四章 新垣と城ノ内
昨日、新垣くんとは下校時、たくさんの話を聞くことができた。
四年一組のメンバーは川島さんを除いて、保育園時代からの知り合い――つまり幼馴染みだという話だ。
一年生からずっと同じ面子で授業を受け、多くの行事に参加し、長く時間を共有している。
新垣くんは昔から泣き虫で、竜崎くんが彼をいじめるのは今に始まったことでもないらしい。
最初はこの二人の一対一だったらしいし、いじめの質もそこまでひどくはなかったようだが、ここ最近になって間接的ではあれ、女子のみなさんも関与するようになったらしい。
『みんな、ボクのことが嫌いなんだ。きっとボクは誰からも嫌われる運命なんだ。…いったい、ボクの何がいけないんだろう…』
話の中で彼が発したこの言葉と、その時の表情が今でも頭から離れない。
新垣くんは泣かないように必死に涙をこらえて、でもこらえきれなくて――
本人は隠していたつもりなのだろうけど、殺しきれなかったしゃくり声が口から漏れていた。
…どうしてこんな思いをする人がいなくちゃいけないんだ。
僕はランドセル越しに新垣くんの背中にそっと手をあてて、そのまま彼の家まで一緒に歩いてあげた。
――被害者の話を聞くだけじゃ、なんとも結論が出せない。クラスメイトからの新垣くんに対する評価をきいてみなければ。
もしかしたら新垣くんにも非があり、彼がそれに気づいていないせいで、教室に不和を生んでいる可能性も否定できなくはない。
本日はクラスメイトの皆にも話を聞いてみようと思う。
ここで快適に生活していくためには、ある程度コミュニケーションをとっておく必要があるだろうし。
彼らと友達になるかどうかは、別としてね。
ホームルームのチャイムが鳴った。
朝のあいさつと健康観察、先生の話が流れで進んでいき、そのまま一時間目に突入。
今日は掲示物作りらしい。三人一組で分けられた班に、それぞれ仕事を与えられ今日中に完成させる、というものだ。
僕らの班のメンバーは、『僕、新垣くん、城ノ内くん』の三人で時間割表と学級だよりと給食の献立の装飾だ。
先生から色紙、画用紙、はさみ、のり、マジックペンを配られ、僕らはそれぞれ作業に入った。
この時間の間に、城之内くんから話を聞いてみようかな。
僕は画用紙にはさみを入れている城之内くんに声をかけた。
「ん?なんだい」
「新垣くんのことなんだけどさ。新垣くんって、このクラスでどういう立場にいるの?」
ちなみに新垣くんは時間割表の装飾に真剣で、幸いにも僕らの声は届いていない。
何かに一つに集中していると他の何かを意識できなくなるらしく、『二つ以上の作業は同時にできないんだ』と昨日笑いながら話してくれた。
「新垣か…。まあ、よく泣く奴って印象が多いんじゃないか?昔からなにかあるとよく泣いてた。だから、先生を困らせていた」
このあたりは本人からも聞けた話だ。城之内くんは更に続ける。
「それからほず――ああ、これは竜崎のことな――あいつと昔からなにかともめること多くて、大抵は最終的に新垣が泣いて、ほずが先生に指導されるってことが多かった。
だが、ほずはときどき不満をもらしていたよ。『なんで俺ばかり悪者になるんだよ。あいつだって悪いじゃん』ってな。誰かが泣いたら先生というものは基本、そちらの味方につく。
そして問答無用で、泣かした原因のある奴が叱られる。『一概に原因のあるものが悪いとは言えない状況』でもね。
ほずやうちのクラスの女子は、新垣のそういう虎の威を借る狐的行為が気に入ってないみたいで、あまり良い印象はもたれていないよ」
「城之内くんは、彼のことどう思っているの?」
「オレはわりとクラスの雰囲気とかどうでもいいと思っている。だから、オレにとっては新垣は地元の幼馴染みくらいの認識だよ。
でもあいつは悪い奴ではないと思ってる。基本、心根の優しいやつで、人のためになることが好きな人間だ。困っている人がいたら、放っておけないお人よしだ。
