十章 嘲笑
今日はいつもよりランドセルが重たかった。
というのも、今日からついに授業が始まり、教科書を何冊も持ってくることになったからである。
一時限目は国語。新美南吉という人が書いた『ごんぎつね』という作品を読んだ。
ストーリーは、ごん、という名のいたずら好きなひとりぼっちの子ギツネが、兵十という男がとったウナギを逃がしてしまう。
しかし、ごんは後に兵十の母親がウナギが食べたいといいながら病の床に伏せっているのを知り、ついに彼女はウナギを食べられずして死んでしまい、『こんなことになるならいたずらなんてするんじゃなかった』と反省。
償いとして、市から魚を盗んだり、山から栗などを採ってきて、姿を隠しながら兵十の家に毎日持っていっていた。
しかし、ごんがそんなことをしていると知らない兵十は、ある日かれを家の前で見つけると、鉄砲で撃ってしまった。
倒れたごんの手にあった栗を見て、『ごん、おまえだったのか』と兵十はその場で鉄砲をおとしてくずれおちた。
そんな少しだけ悲しいお話である。
先生はクラスの一人一人に、句読点で区切らせながら音読させていった。
新垣くんが、かぎかっこのついたセリフの部分を、感情を込めるように読んでいたのが印象的だった。
「はい、それでは手をあげてください」
先生は黒板に『なぜごんは兵十に隠れながら栗などを持っていったのか?』と書いた後、快活に言った。
クラスの数人が手をあげる中で、一際目立っていたのが「はいはいはいはい!」と、連呼している竜崎くんだった。
たまにいる返事だけはやたら元気な子の典型といえる。ま、元気がいいのは悪いことじゃないけど。
「はい、は一回にしなさい。はい、竜崎くん」
静かにしなさい、という意味も込めてか柴山先生は彼を当てた。
「えーっと……うーんっと、あーんっと…」
「あのね、竜崎くん。答えがちゃんとまとまってから、手を挙げてほしいんだけど…」
「ああん、ちょっと待ってくださいよ先生!おっ、そうそう、そうだ!」
竜崎くんは手のひらを拳でポンと叩き、
「つまりあれだよ。いたずらをやってるワルな自分が、親切なことをしていると知られるのが恥ずかしかったんだと思います!」
ドヤ顔まるだしで答えた。
ふむふむと頷きながら、先生はその答えを皆にもわかるような自分なりの解釈で、さらさらと黒板に書いた。
「他はどうですか?そうねぇ、では上條さんはどうですか?」
「ごんは一度、兵十の獲ったウナギを逃がして怒らせてしまっています。だから、たぶん姿を見られたら問答無用で鉄砲で撃たれるかもしれない、と思ったんだと思います」
「なるほど、それもいい答えですね。それから…新垣くんは?」
「えっと…ごんはきっと感謝されることを避けるためだったんだと思います。兵十のお母さんが食べるはずだったウナギを逃がしてしまった自分が、良い行いをしても感謝される資格なんてない、と思って姿を見せなかったんだと思います」
「うーん、そこまで深く読み込むなんてねぇ。おもしろい答えです。そういう考え方も素敵ですよ」
―――と、こんなふうに授業は進行していき、気づけば終了のチャイムが鳴った。
今日の日直の佐伯くんが号令をかける。
「起立!」で、皆が一斉に椅子から立ち上がり、
「ありがとうございました!」に続いて、皆が揃って『ありがとうございましたー!』と深く礼をした。
「次は音楽の授業ですから、遅れないようにしてくださーい」
先生が教室を出て行き、クラスメイトは国語の用意を机にしまい、新たに音楽の教科書を出して、仲の良さげな友達と『いこう!』と笑いながら廊下に出て行った。
僕も教科書と筆記用具をまとめ、新垣くんに声をかける。
「一緒に行こう、新垣くん」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
