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九章 父さん

あの後、結衣ちゃんからの手紙を読む気にもなれず、風呂にも入らず、普段の格好のままベッドに入って布団を被った。

ドキュメンタリーというコンテンツは、一般の人からすればきっと興味を惹くものだと思う。

さっきの動物に限った話じゃない。大家族や、ある職業に密着、外国の文化や家族、とにかく普通に暮らしていたらまず目にしないであろう世界を見せ、世間の人に見識を広めようとするのが番組製作者の目的だ。

だが、どれもこれもがいい話とばかりは言えない。障害者や医療ミスなど社会の怠慢により被害をこうむった人々、アルコールや薬物中毒者の社会復帰模様、虐待やいじめを受けて自殺者の出た家庭など、世の中の理不尽にも焦点を当ててくることもある。

こういったものの取材を受ける人の多くは、やはり『自分たちと同じ思いをしてほしくない』というところからだろう。

それ自体は否定しない。きっとそれは大切なことだから。こういった番組によって、深刻な事態に発展するのを防げたこともあるかもしれないから。

しかし、こうしたものを見る時、なんだかこの人たちが見世物にされているかのように感じるときがある。これでお金を稼いでる人がいるというのを考えると正直複雑な気分だ。

本当に短い期間ではあったけれど、自分達が虐待を受けていたからかな。体罰でもしつけでもなく紛れもない――。

父さんはこういった番組を見るたびに、人の不幸を世間に広めて何が楽しいんだろう、と言っていた。もちろん誰もが楽しんでこのような番組を作っているのではないとは思う。

でも、心無い人は彼らを汚物でも見るかのようにさげすみ、み嫌い、小さい町や村ならコミュニティ間の井戸端会議のネタにして嘲笑したり後ろ指を差す。

それを知ってしまうたびに思うんだ。ああ、自分たちは一般世間の人々と違うんだって。慰みものにされる不幸な人間なんだって。それを知ったとき、急に自分がひとりぼっちになったような気がした。

僕は生まれた時から引越しを繰り返しているから当たり前となっているけれど、多くの家庭は一つの土地に根付いて、そんなに住む場所を移し変えたりなんかしないんだって。

学校に通いはじめて、いろんな人と出会って、様々な世界を知ってそれを初めて知った。

僕もそんな世界で生きていたら、友達と別れるなんて、友達を失うなんて寂しい世界も知らずに生きてこられたのに。

かといって転勤の多い職務についた父さんを恨むのはお門違いだ。父さんがいてくれるおかげで、僕らの安定した生活が約束されているのだから。

でも一度だけ寂しさから、父さんに言ってしまった―――


『お父さんもうはたらくな!仕事なんてやめちゃえ!なんでうちはこうなの!?他のお父さんはちがうのに!!バカ!お父さんのバカ!!』


後悔してからもう遅かった。一度口から出てしまった言葉は、人の耳、心、頭の中に響いてしまってはもう取り消すことなんてできない。

あの時のことが思い出される。

父さんの顔がひきつり、そのままの表情で僕の目の前へとやってくる。

普段は優しい父さんだけど、こればかりは手を出されると覚悟し目をつむった。

しかし、いつまで経ってもげんこつや平手は飛んでくることはなく、あれ、と思ったときには、父さんが僕の体を抱いていた。

「ごめんな…。こんな父さんで…。父さんが…もっと父さんらしくあれば、お前も蒼空も、母さんにもこんな思いさせなかったのにな。本当にごめんな…」

耳元でかすかにすすった音が聞こえたのを覚えている。

あんな言葉を聞かされるくらいなら、殴られたほうがマシだった。

スリ傷や打撲なんて時間がたてばすぐに消える。でも僕が父さんに一度つけてしまった『心』の傷は、不治の病のようにずっと父さんを苦しめるだろう。

僕はあの時、父さんの服の布をぎゅっと掴んで、ただ自分の寂しさと愚かさに耐えていることしかできなかった。『ごめんなさい』の一言すら言えなかった。

何度も言おうとしたけれど、父さんは僕の顔を見るたびに悲しい顔をして、逃げるように部屋にこもってしまったり。

母さんと険悪になってからは、精神不安定になって『海斗…他所の父さんがいいよなぁ。そう思ってるんだろう?なあ、そうなんだろう!?こんな家に生まれたくなかったと思ってるんだろう!?ああ!!』と支離滅裂な理由と被害妄想で、僕は腕を強く掴まれそのまま床に叩きつけられたこともあった。