この前、新垣が地元に住んでるばあさんの車椅子を押してあげてる姿を見たよ」
「よく見ているんだね、彼の事」
「まあ、七年も一緒にいるからな」
七年か…。保育園と小学校――腐れ縁かもしれないが、それだけ長い時間一緒にいられる関係に僕は少しだけ憧れた。
僕も結衣ちゃんと、それくらい一緒にいられたら良かったのに。一年でさよならなんて早すぎだ。もっと一緒にいたかった。遊びたかった。
新垣くんとはどうなるんだろう。これから七年といったら高校生か。どんなに月日が経っても、彼は僕と繋がってくれるだろうか。
少なくとも僕は、彼とは大人になっても友達でいたいと思った。
城之内くんの話を聞いていると、彼の素晴らしさがいかほどのものか伝わってきたし、何より僕にはじめてできた男友達だ。
人生において誰にとって、どんな時においても『はじめて』というものは、特別だと思うから。
それに、こんなに優しい子がいじめなんか屈して潰されていいはずがない。
「…せい…こうせい…?転校生、きいているか?…」
「は、はいっ!」
しまった…。また考察癖が…。
「な、何かな?」
城之内くんは、ふぅ、と息を吐くと作業の手をとめ、僕の目を見つめた。
「新垣を…支えてやってくれ」
「え?」
思わずマヌケな声を出して聞き返してしまった。
「ここにいる奴らは諦めた奴らばかりなんだ。ほずと新垣の関係は今も昔も変わらない。ほず自身、先生に何度しかられようが反省してない奴だからな。
それにあいつはこのクラスの中で、異様な雰囲気を放っている。誰もがあいつに逆らえない。まるで独裁者だ」
分かる。どこの学級にも必ず一人は存在する、クラスに大きな影響を与える暗黙の了解で成り立っている裏リーダー。竜崎くんはきっとその地位に立っているのだろう。
「そんな奴になにをしようが変わらないと思っているんだよ皆。しかもあいつはやることは乱暴だが、先生に反抗したりはしないし最低限な常識も倫理観もある奴だ。だから誰も彼を憎めずにほずの作り出す雰囲気に飲まれ、ただおもしろいからそれにのっかってる。
だが、転校生は違う。ここに来たばかりで、そんな複雑な過去や事情に束縛されず動けるイレギュラーな存在だ。おそらくあいつを守ってやれるのは、お前だけだ」
なるほど。何もかわらないなら下手に行動を起こして場をかき乱すより、自分が標的にならないように見てみぬふりして空気を読んでいたほうが楽だ。
悲しいことだけど、それが人間だ。誰かのために自分を犠牲にできる人なんて理想論の中にしか存在しない。僕だってきっとこの教室の皆と同類だ。
いろんな土地で暮らし、いろんな人間を見てきたから、コミュニティーの中で賢く、上手に、快適に過ごす術をいくらでも知っている。いじめを回避する方法だって。
だけど、誰もがそんなふうに生活する裏で、泣いている人がいたのかもしれない。気づかないだけで。
でも今回は気づいた。無視できない。泣いている人がいたんだ。辛い思いをしているひとがいたんだ。
皆が仲良くするなんて都合のいい詭弁だ。妄想だ。多種多様な人間がいるこの世界で、それを実現なんて不可能に近い。
ましてこんなにも少人数の学級で、これだけのゆがみを生んでしまっている。
僕には誰もが悲しい涙を流さない世界なんて作れない。
ならばせめて、少しでも新垣くんが楽しいと思える、学校に来て笑顔になれる、悲しい涙を流す必要のない――そんな世界を作りたい。
城之内くんは、僕にはそれができる唯一の存在だと言った。
やってやろうじゃないか。
こんなことは、友達を作ることよりよっぽど楽で、精神衛生的にも優しい仕事だ。
「分かった。大丈夫だよ。言われるまでもなく、そうするつもり」
僕が言うと、城之内くんはふっ、と静かに笑みを浮かべ、
「よろしく頼む」
手を差し出してきた。
僕はその手を力強く握った。新垣くんのとはまた別の、がっしりとしていて夏の日のように熱い手のひらだった。