これが漫画なら跳ねた汗が描かれそうな慌てた様子で、新垣くんは机の中を漁る。
「そんなに慌てなくてもいいよ…」
「えーっと、あれ?おかしいなぁ…持ってきたはず―――っと、あった!」
新垣くんが勢いよく教科書を取り出す。と、同時に―――。
ばさあっ、と別の授業の用意がなだれのように溢れ出てきた。
「あ…ああっ…ごめん…。すぐに片付けるから…」
「大丈夫。手伝うよ」
床に散らばった教科書やプリントなどを、集めてまとめていると、
「クスクスクス…」
嫌な視線と声を感じ取った。僕はこちらの視線を感じ取らせないよう、頭は横を向いて後方が辛うじて視界に入るように目を横へと移動させた。
三人の女子――視界ギリギリなので確実ではないけれど、上條さん、田山さん、川島さんだ。
「まったく、男のドジって需要ないよねー。見てて逆にイライラするっていうか」
『アハハハハ!』
「おいっ!」
新垣くんが吼えた。教科書をまとめていた分だけ机に突っ込んで、彼は三人組の前に立った。
「あのさ、やめてよ、そういうの」
おっ、反抗しにいった。竜崎くんの時もそうだったけど、新垣くんはいじめられっ子だけどアグレッシブだ。
「なんで、そうやって笑うの?人のこと見て楽しいの?」
「は?別にユウのこといったわけじゃないし」
「勘違い乙」
「勝手にこっちの話にはいってこないでくれる?てか、聞いてたん?そっちこそやめてよ」
うわ…容赦ない攻撃だ…。
「いや…あの…」
新垣くん、そこでヘタレてちゃダメだって。言い返さなきゃ。
「確かに聞いてたのは…悪いと思う。けど、その話題、明らかにボクに対する話だよ!しかも笑った!どうして笑う必要あるの?」
「おもしろいもの見たり話したら笑うよ普通」
「どうして笑う必要あるの?(キリッ」
「幽が言ってるのってさ。芸人さんの罰ゲームを見て、笑うなんてひどいって言ってるのと同じレベルじゃん」
「いや……でも…」
「何?いいたいことあるならはっきり良いなよ。言っとくけどあたしら悪くないからね。ユウから勝手に因縁つけてきたんだから」
「どう見てもおまえが悪いです本当にありがとうございました」
「逆に楽しい気分を害されてうちらのほうがムカついたっちゅーか。謝ってほしいんだけど」
「う……ぐぅ…うぅ………」
「ちょ…なに泣いてんの?」
「泣けば許されると思ってる件について」
「ねぇ、もうメンドいから行こ。授業遅れちゃヤバいし」
『行こ行こー』と、上條さんたちは教室を出ていってしまった。
一人その場に取り残されてしまった新垣くんに僕は駆け寄る。
「大丈夫?あっ、音楽の用意以外は全て机のなかにしまっておいたよ」
「あ、うん、ありがとう。まあ…大丈夫だよ、慣れてるし。上條さんたちの言うとおり、ボクが勝手につっかかってるだから…」
いや、さっきのは女子組のが悪い――あー、でも第三者的に見たらこれは喧嘩両成敗っていうのになるのかな。
「先生には言わなくていいの?」
「いや、いいよ。誰か悪いのかって議論になって先生に迷惑かけるし、大好きな音楽の授業がそんなことでつぶれちゃうの嫌だし…」
「そんなことってことはないんじゃ――」
「いいの。海斗くんがボクのことで、気を使う必要はないんだよ?ボクとしては逆にそっちのほうが辛いっていうか…。それじゃあ、なんだか海斗くん、僕の『親』みたいだよ。僕たちは、その……『友達』でしょ?」
「……分かった。じゃあ、この話は終了。行こう、音楽室」
僕らは一緒に教室を抜けた。
以前、友達に気を使う必要ないと新垣くんにいっておきながら、逆に僕が気を使っていたということか。
でも、やっぱりおかしいよ、この環境。あんなふうに扱われることに慣れちゃいけないよ、新垣くん。