でも、そのたびに『…そ、そんなつもりじゃなかったんだ…すまん…』と、また僕を抱いてきた。

とても落ち着いて謝る雰囲気なんて、あの頃の家庭にはなかった。

それでもいつか言おうと思っていたのに、いつのにか離婚が決まっていて。気づいたら父さんは蒼空と一緒にいなくなっていた。

父さんが残してくれたノートには、母さんへの家事炊事のノウハウだけじゃなく、僕と母さんに対するメッセージが残されていた。


玖美へ

どうしてお前を好きになったのか、幸せにしたいと思ったのか、俺は忘れてしまった。

お前と付き合っているときは、あんなに失いたくない、離れたくない、お前への思いを忘れたくないと思っていたのに。

結婚しよう、と互いに何度も言いあっていたのに、いざ結婚してみると何かが変わってしまって。

海斗と蒼空が生まれることになった時も、あんなに互いに、頑張ろう、と言って支えてあっていたのに、今ではその時の気持ちが思い出せなくなっている。

家族が増えて温かくなっていった家も、いつのまにか冷えてしまっていった。

でも思い出だけはいつまでも温かい。おかしいな、どうしても追憶してしまうんだ。癖かな。

お前を嫌いになったわけじゃない。けど、たぶんこれ以上、二人一緒にいないほうがいいと思うんだ。

きっとお前を傷つけてしまうから。そんなことはしたくないから。

海斗をよろしく頼む。お前だったら、あいつを大切にできると思う。俺にはできなかったから。

俺がキミとあいつに最後にしてやれることは、暗い影を残した家を捨てて、明るい新しい生活を始められる家を残してやることだけだ。

俺が中学生の間、少しだけ過ごした場所だ。きっと気に入ってくれると思う。

今度はアメリカで働くことになった。しばらく日本に戻ることはない。

蒼空はきちんと俺が育てるから心配しなくていい。逆に俺のほうがいつ『お父さんのと私の一緒にお洗濯しないで!』といわれるのかと心配だが。

冗談はこれくれいにしておくよ。

お前と会えてよかったと思う。つまらない人生を送っていたけど、お前と会って変わることができたから。

ありがとう。

これだけは伝えておきたかったんだ。

二人が再び一緒になる日は来ないかもしれないけど、俺は今でも玖美の幸せを願っている。


神威 力弥


海斗へ

仕事ばかりでお前とはあまり遊んでやれなかった。ごめんな…。

でも、少しだけ時間ができて一緒に遊んだテレビゲームは楽しかった。

あんな面白いものがこの世になるなんて知らなかったし、勉強ばかりしていた父さんにとって、すごく刺激的だった。

お前にはこう言ってもわからないかもしれないが、息子と遊べるというのは、父さんにとってとても嬉しいことだったんだ。

家族で飯食べてるときも、お前に小言や説教をしたけれど、お前は嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた。

本当に良い子に育ってくれたと思う。将来はきっと俺なんかよりしっかりした『男』になってくれるだろう。

お前にもいつかきっと大切な女性ひとができるだろう。その人と結婚して子供だってできるかもしれない。

だが、けっして父さんのようにはなるな。お前にはこんなふうにはなってほしくない。

父さんはあまり良い父親ではなかった。お前の言うとおり、一般の父親像というものからは、かけはなれていたと思う。

ひどいこともした。許してくれとは言わない。あんなものは父親として失格だった。

でも、俺はお前の大切な妹は、絶対に傷つけたりはしない。それだけは約束する。

蒼空はときどきそちらに遊びに行かせる。ただ父さんはお前にはもう会えないかもしれない。父さんにはその資格はない。

さよならだ、海斗。達者でな。


父さんより


『いつか』なんて日はずっと来ない。父さんがいる間に僕はなんとしてでも『ごめんなさい』というべきだったんだ。

そうすれば父さんが、僕に会う資格なんてないなんて悲しい事を書く必要もなかったんだ。

あの時いった言葉を取り消すことはできなくても、ただ一言『ごめんなさい』といえばよかったのに、なんでそれができなかったんだろう。

父さんは、ずっと僕と一緒にいるだろうと思っていた。いなくなるなんて思わなかった。

そんな日常に甘えていたから、謝りたくても謝ることができない日が来るなんて思わなかった。

後悔が未だ僕の胸にこびりついて離れない。あの言葉は、僕本人をも苦しめた。

これはきっと罰だ。父さんを傷つけてしまった僕の罪に対する罰だ。

僕はずっと背負っていく。自分の幼さ、愚かさを後悔したまま。

でも、できることならば、もう一度父さんに会いたい。会って、父さんに伝えたい。謝罪だけじゃない。まだ言えてないことがひとつある。

『ありがとう』って。

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