのに。
本当に非常識だ。『ゆい』は常識をやぶってきた。そんなこと、怖いはずなのに。いや、そもそもそんな常識すらこの子にはないのだろう。
だから、ともだちになりたい、とか何のためらいもなく言えるんだ。
………おかしい。友達なんてあんなにいらないなんて思ってたはずなのに……。裏切られたくないって、ずっと思ってたはずなのに…。
どうして『ともだちになりたい』という言葉が、『一緒に遊びたい』という言葉が、こんなに嬉しいんだろう。
どうして――
―――僕は『ゆい』と友達になりたいとおもっているんだろう。
「……ありがとう」
「こちらこそ」
瞬間、『ゆい』は僕の両手から手を離し、今度は右手を差し出してきた。
「……なに?」
「ともだちになったきねんに、あくしゅ!」
握手、か。なんだか照れくさいな。
ズボンで手汗を拭った後、僕は彼女の手を握った。
小さくて、やわらかくて、温かい手。彼女の体温が伝わってきて、次第に僕の中の何かが氷解していく。
それの雪解け水のように目から一筋の涙が流れた。
「あれ?かいとくん、また泣いてるの?」
「ち、ちがう!これは目にゴミが…って、海斗くん?」
「そう。ゆいたちはなかよしだから、なまえで呼びあうの」
「そういうものなの?」
「そーゆーもの!」
ニヒヒ、と『ゆい』が歯を見せて笑う。
「じゃあ、僕も…ゆいさん」
「なーに?『さん』って。先生じゃないんだからもー。『ゆいちゃん』って呼んで」
「え…?ゆ、ゆいちゃん」
「えへへー、ありがと、かいとくん♪」
名前で呼ばれるなんて今まで家族しかなかったから、なんだか恥ずかしくて、胸の奥がむずむずした。
けれど、嫌な感じは何もなくて、体が温かくなって、冷たかった風もぜんぜん気にならなくなった。
その時、ずっと沈黙を続けていた腹の虫がぐーっ、と大きな音を立てた。隣でゆいちゃんが「大きな虫さんかってるんだねー」と感心したように言う。
そういえば給食、食べかけてそのままにしてきてしまったっけ。
おそらくもう片付けられているだろう。
「ね、一緒に食べに行こっか?ゆいもお腹減っちゃって」
「いや、でもさすがにもう残ってないでしょ」
「給食室にいけばパンとジャムが貰えるよ。うちは学校で給食作ってるからねー」
「でも、授業あるんじゃ…。ゆいちゃんだけでも戻ったほうがいいと思う」
「いーよいーよ。どうせサボっちゃんたんだし!このままサボろう!」
「えーっ!」
そしてついにサボりを認めましたね、この子。
「それにさ、ゆいがいないとかいとくんひとりになっちゃうじゃん。一人より二人のほうが美味しいよ。一緒に食べよ。ゆいたち、もうともだちなんだから!」
ゆいちゃんは僕の手をひっぱり給食室へ猛進。僕もそれに遅れまいと一緒に並んで駆けた。
給食室につくまで僕らの手は、離れることはなかった。